8 エピローグ
結婚は翌年の火の季、ゲルトルートが火領の領主を継ぐのと同時ということになった。
「……つまり私はそれまでに土壌の改良計画を長期計画で練り直し、目に見える成果としてカボチャ畑を作り、土領の問題を片付けるということでしょうか」
思ったより忙しい。ゲルトルートはうなずいた。
「土領には一緒に行くわ。あちらの領主様やご家族にわたくしも挨拶しないと」
家族に挨拶、と言われてマティアスはぎゅっと拳を握った。
「あの、私もジークハルト様やお子様方にご挨拶させていただいた方がいいでしょうか。……私は、研究所住まいでも構わないんですが」
ゲルトルートが首をかしげる。
「……こういう時はなんて聞けばいいのかしらね。マティアスは、ジークハルトやわたくしの子どもたちの存在が、気になる?」
ゲルトルートの直球にマティアスは言葉に詰まる。
「気になるといえば気になりますが、ええと、張り合いたいというのではなく、むしろどう思われるかが気になるというか、いっそ私のことはそこら辺の石ころくらいに思って放置してもらえれば全然」
「……あなた、そんなに卑屈なところがあったの?」
ゲルトルートが眉を寄せる。
「……」
正直言って、あのジークハルトに自分が男として勝っている部分があるとは全く思えない。土領育ちの自分は火領ほど強さに対する憧れを持っているわけではないが、単純に生き物として負けている気がする。
ゲルトルートがマティアスの顔を覗き込んできた。
「マティアス。わたくしはわたくしの夫となる人を軽んじる態度は許さなくてよ。それがあなた本人でも」
「とはいってもですね……」
「まあ、気になるというのは理解するわ。一度、二人で話してみるのはどう?」
「二人で!?」
一体何を話すと言うのだろう、と顔を青くするマティアスに、ゲルトルートは追い打ちをかける。
「わたくしの前では言いにくいこともあるかと思って。……わたくしもいた方がいい?」
「……いえ、二人でお願いします」
ジークハルトとの対面にゲルトルートについてきてもらうというのは、さすがにあまりにも情けない絵面だと思った。
◇◇◇
そんなやりとりの後しばらく、火領で内々に婚約が周知された頃、ジークハルトが農業研究所にやってきた。
彼の待つ応接室に向かうマティアスに、ヨハンが心配そうな顔を向ける。
「マティアスさん、大丈夫ですか。お腹痛そうな顔してますけど」
「お腹は痛い。適当なところでお茶を淹れにきてくれ」
「え、いやですよ。ゲルトルート様の夫の方々の間に割って入るなんて」
「割って入らなくていい。ただ時々生存確認をしてくれ」
「ジークハルト様は弱い者いじめはなさらない方だと信じてます」
「ジークハルト様は良い方でも、私の心臓が緊張に耐えかねて止まるかもしれない」
「結婚する前からゲルトルート様を未亡人にするなんて火領の誰も許しませんからね」
「じゃあ助けてくれ」
「ご無事を祈ってます」
ヨハンは応接室にマティアスを押し込むと、お茶を淹れて去っていった。人払いとかしなくていい。むしろなにかあったら察せる距離に誰か控えていてほしい。
マティアスは腕組みをして椅子に腰掛けているジークハルトに、まずは待たせたことを詫びた。
ジークハルトは朗らかに答える。
「いや、忙しいところに押しかけてすまなかった。ゲルダから、マティアス殿が話をしたがっていると聞いていたのだが、少々狩師の仕事が立て込んでいてな」
「お忙しいところ、お呼び立てするような形になりまして……」
恐縮するマティアスにジークハルトが手を振る。
「多忙はそちらもだろう。俺もゲルダと結婚する前はやれ挨拶だ、次期領主の配偶者に相応しい実績を出せと周囲がやかましかった。……それで、話とは?」
単刀直入に切り出され、マティアスも腹を決める。
「お伺いしたかったのは、ジークハルト様が私の存在……というか、ゲルトルート様の夫が増えることについて、どうお考えになっているのかです」
緊張と共に尋ねると、ジークハルトはどこかきょとんとしたように答えた。
「ゲルダが望むことに俺が反対する理由はない。マティアス殿は頭も良さそうだし、農作物の管理については以前からゲルダが気にかけていた。そこを補えるマティアス殿の存在は、ゲルダにとって助けになるんだろう」
あっさりと答えられ、マティアスは逆に困惑する。
「ええと、もちろん私も、ゲルトルート様を支えたいと思っています。思っているんですが、その」
口ごもる様子に、ジークハルトがニヤリと笑った。
「領内に婚約が発表されてから一月か。どこぞで何か、耳にしたか?」
「……ジークハルト様は、ゲルトルート様を何より優先される方だと聞いています」
「そうだな。だから俺が、ゲルダの意向を無視することはあり得ない」
そう言い切るジークハルトに、マティアスの肩から力が抜けた。ジークハルトが茶に口をつける。そしてそのカップを机に置いた瞬間、マティアスを見るジークハルトの目が鋭く尖った。マティアスは思わず息を呑む。
「もちろん、俺はゲルダの唯一の男でありたいと思ってはいるが」
硬直しているマティアスをじっと見て、それからジークハルトはふっと笑った。マティアスの肩から力が抜ける。
「だが、ゲルダのやりたいことにお主が必要だというなら、それは仕方ない」
俺にはカボチャの収穫量を増やす方法など考えもつかんからな。ジークハルトは静かにそう言った。
……もし、ゲルトルートが三人目の配偶者を迎えるとかいう話になったとして。自分はこの人のように冷静に受け入れることができるだろうか。そんなことを考えて、マティアスは乾いた喉を潤そうと茶を一口飲んだ。
「そういえば、マティアス殿は一度土領に行くのだろう?」
空気を払うようにジークハルトが言って、それからニヤリと笑った。
「もし護衛が必要なら、俺がついて行っても構わんが」
マティアスは危うく茶を噴き出しそうになった。
「いえ、それはあの、恐れ多いので……!」
「そうか? まあ、ゲルダが一緒に行くというなら確かにそれ以上護衛はいらんな」
しかし、とジークハルトが首を傾げる。
「恐れ多いというのはなんだ? ゲルダと結婚すれば我々もゲルダを挟んで家族になるのだし、それほど線を引かれるとこちらもやりにくいが」
第二配偶者が第一配偶者に護衛されるのを遠慮するのが線を引くことになるのだろうか。
「……火領の距離感は、そういう感じなんですね」
「土領は違うのか?」
「領主の配偶者同士は別の館に住みますし、異父や異母の兄弟とは関わりが薄くて……」
ふむ、とジークハルトは首を傾げた。
「まあそれは領地の文化というやつか。だが、火領の場合は……そうだな、例えば俺が狩師の仕事でヘマをして帰れなかったとする。その場合、俺の子どもたちは多分マティアス殿の庇護下に入るだろう」
マティアスははっとしてジークハルトを見た。気負わず「もしもの事」について話す雰囲気は、ゲルトルートのものと似ていた。
「領主の子どもを……統承持ちを育てるのは領主とその配偶者だ。もちろん、マティアス殿になにかあったとき、マティアス殿に子がいれば、俺はその子を我が子と同じように育てると約しよう」
マティアスは唾を飲み込む。統承持ちは多かれ少なかれ、その身に「いざという時」の義務を負っている。けれど、火領のそれは土領のそれよりもっと身近にあるのだと感じた。トゥーレ四領の魔害の駆除を一手に引き受ける、四領唯一の、武力の継承地。
膝の上で拳を握り、顔を上げる。
「ご教示に感謝します」
ジークハルトをまっすぐに見据えてそう答えれば、彼はどこか満足そうにうなずいた。
◇◇◇
「ジークはかわいいでしょう?」
ゲルトルートにジークハルトとの会話について報告した時のことである。
「……かわいい、ですか?」
マティアスがそう返すと、ゲルトルートはため息をつく。
「あなたもわかってくれないのね。みんなそういう反応をするのよ」
「……私から見ても、ジーク様はかわいいというより、かっこいいとか強そうとかたくましいというか」
視線を逸らしながらマティアスが答えると、ゲルトルートが口を尖らせる。
「でも素直だし、魔術の新しい使い方や武器に夢中になったり、力が強いから繊細な作業が苦手だったり、自分は小さい動物が苦手なのに動物に好かれて困ってるところとか、すごくかわいいでしょう?」
「……なるほど」
少なくとも、ゲルトルートにとってジークハルトが唯一なのは間違いないんじゃないかなとマティアスは思った。悔しいからジークハルトには言わないが。
そこでふと気づく。
「あの、私は?」
「頭が良くて一生懸命で、頑固だけど頼りになる夫よ」
「……ありがとうございます」
かわいいといわれなかったのに安心するべきか悔しがるべきか、しばし迷った。
◇◇◇
土領との話し合いはつつがなく進み、翌年の火の季、予定通りマティアスはゲルトルートと結婚した。
披露の宴では、マティアスの実験畑で育てたカボチャや豆類を使った料理が供された。
土領からも農作物が提供され、結婚後マティアスが代表となる農業研究所の班員たちは熱心に食べ比べていた。
マティアスは、懐かしい味のする干し芋をかじりながら、あの無愛想な神官にいつか火領で取れた芋を送らなくては、と思った。
「母上、マティアス殿、おめでとうございます」
「おめでとうございます!」
「おめでとござます」
ゲルトルートの子どもたちにも祝いの言葉をもらう。ありがとうございます、と頭を下げたマティアスに、二番目の子であるリヒャルトが首をこてんと傾けた。
「母上のあたらしい夫の人って、あまりつよくなさそうですが」
幼子の無邪気な言葉に、一瞬周囲が静まった。それを破ったのはゲルトルートだ。ゲルトルートは、息子の頭をなでながら笑う。
「強い夫はあなたの父上がいれば十分でしょう。マティアスは頭が良くて優しくて、それから野菜を美味しくしてくれるわ」
「すごいです!」
目を輝かせるリヒャルトに、姉であるアウグステラがうんうんとうなずいてみせる。
「マティアス様は、カボチャをたくさん採れるようにしてくれるって言ってました。お豆もおいしかったです」
マティアスは苦笑する。
「これからも、おいしい野菜がいっぱい育つように頑張りますね」
子どもたちが歓声を上げた。
◇◇◇
火領の領主、ゲルトルートは他領や天の神殿からも、傑物と評される領主であった。
女性の身ながら狩師の隊長を兼ね、痩せた土地の多い火領の農業事情の改善を強く推し進めた。二人の夫はゲルトルートをよく助け、子も五人に恵まれた。
「ジーク、あなたも抱いてあげて」
ゲルトルートの四人目の子にしてマティアスの初めての子が生まれたときのことである。
「いや、俺は……」
尻込みするジークハルトに、未だ床にいるゲルトルートはにこりと笑った。
「あなたが小さい子どもを苦手にしてるのは知っているけど、マティアスの子を抱くのをあなたが拒む様子を見せるのはよくないわ」
ジークハルトが情けない表情を浮かべる。珍しいものを見た、と赤子が生まれてからの数日で寝不足になった頭でマティアスは考える。
「別にマティアス殿の子だからというわけではなく……ステラもリヒャルトもヒルデも、赤ん坊の頃は壊しそうで怖かったんだが」
あまりに眉根が下がっているのを見て、マティアスは思わず口を出した。
「ゲルダ様、あまり無理には……」
「じゃあそこに座って。腕をこういう形にして。動かさないでね。はい」
はい、で赤子を渡され、ジークハルトが硬直した。
「お父様、こうです。首の下を支えてあげてください」
十歳になったアウグステラが、異父弟を抱く父の腕を確認している。
「これでいいのか!? あってるか!?」
「父上、あまり大きい声を出すとレオンハルトが起きてしまいますよ」
「次、ヒルデもおとうとをだっこしたいです」
「落としたらどうするんだ!」
おとしません、とむくれるヒルデガルドにゲルトルートが笑った。
「ヒルデ、こちらにいらっしゃい。お母様の隣に。……ジーク、レオンをこちらに。ジーク?」
「動くとすり抜けそうで怖い。なぜ赤ん坊というのはこんなにぐにゃぐにゃしているんだ」
「そういうものよ」
ジークハルトに助けを求めるように見られ、マティアスは硬直した。実はマティアスも生まれたばかりの我が子を抱くのはちょっと怖い。宙を移動させるなんてなおさらだ。
そんな二人を見てどう思ったのか、アウグステラがすっと進み出て硬直しているジークハルトの腕からレオンハルトを受け取った。そのままゲルトルートが支えるヒルデガルドの腕に渡す。
「おとうと!」
「僕も弟は初めてだ。早く一緒に遊ぼうな」
生まれたばかりの弟に歓声をあげる弟妹を見守るアウグステラに、マティアスは火領の統承は安泰だなと思った。
レオンハルトの髪は上の兄姉と同じく赤い色だ。火の直系のゲルトルートの属性が強く出たのだろう。どことなく寂しい気もするが、それよりも安心の方が大きかった。
願わくば、この家族の持つ火の加護に、自身の持つ土の恵みが加わりますように。
天の調和にか、火領山脈か、それとも土領の大地にか。なににともなく、マティアスはそう祈った。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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よろしければ『トゥーレ四領伝』の他作品(本編第一章、風領の外伝)もシリーズからどうぞ。
https://ncode.syosetu.com/s9252k/
ゲルトルートの娘、成長後のヒルデガルドが第一章『身代わりの風の子』にも登場します。




