【二日目】8 猜疑の夜
第二章にあたる【二日目】ラストです。
8
玄室は入り口から見て縦長の長方形だった。横幅が十メートル程度、奥行きはその倍近くある。室内の壁や天井は焼き固められておらず、コケも生えていない。露出した岩に囲まれた空間は真の暗闇で満たされていた。
扉は頑丈な金属製で、閉めてしまえば室内はほぼ密閉された空間だった。難点は扉に鍵がないことだったが、エドワードは壁に楔を打ちつけ、ロープを留めて即席のかんぬきとした。よほどの力で押し開けられなければ安全と言えた。
部屋の中央付近で火を焚き、一行は簡素な食事を摂った。消耗しきったアトリと意気消沈したエルムはほとんど口を利かなかった。残る三人は時おり口を開いたが、どこか息苦しい沈黙を吹き払うことはできなかった。
「見張りは扉の前で三時間ずつ、三交代だ。最初は俺がやる。アトリとエルミィは最後だ。時間になったら起こしてやるから、ジャス公とルピニアも横になっておけ」
「時間はどうやって測ればいい?」
「砂時計がある。一回落ちきれば三十分だ」
エドワードは自分の食器を片づけ、ランタンに火を点した。
「ジャス公、ルピニア。ランタンに火を移して焚き火を始末しとけ。この部屋は換気がよくねえ。焚き火のままだと煙が溜まる。アトリとエルミィはさっさと毛布かぶって寝ろ。今はそれがお前さんたちの仕事だ」
「……はい」
「……うん」
二人が荷物を引きずるように壁際へ移動するのを見送ると、エドワードもランタンを手に腰を上げた。右手の歯形はすでにない。野営の準備時にエルムが治療術を使い、エドワードとジャスパーの傷を癒していた。ひどく申し訳なさそうに治療を行うエルムに、エドワードはかける言葉を探しあぐねたものだった。
「真面目も繊細も度を越すと考えもんだ。冒険者なんてのはお前らくらいがちょうどいい」
「なんか引っかかる言い方やな」
「あんまり褒められてる気がしないぞ」
ルピニアとジャスパーが揃って口を尖らせた。
「事実だ。褒めてもけなしてもいねえよ」
エドワードは扉に向かって歩き出し、ふと足を止めた。
「それとジャス公。ひとつ言っとくことがある。人狼と戦ったときのことだ」
「……なんだ、センパイ」
「さんざん無茶しやがったが、あれはあれでいい判断だ。よくやった。……それだけだ。火は丁寧に始末しろ」
エドワードがひらひらと手を振りながら歩み去る。ジャスパーはぽかんと口を空け、その背中を眺めていた。
「褒められとったな。よかったやんか」
「……ピンとこない」
「正当な評価やと思うけどな。あんたもさっさとランタンを点けとき。焚き火に水かけられんやろ」
「あ、ああ」
ジャスパーは当惑しながらランタンに火を移した。
水袋の水を焚き木にかけると、細い白煙が上がっていった。しゃがんでその行方を目で追いながら、ルピニアは穏やかに切り出した。
「ウチは弓だけなら何年もやっとる。けど、正直あのバケモノに狙いどおり当てるんは難しかった。あんたは昨日の今日でいきなり剣を当てよった」
「腹の真ん中を狙ったんだ。避けられた」
「それでも脇腹に刺さっとる。あいつが避けきれん一撃やったんや。上出来やんか」
「なんだよ、お前まで急に」
ルピニアはにんまりと笑った。
「なんや、照れとんのか? 可愛いとこあるんやな」
「別に照れてない」
――なんか調子が狂う。
ジャスパーが視線を横にそらすと、壁際で毛布を巻いて寝息を立てているアトリが目に入った。少し離れたところでエルムも横になっている。
「オレのことより、アトリは大丈夫なのか。あいつ相当疲れてるだろ」
「話のそらし方が強引や。まあええけど」
ルピニアは呆れたように肩をすくめた。
「エドも言っとったろ。アトリは気張りすぎなんや」
「オレにはなんだか思いつめてるように見えた」
「意外としっかり見とるやんか。ええ線いっとるで」
「だけど理由が分からない。お前には分かるのか?」
「乙女の秘密や」
ルピニアは意味ありげに笑い、ランタンの窓についた煤を指でぬぐった。
黒く汚れた指先を石床にこすりつけ、丸を描く。煤の量が足りなかったようで、線は円の始点まで届かなかった。
「……と言いたいとこやけど。ほんまのところはウチにもよう分からん」
「なんだよ、結局分からないのか」
「そう焦るんやない。説明したるから最後まで聞き。……そうやな、あんた魔法を勉強したことあるか?」
「いや。前にエルムの教典とかいうのを見たけど、最初のページで頭が痛くなった」
「そんなら今度アトリの魔導書を見てみ。たぶん本を開いた途端に目が回るで」
くすくすと笑うルピニアの横顔に、ジャスパーは戸惑った。
――こいつ、こういう笑い方をする奴だったか? 普段はもっとげらげら笑って……。
ジャスパーはそこまで考えて、ルピニアと初めて会ってから二日も経っていないことを思い出した。普段も何もない。自分はまだ彼女をよく知らないのだ。
「本の話はおいといて、今朝のコウモリを覚えとるか。アトリが睡魔の術を使うたやろ」
「そりゃ覚えてる。ものすごく眠かった。あれで手を抜いてるってのがすごい」
「手抜きと手加減は大違いや。あれはな、全力で手加減しとったんや」
「……なんだそれ?」
「んー、あんたに分かりやすく言うとやな……」
ルピニアはジャスパーの剣を指した。
「たとえばな、あんたが子供とチャンバラごっこするとこを想像してみ。武器は木の棒切れや。あんたしっかり構えて丁寧に振るか?」
「たぶんしない。適当に振ると思う」
「それが手抜きや。適当にやっとっても身体はそれなりに動くやろ。けど、魔法はそれじゃあかん。きっちり構えて一瞬も気を抜かず、できるだけ丁寧に剣を振るんや。でないと術そのものが発動せん。しかも剣を支えられるギリギリ最小限の力しか腕に込めたらあかん。どうや、思いっきり振るほうが何倍も楽やろ? 魔法の手加減っちゅうのはそういう感じなんや」
「ずいぶん面倒くさいな……って」
ジャスパーは顔をしかめていたが、不意に目を丸くした。
「コウモリの巣のど真ん中だぞ。あんなうるさい場所で、そんなややこしいことができるのか?」
「そのために全力で精神集中したんや。あれは集中力の無駄遣いやな。普通に術を使うてウチらがコウモリごと寝てしもうても、たぶんエドは起きとるやろ。あとでウチらだけ叩き起こせば済む話や」
「まあそうだけど、アトリだってあれが初めての実戦だよな。それなら肩に力が入っても仕方ない。オレだってまともに剣を振れなかった」
「そりゃ最初くらいは仕方ないやろな。ウチかて蛇を撃ったとき、動き回るあんたに当たるんやないかって冷や冷やしとった」
「おい、ちょっと待て。あれだけ文句言っといて自信なかったのかよ」
ルピニアは大きく咳払いした。
「その話はおいとこ。今はアトリの話やろ」
「……う」
ジャスパーは口ごもり、渋々うなずいて腰を下ろした。アトリの話を振ったのは自分だ。文句を言えるはずもない。
「アトリは最初やから肩に力が入っとったんやない。最初から最後までとんでもなく真剣やったんや」
スカートを押さえながらルピニアも腰を下ろした。
「キノコには普通に術を使っとったけど、肩の力が抜けとる感じでもなかった。そこへきてあのバケモノや」
「人狼か。……オレは必死だったけど、アトリがやけに冷静で驚いた。あいつはなんか覚悟が決まってたような気がする」
「覚悟っちゅうのはうまい表現やな。ウチもなんとなくそんな気がしとった。けど、まさか拡大魔法で火玉三発呼び出すなんて思わんかった。あんな無茶するからフラフラになるんや」
「その拡大魔法ってなんだ? 火の玉を三つぶつけて、三発分の威力にしたのか?」
「そんな都合よういかん」
ルピニアは顔の前で手を振った。
「あれは『数撃ちゃ当たる』や。火玉を三つ呼び出せば、一発くらい強い火玉が出るんやないか、ちゅうやり方やな。もちろん三倍疲れることになる」
ジャスパーは首をひねった。どうも要領を得ない。
「……火の玉は全部当たってたよな。それでも三発分の威力にならないのか?」
「当たったように見えただけや。火弾の術には欠点があってな、呼び出した中で一番強い火玉しか効果がない。残りの二発は当たった瞬間に消えてしまうんや。同じ三発なら術を三回使うて、一発ずつ当てるほうがええ」
「それで三倍疲れたら損するだけじゃないか。なんでそんなことを」
「あのバケモノが何回も術を使わせてくれるなんて思えんやろ。アトリは一撃必殺しかないと考えた。けど一回で強い火玉を呼び出せるかどうかは運次第やからな、火玉を呼べるだけ呼んで大当たりに賭けたんや。あれは気力も魔力も使い切る覚悟がないとできん」
「捨て身の覚悟ってやつか。たしかにあんなのが相手じゃ、全力でやるしか――」
ジャスパーは納得しかけ、唐突に気づいた。
コウモリにも人狼にも全力だっただと?
「……まさかあいつ、ダンジョンに入ってからずっとそんな調子だったのか?」
ルピニアは焦げた焚き木をつま先で転がした。二度三度と転がすうちに、木片が細かく砕けて炭の山になる。ブーツの先は黒く汚れていた。ルピニアは顔をしかめ、小さく息をついた。
「アトリが『必死でした』って言っとったの覚えとるか。ウチもあれでやっと気づいた。アトリはダンジョンに入る前から必死やったんや」
「入る前って」
「必死やったから、エドの大雑把な地図を説明もなしに読み解いたんや。初めて通った道を全部覚えたんもそのおかげやろ。そりゃアトリは頭がええ。けど、そんだけやったらエルムも同じことができそうやと思わんか」
「……」
言葉を失ったジャスパーをよそに、ルピニアは淡々と続けた。
「何一つ見落とさんつもりやったから曲がり角のプレートを見つけて、記号と数字の意味まで見抜いた。あんなバケモノに襲われて冷静やったんは、あんたの言うとおり覚悟ができとったからやろな。そんだけ気を張っといて魔法もあんな調子やろ。倒れんほうがおかしいわ」
ルピニアは両膝を抱え、眠るアトリの方へ顔を向けた。ジャスパーからは彼女の顔が見えなくなった。
「アトリは夕べから妙に緊張しとった。里を出るんは初めてみたいやったし、おまけに昨日会うたばかりのよう知らん連中とダンジョンに挑むんや。ウチなんかより繊細やし、普通はそんなもんかもしれんと思っとった」
ジャスパーは昨日の出来事を思い返した。止まり木亭ではアルディラに怒鳴られ、バッタモンド商会ではエルムの性別が明らかになり騒ぎになった。それらの騒動をルピニアは一緒に経験し、受け入れた。親近感が湧くのは当然だ。しかしアトリは違う。ジャスパーがアトリに若干距離を感じていたように、彼女は全員に対して距離を感じていたのだろう。
「……気づかなかった」
ジャスパーには他に言葉が見つからなかった。
顔を背けたまま、ルピニアは静かに首を振った。青紫の髪がランタンのおぼろな光を映して揺れた。
「あんたとエドは前衛やし、エルムもなんやかんや言うて男やろ。気づかんのは仕方ない。……けど」
ルピニアは肩を落としていた。
「ウチは夕べアトリの部屋まで押しかけておしゃべりしとった。今日もすぐ近くにおった。ウチが気づかんでどうする。初日で緊張しとったなんて言い訳にならん」
「ルピニア……」
言葉に迷うジャスパーの頭を、二階へ向かう際に見たアトリの固い表情がよぎった。
――オレが、あのとき振り返っていたら。
足を止めるべきだった。声をかけるべきだった。ルピニアならきっと振り向いて異常に気づいてくれたに違いない。少なくとも、彼女の背中がこんなに小さく見えることにはならなかったのではないか。
「……はあ。初心者向けのクエストやったはずやろ。二階におらんはずの魔物がおるわ、ケインはんのパーティも襲われるわ。何がどうなっとるんやろな」
ルピニアはため息をついて前を向いた。その横顔はジャスパーが想像していたほど沈んでいなかった。
「そうだなあ」
空気が変わったことに安堵しつつ、ジャスパーは努めて楽観的な光景を想像した。
「もともとはただのキノコ刈りだったんだよな。たぶんエドも、安い報酬に文句言いながら子守してくれてさ。走るキノコをみんなで追いかけて」
「けど、そうはならんかった」
鋭い口調で両断され、ジャスパーはたじろいだ。
「エドは昨日の時点で護衛を依頼されたんや。バートラムはんは、なんでそんなことをしたんやろな?」
「……ダンジョンが普段より危険だって、知っていたからか」
「当日ならともかく翌日のことやで。なんでそんなことを知っとったんか。ウチらと同じ二階のクエストを受けたケインはんたちに、なんで報せんかったんか。おかしな話や。なんでやと思う?」
「それは――」
「バートラムはんはこう考えた。今日、ウチらだけが、危険な目に遭うかもしれん」
強く言い切るルピニアの言葉は明快で、誤解のしようもない。ジャスパーは嫌な予感がした。
「当然アルディラはんも知っとったんやろな。せやから報酬の金額を聞いても驚かんかった。たぶんエドはなんも知らんな。報酬を聞くまで子守やと思っとったし、ウチらを何から守るんかも知らんかった。……ところで、ウチが冒険者登録を済ませたんは、つい一昨日や。あんたとエルムはいつやった?」
「オレたちも一昨日だ」
「アトリはもっと前やろな。住み込みで働いとるとか言っとったし。昨日はウチが時間を潰しとったら水を運んでくれたわ。おおかた口しのぎの仕事なんやろ。給仕服もけっこう似合っとった。まあウチの見た感じ、あの仕事には向いとらんな。細腕すぎてトレイをひっくり返しそうやった」
ルピニアの横顔が頬をゆるめた。
「そうなのか。帰ったらちょっと見てみたい」
「あの手の服はエルムで見慣れとるんやろ」
「いやまあ、そうだけど」
「まあ中身が男やしな」
軽口の応酬をしながらルピニアは穏やかに笑っている。ジャスパーは困惑した。今までに見たどんな彼女とも違う。感情がまるで読めない。
「さて、前提が揃ったところで問題や。ウチらより前から止まり木亭におって、初心者やのにバートラムはんから直々に紹介されて、ダンジョンに入る前から必死やった誰かさんは、いったい何を覚悟しとったんやろな」
「……」
「言いにくそうやな。あんたのそういうとこ、けっこう悪うないで」
「……」
ルピニアは笑みを崩さなかった。ジャスパーは背中にはっきりと怖気を感じた。
「お人よしなあんたの代わりに言ったる。ウチらの中で、アトリだけが今日のダンジョンはおかしいと知っとった。アトリだけが何かに襲われるんを見越して警戒しとった。アトリだけが襲われる理由に心当たりがあった。けど、いつどこで何に襲われるんかはアトリも知らんかった。そう考えんとつじつまが合わん」
ジャスパーは小さくうめいた。繰り返された言葉は胸に不快な感触を残していた。
「……アトリ、だけが」
「大事なことやからな。ちょっと多めに言うてみた」
ルピニアは壁際で眠るアトリに目をやった。
「さてどうする。ウチと一緒にアトリを叩き起こして、『オレたちが襲われるのはなぜだ』って聞くか」
「いやだ」
ジャスパーは即答した。それは越えてはならない一線だとささやく何かがあった。
「聞くなら朝でもいいだろ。今は安全だ」
ルピニアはくすくすと笑いながら、抱えた両膝に顔をうずめた。
「あんたはそう言うと思っとった。……ありがとな」
困惑するジャスパーをよそに、くぐもった声が続く。
「なあ。……もしウチが、こんな目に遭っとるんは全部アトリのせいかもしれん言うたら。あんたどうする」
ひどく力のない声に戸惑いながらも、ジャスパーは答えに迷わなかった。
「そうでなけりゃいいな、って言う」
ルピニアは膝に顔をうずめたまま小さく吹き出し、肩を震わせて笑い始めた。
「なんだよ。真面目に言ってるんだぞ」
「分かっとる。あんた、ほんまにお人よしや。あの変人と一緒にいられるわけやな」
「エルムのことか」
ジャスパーは苦い顔をした。
「あいつのことは勘弁してやってくれ。害はないだろ」
「それも分かっとる。悪いけど、エルムはコウモリより無害や」
「……それはそれで、あいつが気の毒な気がする」
「今さらやけど、エルムも大丈夫なんか。怪我はともかく心のほうが相当まいっとるやろ」
「一晩寝れば大丈夫だと思う。さっきも治療術を使ってたしな」
「ならええけど。魔法使いが二人とも倒れたままやったら、ウチら大ピンチやからな」
ルピニアは頭を膝につけたまま、ジャスパーに顔を向けた。その表情から凄みは失せていた。
「ところでな、ウチらはエルムをどう扱えばええんや。ほんまにヘンタイっちゅうわけやないんやろ?」
「一応言っとくけど、あいつは別に男が好きなんじゃないぞ。たぶん女に興味がないわけでもない。まあ簡単に手を出さないから、無害ってのは当たってるけど」
ルピニアは身を起こし、しげしげとジャスパーを見た。
「女に興味があるとかないとか、あんたの口から聞けるとは意外やな」
「オレのことはいいだろ。とりあえずあいつはエルミィって名前で、ああいう服が好きで、女には慎重な男だと思ってくれ。難しいか?」
「あんたに免じて努力したる。面白いもんも聞けたし。どうせいろいろ訳ありなんやろ」
「理由とか聞かないのか」
意外そうなジャスパーに、ルピニアは苦笑を向けた。
「そこまで野暮やないつもりや。あんまり軽い話やなさそうやし。第一、ほんまに必要ならあんたが言うやろ」
ジャスパーは怪訝な顔をした。
「なんでオレなんだ?」
「さっきのを見とって思った。エルムは何か辛いもんを抱えとる。けどエルミィになりきっとる間は忘れたことにしとるんやないかって。そんなら落ち着いて説明できるんはあんただけやろ」
「……正しいか間違ってるかは言えない。それにしてもよくそんなこと思いつくな」
「ただの勘や。けど見とれば分かることもある。エルムが安心してじゃれつくんも、いざってときに正気に戻せるんも、あんただけやろ。心底信頼されとるんやな」
ジャスパーは肩をすくめた。
「ほんと、よく見てるよお前」
「エドに噛みつきよったんも、ほんまはおと――」
ルピニアは慌てたように手で口をふさいだ。
「……すまん。調子に乗っとった」
ジャスパーはかすかに眉根を寄せたが、やがて小さく首を振った。
「いいさ。どこかで聞いたけど、女は男の何倍もしゃべるんだろ。お前だって女の子だしな」
ルピニアは虚を突かれたように目をしばたいた。
「やるやんか。今のは悪うない。まるっきり分かっとらんわけでもないんか」
「女心がどうこうってやつか? 別に何も考えてなかったぞ。そう思ったから言っただけだ」
「……ほんまに打算がないんやな。あーもう。清々しいくらいや。なんであんたにはできたんか、今なら分かる気がするわ」
「オレにはできた? 何がだよ」
「アトリを笑わせることや。悔しいけどウチにはできんかった。おヒゲさんとか肉の切り分けとか、打算のかけらもないやろ」
答えたルピニアは表情も口調も穏やかだった。
ジャスパーは安堵した。あれほど強い疑念を抱きながら、彼女は結局アトリを見捨てられないのだろう。
「いい奴だな、お前」
「なんや突然」
「別に。そう思っただけだ」
ルピニアは不思議そうにジャスパーの顔を眺め、やがて前を向いてつぶやいた。その横顔は笑っていた。
「……ほんま、あんたのお人よしにはかなわん」
第三章【三日目 朝】に続きます




