ごじゅういち
羨ましい。
全てを持っている彼女が。
妬ましい。
唯一欲しいと願った者すら、奪う彼女が。
見せつけるように共に歩く姿。恋慕う顔を隠しもしない姿。
胸の奥から湧き上がる感情。心の中で、大きな声で泣き叫ぶ。
『なんで! なんで! あの子ばかり!』
『わたくしは! こんなに辛いのにっ……!』
『なんで、彼すらも!』
そんな思いは募り募って。
彼女の心の奥にある〝本当の〟願いに応えて、カタチを成す。
──『あの子なんか、いなくなってしまえばいいのに』
そうして放たれたのは、無意識の攻撃。呪いの一針。
(……え? 魔力が勝手に抜けていった……?)
そう思った次の瞬間には──……王太子妃ミランダが、血を溢しながら倒れていた。
「!? 妃殿下っ!」
「お……お母様っっ!?!?」
「きゃ……きゃぁぁぁぁぁぁぁ!?」
令嬢の悲鳴を皮切りに、会場は阿鼻叫喚に包まれた。
王太子妃の背後にいた騎士が王太子妃を抱き上げて、慌てて走り去っていく。お茶会の警備をしていた騎士達が、先ほどまで王太子妃と言い合いをしていた女性を拘束した。
「わたくしではないと! 言っているでしょう!」
そう……そうだ。
犯人は、彼女ではない。
「…………嘘……」
小さな呟きは、騒ぎに紛れて、誰の耳にも届かずに空気に溶ける。
その後、恐怖に泣きそうになりながらも、毅然とした態度で対応した王女ミラベルの指示によって、お茶会は中止となった。
お茶会が終わるまでと待機していた家の馬車に乗り込み、屋敷へと帰る。
あまりにも早く帰ってきたことに母は訝しんでいたが、生憎と何があったかを話す余裕はなく。自室に帰ってきたエレインは息を荒げながら、閉じた扉に背を預けて崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
普段の淑女らしい彼女であればそんなみっともない行動はしなかっただろう。けれど今は、そんなのを気にすることができないほどに、動揺していた。
(そんな……まさか……まさか! あんなことになるなんてっ……!)
ほんの少しだけ、羨ましいと思っただけなのだ。
無条件に親に愛されて、親に庇護されて。唯一欲しいと望んだ人すらも手に入れている──王女が。
だから狡いと。羨ましいと。妬ましいと。
ほんの少しだけ、そう思ってしまっただけなのに。だけだったのに……。
「あ、ぁ、あぁぁぁぁぁあっ……!!」
エレインは叫ぶ。
絶望を滲ませた声で。憎悪に満ちた声で、叫ぶ。
その瞳は……いつしか魔法が解けて。
血のように赤に、染まっていた。
◇◇◇◇
王太子妃ミランダが第三王女ミラベルが開いた茶会の席で倒れたと聞き──……ディナントは直ぐに、彼女の元へと駆けつけた。
「ミラ!!」
王太子妃の部屋──寝室。
ベッドの上に寝かされたミランダは、苦しそうな顔で荒い呼吸を繰り返していた。
「容体は!」
ミランダの診察を行なっていた典医に問いかける。
王宮で医師を務める初老の男性は、冷や汗を掻きながら恐る恐るそれに答えた。
「……その……今は小康状態を維持しておりますが。徐々に衰弱なさっているのは、間違いありません」
「っ……! どうにかできないのか!?」
「も、申し訳ありません……! 解毒の魔法は効果がなく! 回復魔法、治癒魔法も今の状態を維持するだけで精一杯でしてっ……!」
「…………そん、な!」
ディナントは今にも泣きそうな顔になる。
愛しい妻が原因不明の病か〝何か〟で倒れて、意識不明の状態になっているのだ。今はなんとか持っているとのことだけれど。それがいつまで続くかは分からないし。いた容体が悪化するかも分からない。
「ミラッ……!」
「ディナント」
名を呼ばれたディナントは、ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは険しい顔をした両親──国王ディバルト・フォン・セヴェールと、王妃イーリス・ルソル・セヴェール。
国王は息を荒げるミランダを見て、「王太子妃は?」と問いかけてくる。ディナントは先ほど自身が聞いた説明を両親にもし……顔を歪めながら、視線を伏せた。
しかし、そんな息子を父親は叱責する。
「…………何をしておる、ディーよ」
「陛下……」
「嘆いている暇があるならば、ミランダを救う術を探さぬか。直ぐに国内外に知らせを出せ。謎の病に倒れた王太子妃を救え、と。もしも王太子妃を救うことができたなら……セヴェール王家の名において叶えられる願いを叶えてやると、伝えることも忘れるな」
「!! は、はいっ!」
ディナントは慌てて駆け出し、部屋を後にした。
王太子でありながら落ち着きがない姿に少し呆れてしまうが、この二人は相思相愛の夫婦であるのだから仕方ないのかもしれない。
「陛下」
「うむ。イーリス、お前はミランダについていてあげなさい」
「えぇ、そうさせていただきますわ」
ディバルトは苦しそうな息を溢す義理娘を一瞥してから、医師達に「王太子妃を頼んだ」と言い残し、部屋を後にする。
本当はディバルトも義理娘についていてやりたいが、王族全てが付きっきりとなってしまえば、国を守る王族としての務めを疎かにすることになる。ゆえに、ミランダのことは王妃と王太子に任せ、他の公務は全て国王が担うことが、ディバルトなりのやり方であった。
しかし……。
国内外から凡ゆる腕利きが訪れようとも、王太子妃の容体は回復することがなかった。
それどころか。
「何故……何故なんだ! どうしてこんなことにっ!」
ディナントの絶叫が響き渡る。
いつからか……ミランダの皮膚に浮き上がり始めた黒い痣。それは徐々に濃くなって、日を追うごとに範囲を広げていった。
「……これは……一部の魔物が使う呪いに、似ておりますな……。察するに、王太子妃の命はこの痣が広がり切るまでかと」
「……っ!」
ミランダが倒れてから一週間で、痣はその身体の半分まで広がっていた。つまり、だ。残された猶予は後一週間足らず。
「…………国王陛下」
国王の執務室にて。
そう、王太子から報告を受けた国王ディバルトは、息子が次に言うであろう言葉を察していた。
「聖女マリアに、助けを求めることをお許しください」
「…………」
本当は、分かっていた。きっと、聖女マリアに頼めば。ミランダは助かるだろうと。
しかし、それは聖女を表舞台に引きずり出すということだった。
(まだ、聖女がエキセアで断罪された理由が判明していない……。断罪を目論んだ犯人も、だ。なのにここで聖女マリアの所在を。安否を明らかにしてしまうのは……彼女の身を危険に晒すことになる)
それに、だ。聖女がこの国にいると分かったら。
下手をしたらセヴェール王国が聖女マリアを拉致した──なんて冤罪をかけられる可能性もある。
加えて、この国だって一枚岩ではない。国内外問わず、聖女マリアの恩恵を授かろうと、画策する者が出てくることだろう。
大事な身内、王太子妃の命と。周辺諸国を巻き込む聖女の問題。
どちらかを選べと言われれば……ディバルトは、国王として後者を選ぶしか、ない。
「…………ならん」
「陛下っっ!!」
「聖女の身を危険に晒す方が、事の次第は大きいのだ。諦めろ、王太子よ」
「…………っ!!」
名を呼ばなかったことで、ディナントは父親が国王として判断したのだと察したのだろう。
例え、身内を危険に晒そうとも。命の危機であろうとも。国王は、王族は、国の安定を優先しなくてはならないのだから。だからディバルトは、冷酷な判断を下す。
しかしそれを、ディナントは受け入れられなかった。
それほどまでに、王太子妃ミランダを愛していた。
「陛下っ……! 陛下っ! 奇跡です! 奇跡が起きました!」
典医からの報告で、国王は息子が王太子ではなく。妻を愛する一人の男として行動したことを理解した。
(わざわざ……情報規制をしてまで、マリア嬢にミランダの一件が伝わらぬようにしていたというのに。彼奴という奴は)
ミランダのことは既に公になっていた。聖女に頼る以外はどんな手段を使ってでも構わないと思っていたから国内外問わず、王太子妃を救えと呼びかけた。
しかし、聖女を表舞台に立たせぬために。マリア達にはその情報がいかないように──ロキは覗く──徹底的に、情報規制を行っていたというのに。ディナントは自ら、聖女に懇願したのだろう。
そして、マリアは聖女として実際に……王太子妃を救ってみせた。
(……ミランダが倒れたことを公にしていた以上、回復したことも直ぐに公になるだろう……。となれば、聖女を隠しておくことは不可能だ)
数多の人間が王太子妃の回復に、匙を投げたのだ。そんな不可能に近い問題を解決したとなれば、解決できるほどの治癒魔法の使い手となれば、自ずと誰だか分かってしまうもの。
それに……既に聖女マリアの存在は、何人もの人間の目に触れてしまっていた。隠し切ることは、できない。
「…………頭が痛いな」
聖女の問題を考えると頭が痛くなる。
しかし……本心は。本当の気持ちは。
(……助かって……良かった……!!)
喜ばずにはいられなかった。安堵せずにはいられなかった。
だって、ディバルトにとっても、ミランダは大切な家族なのだから。死なずに済むに越したことはない。
「…………あぁ……」
国王は目元を手で覆って、息を溢す。
その手の下から伝う涙を、見る者は誰も、存在しなかった。




