91:助けを求める夢
――不思議な夢を見た。
暗い、とても暗い場所に私はいる。夜の暗さとはまた違う、星明りすらない真の暗闇だ。
それなのに私は周囲の様子が何となく分かる。
少し先に何かがうずくまっていた。
『くるしい……』
声が響いた。泥のような奇妙な淀みが、その体にまとわりついている。
『誰か、たすけて。ワタシの声に気づいて』
あまりに悲痛な声に、私の胸は痛んだ。
「待って、今行くわ。私にできることなら、力を貸すから――」
うずくまる何かに手を伸ばす。それがゆっくりと顔を上げる。
見えたのは大きな目玉だった。
(これは)
脳裏に昼間の記憶がフラッシュバックする。
波間に見えた、クラーケンの両目。船を攻撃してきたけれど、どこか本気ではなかった。
攻撃というよりも、あれは助けを求めていた? 気づいて欲しくて必死に手を伸ばしていたの?
いや、手っていうか足だけど。
あと、伸ばされた手(足)をさんざん食べちゃったけど!
クラーケンの目に凶暴さはない。子供のような頼りなさが灯っている。
「話を聞かせて。あなたは何を求めているの?」
『このままでは、仲間たちが死んでしまう……』
声が遠ざかる。暗闇が濃くなって、何も見えなくなる。
「……はっ!」
私はガバッと跳ね起きた。心臓がバクバク言っている。全身にかいた汗が寝間着に貼り付いて気持ち悪い。
窓を見れば、外はまだ暗かった。
同じベッドではフィンとミア、それからラテがすやすやと眠っている。
「何だろう、今の夢」
夢にしては妙に迫力があった。あれだろうか、タコ足三昧をされたクラーケンがいよいよ怒ったのだろうか……?
(いいや、違う)
クラーケンはずっと悲しげで、怒りは感じられなかった。
私はお腹を押さえる。
昼間、タコパ・タコ三昧でさんざん食べまくったタコ足が、何だか熱を持っている気がした。
◇
明けて翌朝。
私は昨晩の夢を思い出していた。
今でもしっかりと覚えている、あのクラーケンの悲しげな様子。
昨日食べたタコ足はもう消化されたはずなのに、どこかでまだあの魔物の気配を感じていた。
「……まさかね」
私は絶対倉庫の内部に感覚を伸ばす。
このほとんど無限の亜空間は、私だけの特別な領域だ。どれだけたくさんの物を放り込んでも、どこに何があるか手に取るように分かる。
今も少し心を向ければ、半分だけ残った巨大タコ足の様子が鮮明に脳裏に浮かんできた。
私の絶対倉庫は時間停止の強力オプション付きである。だからタコ足も今は動きを止めている。取り出せばまたウネウネすることだろう。
だが。
完全に時が止まっているはずなのに、タコ足からは魔力が感じられた。こんなことは初めてだ。
クラーケンは伝説と呼ばれるほどに珍しく強大な魔物。しかも本体はまだ生きていて、足は切り離しても元気にうねっている。
こういう特殊な条件が倉庫に影響を及ぼしているのかもしれない??
「うーん……」
私は考えた。
クラーケン。タコ足。タコの柔らか煮おいしい。
「ま、いっか!」
考えても分からないものは仕方ない。
クラーケンは私たちに、とっても美味しいタコ足を分け与えてくれた。
いや与えてくれたわけじゃないだろうが、結果的にとても美味しかったので。
なら今度もう一度出会うことがあったら、お礼を言わないと。あと何か言いたげだったから、話を聞かないと。
「ルシル、おはよぉ……」
寝ぼけ眼のミアが、寝グセだらけで起き上がった。フィンとラテはまだ眠っている。
私は彼らを起こして、宿屋の食堂へ向かった。
「おはよー、みんな」
「おはよう、ルシル」
アルフォンス、クラウス、ギルはもう食堂に揃っている。
食堂で出されたパンとチーズを食べながら、今日の作戦会議だ。
私はまず、昨日の夢の話をした。ただの夢と片付けるには、色々と関連性があったからだ。
「クラーケンが助けを求めているって? 夢で?」
ギルがうーんと唸った。
彼は朝っぱらからしっかり髪型を整えている。ズボラな私には真似できない芸当だ。
「ちょっと信じられないけど、ルシルの勘は割と当たるからなぁ。ラテちゃんはどう思う?」
『おぬし、まだちゃん付けを……もういいわ。まあ、クラーケンが伝説と呼ばれるほどの魔獣であるならば、吾輩のように念話を使っても不思議ではない。しかし問題は何故ルシルにだけ声が届いたかだ』
「私が昨日、誰よりもたくさんタコ足を食べたからとか」
『それはどうなんだ』
ラテは呆れた顔である。
「じゃあ、絶対倉庫にタコ足を半分入れているから、とか。あのタコ足、時間停止しているはずなのに魔力が漏れているのよ」
『む』
ラテは顔を上げた。
『あり得るかもしれんな。人間の能力は吾輩はよく知らんが、ルシルの倉庫に関しては、思い当たるふしがある。あれはおぬしの概念的領域であろう。いわば身の内だ。それに取り込んだのであれば……』
「ちょ、ちょっと待って! 何そのなんとか領域って!」
急に難しいことを言い出したラテに、私だけでなく他のみんなも首を傾げている。
『亜空間使いの定番だろうが。魔獣にも亜空間を操るものはそれなりにいる。亜空間は既に存在するものに接続するタイプと、自ら新たに作り出すものがあり――』
「ごめん。ぜんぜんわかんない」
『愚か者が! 自分の能力なのに、研究一つせんとは!』
ラテは怒りの猫パンチを繰り出した。痛い。
アルフォンスが顎に手を当てた。
「なるほど……興味深いね。人間は小や中であれば倉庫の能力者はけっこういるんだ。でも原理は不明とされてきた。ラテは本当に賢い。後で話を聞かせてくれ」
『フン。別に吾輩も詳しくはないぞ。能力は本来、本能で使うものだからな。しかし吾輩が微生物の本質を理解した時に、能力の本領が発揮できたように、研究による伸びしろはある。まあ、タコの唐揚げを寄越すなら話してやらんでもない』
めんどくさ。私は研究は料理だけで手一杯よ。
顔に出ていたのだろう、ラテは私をじろりと睨んだ。
「話を戻すけど」
と、ギル。
「クラーケンが住む深海まで汚染が広がっているとしたら、相当深刻な話だ。早急に原因を突き止めないといけないね」
「……船から見た限りでは、川が怪しかった」
ここで初めてクラウスが口を開いた。気配が消えていて気づかなかったわ。
私は頷いた。
「川は怪しいわね。けど一応、他の地域も確認しておきましょう」
『何? また船に乗るのか?』
ラテが後ずさる。
「いいえ、バーバラさんの船はボロボロになっちゃったからね。他にも確認する方法はあるわ。……ミア、出番よ」
ミアの頭を撫でると、彼女はきょとんとして私を見上げてきた。




