影(1)
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アークシティ北部にあるエル・ナシメント自然公園は街随一の広さを誇っていた。
豊かな自然と街全体を見渡せる高台をもつこの場所は、かつては大規模な住宅地へと開発される予定であった。だが、現市長が、街には自然がである!と突然この開発に横槍を入れ、その考えに賛同した資産家たちが土地の買収・運営基金の設立をおこなったことによって実現したのだ。
かつて、この土地に来て布教活動を行いながら多くの人々を助けたと言われる聖人の名をつけられたこの公園は、街の住民にとって自然を味わえる憩いの場として広く親しまれているのであった。
そんな公園の遊歩道を気分よさげに歩いてくる男が一人。すれ違う登山客に陽気に挨拶をしながら街を一望できる展望台へと向かって歩を進めていた。
40代半ば、彫りの深い顔に形よく整えられた口髭。中肉中背の均整のとれた身体に仕立ての良いスーツを着こなし、美しい金細工の施された杖を片手でくるくると器用に回している。
この、人好きのするビジネスマンのようにも見える男が、アークシティでも指折りの凶悪犯罪者であると言われて驚かない者はいないだろう。それもこの街でおこる犯罪の3割に関わっていると言われればなおさらであろう。
通称・ポーカーフェイスと呼ばれるこの男は、自身とそれに関わるものの認識を曖昧にさせるという能力を持ち。その強力な幻惑能力によって警察の目から巧みに逃れてきた。さらに、彼は自身の手を汚すような犯罪をほとんどおこなうことがない。彼がするのは、もっぱら犯罪者の活動を援助すること、依頼人のために犯罪の下準備をし、警察の目をごまかし、犯罪行為を成功させること。そして、この男がアークシティにおいてもっとも危険だと言われるのは犯罪の当事者である人物にそのつもりが無かったとしても、つい”魔がさして”しまうような状況を作りあげ、犯罪をおこなわせてしまうことであった。
このように犯罪という行為の中でおこなわれる事象と結果を観察することが至上の幸福だ、と断言するこの怪人は、依頼者の有無関係なしに犯罪をプロデュースする、恐るべき男であった。
その彼がここエル・ナシメント公園へとやってきたのは、現在もっとも興味のある依頼人との最後の打ち合わせをするためであった。
ポーカーフェイスが展望台に到着すると、人気のない広場にはすでに依頼人が待っていた。
「お待たせしたかな?」
そう声をかけると、背中の後ろで手を組みながら、街を見下ろしていた依頼人は振り返った。
「いえいえ、たいして待っていませんよ」
見る者を魅了する微笑みを浮かべるその20も半ばに見えるこの男こそ、昨日一晩で3人の超人を殺害してのけた凶人………純白のコートの男であった。
「貴方のおかげで随分と助かりました……ええ、とてもです」
「そう言ってもらえると嬉しいんだが、こちらとしては謝らなければならん。上手くやったつもりが目撃者を出してしまった」
「手を抜いたつもりはないのだが…まったく、あのホームレスはどうやって吾輩の干渉を潜りぬけたのやら」
「別にそのことはいいんですよ。むしろ、あの出来事のおかげで私は確信を得たのです」
この使命が真のものであると、ね。そう、男は呟いた。
「ほう……よろしければ、どのような理でそのように思ったのかお聞かせいただけないかな?ミスター・グレイ」
犯罪コーディネーターを自称するポーカーフェイスをして、目の前に立つこの男の精神構造は理解しづらいものであった。宗教的欲求にもとづいて行動する狂信者のように盲目的な行動をとったかと思えば、まるで全てを計算し尽くしている数学者のように理知的な判断を見せる。なんともちぐはぐで奇妙な男であった。
「グレイ…そう、私の名前だった。だが、今は違う。もう違う。それは、もう私の名前ではない」
「ほう、では今のあなたは何者だね?」
「いまの私の名はリベレーション(啓示)。神の。この世界の。この世の真理を知り、この世界を救う使命に生きる者」
「そして、あなたの質問に答えよう。あれはね、試練だったのだ。私が、自らの使命に殉じることができるかどうかを確かめるための試練。準備、過程、実行。その全てが私を導き、進むべき道を照らし続けている」
「ふむ」
「殺人そのものに意味はなかった。ただ、私の使命が…願いが果たすことができるのか否かを確認したかったのだ」
「だから、予知能力者を殺した?」
「そう、普通ならば殺すことのできるはずのない者を殺す。もし、それが可能だとするならば、私は運命によって”選ばれて”いると言えないかね」
「確かに。私は、キミがどうやって彼等の”目”を逃れてその命を奪うことができたのか知りたいね。とても興味がある」
微笑み、曖昧に返事を誤魔化すリヴェレーション。
実際の話、ポーカーフェイスはどのような手段で未来予知の網をくぐり抜け、その命を奪い取ってみせたのかわからなかった。確実に言えるのは、この凶人が自分に教えていない秘密をもっている、ということだ。まあ、吾輩も彼に教えていない秘密があるのだがな。
「貴方のような人物と”出会えた”こと。そこに運命を感じる。そして目撃者にも」
「他者に認識されない、完璧であるはずの君の能力をすり抜け”偶然”にも目撃者が登場した」
ポーカーフェイスは肩をすくめ、一応の同意をしめす。だが、彼が持ちあげたほど自分の能力が完璧なものだとは思ってはいない。彼が今まで警察の、あらゆる探知能力者の目をごまかし、逃がれてきたのは、能力以上に慎重に、そして注意深く、この街の人混みの中に潜りつづけているからにすぎない。
「あの哀れな、この世界の悲劇を体現している、あの男を殺した時、この運命こそが私のやろうとしていることへの答えなのだと」
「私は、正しい道を歩んでいる」
狂っている。語りつづける男を見ながら、ポーカーフェイスはそう思った。だが、悪くない。
「奇跡は三度おこりけり、ですか」
「そう、3とは特別な数字だ。そして、それが私の前に示された」
常人が聞いたならば、正気と道理を疑いかねない理屈だった。だが、ポーカーフェイスは彼がやろうとしていること、そして、どのような運命にたどり着くのかということにとても興味があった。
「では、あなたの行きつく運命を見届けさせていただきましょう……これがお約束の品だ」
ポーカーフェイスは、スーツの内ポケットから鍵を取り出すと、リベレーションと名乗った凶人に渡した。
「これであなたは、望んでいた場所に入ることができる」
「これか…ありがとう、ミスター・ポーカーフェイス。あなたがいてくれてよかった」
握手を求め差し出された手をポーカーフェイスは握った。
「いえいえ、これが私の生きがいでね」
そう答えた瞬間、リヴェレーションの握った手が輝く。それは触れる者を焼き尽くす、死の閃光だった。
握られた手から送り込まれた輝き、それは超高強度のマイクロ波であった。電子レンジが放つそれを遥かにこえるそれは、一瞬にして物体を沸騰・蒸発させる。それこそがリヴェレーションの能力の一端であり、輝きの正体であった。だが・・・
「おや?」
不思議そうに彼を見るとぼけた表情を見ながら、ポーカーフェイスは苦笑した。
「吾輩は仕事柄用心深くてね。依頼人を信用しすぎないようにしてるのだ」
「だから、吾輩は簡単に底を見せない」
ニヤリと笑うポーカーフェイスの身体をすり抜け、放たれた輝きは1ミリたりともその身体を焦がさず消えていく。
「いやはや……掴まれていても、君は”曖昧なまま”でいられるのか」
「そうとは限らないよ。ただ、貴方の知らない隠し玉を持っているのは確実だがね」
「では、これで契約は完了だ。報酬は十分にいただいたし、これで失礼させてもらおう」
優雅に一礼すると、ポーカーフェイスはゆったりとした足取りで展望台の出口へと足を向けた。
「ああ、そうだ。言い忘れるところだった」
出口の前でクルリとポーカーフェイスは振り返り、数分前に笑顔で自分を殺そうとした男に笑顔を向ける。
「裏切りにはぺナルティを、これが吾輩のルールでね。この先、自分の足元には十分注意したまえ」
そして、煙のように虚空に溶けるように消えていった。
「気をつけるよ」
そう呟くと、凶人は慈しむような目で街の遠景に目を向ける。
「全ては運命と共にある。私が正しく歩む限り、運命は私の味方だ」
その瞳には一切の迷いなどなく、ただただ純粋な感情だけが写っていた。