4.たとえ天狗に睨まれても
時が止まったような静寂が、わたし達を包み込んでいた。あれほど好戦的だった白蓮様も、表情こそ鋭いものの大剣を握り締めたまま立ち止まっていた。睨みつけるその先は、地面の上に横たわる月夜先輩の姿。じっと見つめたまま、白蓮様は嘆くように言った。
「そんな馬鹿な」
その声が聞こえた瞬間、時が再び流れ出したように感じた。急激な疲労がわたしの身体を襲い、立っていられなくなる。背中の翼は恐らく消えているだろう。それどころか、炎の剣すら持っていられなかった。横たわる月夜先輩の傍に座り込むわたしのもとへ、すぐ傍にいた銀様や小雨ちゃんが駆け寄ってきた。小雨ちゃんに身体を支えられながら前を向けば、いつの間にかこちらに来ていたらしい真昼ちゃんの姿が見えた。涙でべとべとになった顔で、真昼ちゃんは月夜先輩に呼びかけている。
「姉ちゃん!」
その悲痛な声が届いたのだろうか。月夜先輩の瞼は開いた。
「あ……れ……?」
その様子を見て、わたしは感じ取った。犬神の気配を感じない。あるとしてもごく僅か。かつてのような、そしてついさっきまでのような圧倒的な気配を感じない。月夜先輩はまるで、普通の人間のようになっている。
「戻った」
そう言ったのは、わたしと小雨ちゃんの傍に立つ銀様だった。
灰色の翼を広げ、さり気なく白蓮様の動きを牽制している。だが、その視線と意識は、月夜先輩の方に向いていた。
「敵意を全く感じない。限界を迎える前の状態に戻っている。……いや、かなり弱っていると言うべきか。とにかく、さっきまでの禍々しさが嘘のようだ。マナ、君がやったのか?」
ちらりと銀様に見降ろされ、わたしは答えに詰まった。
わたしがやった。確かにそうだ。それは覚えている。しかし、どうやってやったのか、思い出すことが出来なかった。どうして月夜先輩を止められたのか。どうして禍々しさが消えたのか。ただの高校生のわたしには答えられなかった。
真実を知っているのはわたしではない。わたしに寄生するハートの方だ。
「赤い竜です」
だから、わたしはそう答えた。
「わたしではなく、赤い竜がやったんです。そう言う事も出来るって、そんな力が本来はあるって、教えられたんです」
そう答えるわたしを、銀様は興味ありげに見つめてきた。だが、その一方で、鼻で笑う天狗もいた。白蓮様だ。
「信用できるか。所詮は竜の言葉。その気まぐれに翻弄されてはいけない。そうじゃなければ、何故、俺らがいる。これまで同じ事を繰り返してきたんだ。これが唯一の道、正しい道として、数えきれないほど葬ってきたんだ」
けれど、白蓮様の興奮も先ほどと比べてだいぶ冷めていた。
「だが、これだけは確かだ。月夜はもう殺す必要はないらしい」
そう言って、白蓮様は大剣を放り投げた。地面に落ちる前に武器は消え、武器が消えると同時に白蓮様は周囲に向かって大声で言った。
「今日はもういい。解散だ。パピ子、今記録したものを全てフウ子に送れ。帰ったら黒百合としばらく話し合わねばならないようだ」
そう言って、白蓮様はわたしを睨みつけてきた。警戒している。それとも、不気味に思っているのだろうか。どうやら月夜先輩を死なせずに済んだようだけれど、その代償がどれだけわたしに不利を与えるのか、今はまだ分からない。
緊張しているわたしの傍に、そっとバタ子が近寄ってきた。
『マナ、大丈夫?』
声をかけてくる彼女に頷き返すと、バタ子はホッとしたように身体を揺らした。
『良かった。身も心もドラゴンになっちゃったわけじゃないみたいね』
「──だが、あまり安心は出来ないね」
バタ子にかぶせるように言ったのは、銀様だった。
彼女はしゃがみ込み、わたし達に視線を合わせてくる。美男子のようにも見えるその顔に、少しだけ心配そうな表情を浮かべていた。
「うまくいったとはいえ、その様子だと無茶をし過ぎている。藍が知ったらきっと不安がるだろう。君からハートを奪わねばならない日が怖いと言っていたから」
「……すみません」
責められているような気がして何となく謝ってしまったわたしに、小雨ちゃんがさり気なく身を寄せてきた。そして、近くにいる銀様にも、バタ子にさえも聞こえないような小さな声で、小雨ちゃんは囁いてきた。
「ありがとう、マナ。あなたのお陰で──」
そこで言葉を詰まらせる彼女の表情を見て、わたしはようやくほっとした。
白蓮様の反応は悪いし、銀様にだって苦言を呈された。黒百合隊長や他の天狗たち──特に藍さんがどんな反応を見せるか分からないけれど、この様子だと芳しくないだろう。
けれど、それならわたしは間違っていたのか。いや、違う。そんな事はないはずだ。ないと言える自信を、小雨ちゃんの言葉から得ることが出来た。
(我は従うだけ。正しいかどうか判断することも出来ぬ。どの道を歩み、どの空を飛ぶかはそなたが決めるといい)
この身に宿る竜に止められないのを良い事に、わたしの気持ちはますます固まっていった。今は偶然かもしれない。たまたま月夜先輩を助けられたのかもしれない。それでも、わたしはこの力をモノにしたい。
だって、この力があれば、わたし達は人間のままでいられる。この力があれば、天狗たちに殺される必要はない。この力があれば、もう誰も乙女先輩たちのようにはならない。この力があれば、小雨ちゃんを悲しませることはない。
その為だったら、たとえ天狗に睨まれたとしても構わない。
『マナ……』
ふらりとバタ子が飛んできて、わたしと小雨ちゃんの顔の間近にやってくる。彼女もまた天狗たちの仲間だ。機械蝶々がどれだけ自分の意思というものを持っているかなんて分からないけれど、これまでのようにあまり心を許す気にはなれなかった。
そんなわたしの内心を、バタ子のレンズがどれだけ見透かしているかは分からない。ただ、無機質なその目でじっと見つめながら、バタ子はいつものように言った。
『とにかくお疲れ様。あとはゆっくり休んでね』
その純粋な労いの言葉に、わたしはぎこちなく頷いたのだった。
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次の更新は2月11日(土)の予定です。




