11:新しい誓い
「山羊も可愛いなあ。そうだ、どうせお乳はいつも必要になるんだから、母山羊を飼ったらどうだろう。名前はユキちゃんでさ」
思い浮かぶのは、アルプスの大自然で山羊とたわむれる少女である。
私の呟きを聞いた山羊の飼い主の少年が、苦笑した。
「シスターのお姉さん、見通しが甘いよ。お乳は仔山羊がいる時しか出ないから、定期的に種付けしないといけない。生まれた仔山羊もオスなら、少し育ててから市場に肉として出荷するだろ。手間がかかる。お乳が欲しいだけなら、買った方が早いって」
「あ……そうよね。考えが足りなかったわ」
私は恥ずかしくなりながら、山羊乳を買った。かなり大量に買ったものだから、店番の少年がびっくりしている。
「シスター、そんなに買って大丈夫? うち、配達サービスはやってないんだけど」
「大丈夫、大丈夫。――格納っと」
たくさんのバケツをすっかり倉庫に格納すると、少年は目を丸くしていた。
こうしてしっかりと必要なミルクを確保した私たちは、颯爽とした足取りで割れ鍋亭へと帰ったのだった。
◇
倉庫から取り出した山羊ミルクのバケツをずらりと並べると、厨房はいっぱいになってしまった。
「ラテ、お願いできる?」
『任せるが良い』
かまどに火を入れる。
私が前世の知識でミルクを最適な温度に温めれば、ラテがその壺に意識を集中させる。
彼の体から放たれた金色のオーラが、並べられたミルクのバケツをふわりと包み込んだ。するとただの山羊乳が、次々と極上のヨーグルトへと変化していく。
腐敗の魔獣の力が、生命を豊かにする創造の力として完全に機能している。本当に奇跡としか言いようのない光景だった。
私たちの知識と能力を組み合わせることで、他の誰にも真似できない「秘伝のヨーグルト」が完成した。
山羊ミルクのヨーグルトは、前世日本人の感覚からすると少しクセがある。
でもそのちょっとのクセが、だんだん豊かな風味として欠かせなくなってくるのだ。草原を吹き抜ける風のような、アルプスの高原の爽やかな空気のような、大自然の息吹が感じられる。……この世界にアルプス、ないけど。
遊牧民にもらった羊のヨーグルトよりも、酸味は控えめでクリーミィ。濃厚なコクが喉を滑り落ちていく。
ハチミツやジャムがほしいけれど、単体でも十分に楽しめる味だ。
「うん、美味しい! これだけでも売り物になりそうなくらい」
『うむ。あとでおやつで食べよう』
誇らしげなラテを見て、私は最高の相棒を得たと改めて実感した。
◇
「やった! 今日はケバブサンドあるのか!」
「シスター、二つくれ!」
ヨーグルトの安定供給が可能になったおかげで、私はケバブサンドの本格販売を再開した。
品切れを嘆いていた常連客たちは大喜び。店の前には以前にも増して長い行列ができる。
「『割れ鍋亭』に行けば、いつでもあの魔法の肉料理が食べられる」
そんな噂が王都中に広まり、店の評判は不動のものとなった。売上も順調に伸びて、宿屋の本格的な改装計画もいよいよ現実味を帯びてきた。
◇
ある日の午後。私は忙しく立ち働きながら、店の前に続く行列を眺めていた。私の隣にはラテもいて、同じ風景を見ている。
(今日も順調。お客さん、みんな笑顔だわ)
充実感を感じていると、ふと、お客同士の会話が耳に飛び込んできた。
「今年の建国祭も、修道院で貧しい人への炊き出しがあるらしいぜ。まだ先の話だがな」
「どうせまた、味のない薄い麦粥だろうけどな」
「大修道院」「炊き出し」――その言葉に、私の胸が締め付けられる。
私が育ち、そして追放された修道院。そこに今も残されている、孤児たちの顔が脳裏に浮かんだ。
(あの子たちは、ちゃんと美味しいものを食べさせてもらえているだろうか……?)
私が作ったあのシチューのように、栄養のある温かいものを食べているだろうか。
いや、ヴェロニカのことだ。炊き出しのために集まった寄付金すら、懐に入れているのではないか。
私は以前から、修道院長ヴェロニカの横領を疑っていた。
無垢な修道女見習いだった頃は、心の片隅で疑念を持っているだけだった。
でも今は違う。前世の記憶を取り戻した今、修道院での出来事を思い返すにつれて「おかしい」としか思えない。
あの修道院は貴族出身のヴェロニカが院長を務めているだけあって、大物貴族や大商家とパイプが太かった。
寄付金や物での寄付も多く、修道院は潤っていたはずだ。
それなのに一般の修道女たちは絵に描いたような清貧で、孤児たちも貧しいままだった。ろくに食べるものもなく、着古して擦り切れた服をボロのようにまとっていたっけ。
では、潤沢にあったはずのお金と物資はどこへ行ったのか。
ヴェロニカが清貧の仮面をかぶりながら、しばしば贅沢な薔薇風呂に入ったり、高価な化粧品を使っていたのは、身の回りの世話をする修道女たちの間ではよく知られていた。
でも、それだけで巨額のお金を使い切れるはずもなく、深い闇が感じられる。
みんな萎縮してしまって、告発する人はいなかった。あるいはもしいても、私のようにさっさと追放されていたのかもしれない。
今の私の成功は、まだ自分のためでしかない。
本当に救うべきは、かつての自分と同じように不当な扱いを受けているだろう、あの子供たちではないか?
『ルシル?』
ラテが、私の心の変化を察して、心配そうに見上げてくる。
私の表情から、商売の成功を喜ぶ笑顔は消えていた。代わりに浮かんだのは、決意の色。
(そうよ、忘れるところだった)
私は心の中で、決心した。
(私の戦いは、まだ始まってもいない。今のままでは、孤児院の子たちを助けることはできない。もっと力をつけて、もっとお金を稼いで。ヴェロニカからあの修道院と孤児院を取り戻せるくらい、強くならなきゃ!)
正直なところ、具体的にどうしていいかすら分からない。ヴェロニカの力がどのくらい強いのかも分からないのだ。
けど、必ずあの子たちの笑顔も取り戻してみせる。
美味しいものをいっぱい食べさせて、まんまるの笑顔にしてみせる。
店の前に並ぶたくさんのお客さんを見ながら、改めて誓った。
お読みいただきありがとうございます!
第1章はここまでになります。次の第2章ではレシピと仲間が増える予定。
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