4.いったい何が起こったのか
日の出と共に戦いは終わった。
力を取り戻した白蓮様が駆けつけたかと思えば、その大剣があれほどしぶとかった古椿の枝をあっさりと断ち切ってしまった。
一瞬にして大木は細切れになり、ばらばらになった後でわたしの良く知っている乙女先輩の姿が再び現れた。地面の上で膝をつく彼女は、意識があるのかどうかも曖昧だった。ただ、虚ろな目で見上げてくる彼女に対し、白蓮様は躊躇いもなく大剣を向けた。
──これまでご苦労だった。
その一言は長く天狗たちに協力してきた乙女先輩への労いだっただろう。でも、わたしにはどうしても冷たすぎるように聞こえてしまう。
それから、残酷なまでに事は運び、気づけば乙女先輩の姿はそこになかった。
全てが終わり、裁きの結界が閉じられる。結界を作っていた機械蝶々のチョウ子をおりんが静かに労うのを傍目に、わたしは傍にいたバタ子に声をかけた。
「ねえ、バタ子。教えて欲しいの」
バタ子は何も言わない。けれど、構わずにわたしは訊ねた。
「どうして乙女先輩はああなってしまったの?」
『言ったはずよ。乙女の事は確かな事はアタシにも分からない。ただね、怪獣のハートは突然、本来の怪獣らしさを目覚めさせてしまうこともある。早ければ一日で討伐対象になった例もある。その背景はさまざまよ』
「透のせいだって、そう言っている人もいるって……」
小声でそう言うと、バタ子はレンズの目をわたしに向けてきた。
『不確かな事は断言できない。ただ──』
と、バタ子が言いかけたところへ、別の者が口を挟んだ。
「ただ……似たような前例はある」
藍さんだった。
古椿にやられた体の傷は、やはり軽いものではなかったらしく、まだ体を庇っている。とはいえ、黒百合隊長のように酷い傷にはならなかったようだ。一応は歩けるようだし、一応は飛べるだろう。そんな状態で、藍さんはわたしの傍まで近づいてきた。
「私たちと協力関係にあって、心身も人間らしく安定していた怪獣が、急に凶暴化してしまうのには必ず何かしらの理由がある。その中には私たちには事情が分からないものもあるでしょうけれど、はっきりとした要因が特定できるケースもあるの。その一つが、透の接触よ」
凍てつくような鋭い声で藍さんは言った。
「私たちは本能のままに力を解放させる怪獣たちから人間たちを守るために存在している。それが存在理由である限り、好き勝手に生きて、ともすれば人間たちにも牙を剥きかねない怪獣たちは封印しなければならない。だから、怪獣のハートに寄生された宿主には、人間のままでいてもらわなくては困るの。でないと、私たちはあなた達が誕生した時に殺さなくてはいけなくなる」
わたしのすぐ前に立ち、藍さんは見下ろしてくる。
いざとなればわたしを殺せる水の力のせいだろうか。手負いであり、万全な状態でないと分かっていても、冷えきったその視線に心の底から震えてしまった。
「でも、透は違う」
藍さんは続けた。
「彼女は私たちのような使命を背負っていない。自身の、その独善的な考えのもとで、自然に生まれたものを尊んでいるそうよ。彼女の道理に従うならば、怪獣は速やかに怪獣になるべき。いつまでも人間らしくあり続けることは間違っている。それがたとえ、本人の希望でなかったとしても、透は宿主の中にあるハートを刺激して怪獣にしてしまう。そんな力が彼女にはあるの」
「……じゃあ、乙女先輩も?」
震える声で真っすぐ訊ねると、藍さんは少しだけ目を逸らした。
答えは得られなかった。
はっきりとしたことは分からない。
その言葉がわたしの脳裏をぐるぐると回る。明確な答えが得られないことがどれだけ歯痒く不快なことなのか、この時ほど思い知らされたことはなかっただろう。
重たい空気が流れ、沈黙が生まれる。
天子の時も、オロチの時も、その顛末には似たような空気が流れたものだったけれど、あの時とは比べ物にならないほど沈鬱な空気に包まれている。
疲れているのは身体だけではない。終わったという解放感以上に、深い落胆と虚しさがどっと押し寄せてくる。それはきっと、新米のわたしだけが感じているものではないのだろう。同じ怪獣たちも、聖獣たちも、そして天狗たちや機械蝶々たちさえも、神妙な面持ちを崩せずにいた。
だが、疲れを癒していた白蓮様の深い吐息が、その場の空気をがらりと変えた。
「安心しろ。身も心も化け物になる前に、俺が全てぶった切ってやるよ」
荒々しいその声に、ピリッとした緊張感が生じた。
わたしもいつか、あの大剣の餌食となるのだろうか。そんな不安が以前よりも身近なものに感じられた。だが、怖さを感じる事さえ、今のわたしには難しかった。それどころか涙すら流れない。いまだにわたしは戸惑いの中にいて、そこから這い上がることが出来ないままだった。
結局、その日はそのまま解散となった。
小雨ちゃんと共に帰路を歩む間も、交わす言葉は生まれない。ただ、そのまま真っすぐ帰るのは心細く感じたのだろうか、わたし達の足は自然と眺めの丘へと向かっていた。
昇りゆく朝日を眺めながら、わたしは昨日から今日にかけての事を思い出していた。乙女先輩に教わったことを活かしながら戦っていた小雨ちゃんの姿も思い出していた。
困惑の渦中にいるわたしを置き去りにするように目まぐるしく時は進んでいき、白蓮様は躊躇いもなくその大剣で乙女先輩の命を奪った。
悲鳴もなければ恨み節もない。虚ろな眼差しで白蓮様を見上げていた乙女先輩は、最期に何を感じたのだろう。
命を奪われ、消えてしまう前の乙女先輩の姿と、このひと月ほどの僅かな間に何度か会った時の乙女先輩の姿が重なる。
それでも、不思議と涙は出なかった。
「乙女先輩はきっと分かっていたのでしょうね」
朝日を眺めたまま、小雨ちゃんはぽつりとそう漏らした。
「分かっていたから、わたし達の訓練に付き合ってくれたのかも」
「そう……なのかな」
横で呟くわたしを、小雨ちゃんは静かに見つめてくる。
「最後に訓練に付き合って貰った日の事、マナは覚えている?」
問われるも、わたしは答えられなかった。
最後はいつだっただろう。一昨日だったか、その前だったか。ともかく、あれが最後になるなんて微塵も思っていない時だった。
当然のように次があると信じていたし、また何処か楽しい場所を紹介できればいいと軽い気持ちで構えていた。嘘みたいだ。
ぼんやりとしたままのわたしに呆れたような溜息をもらしてから、小雨ちゃんは続けた。
「最後となってしまった訓練の日、乙女先輩は呟いていたのよ。『ここまで出来たら、指導も必要ありませんね』って。そんなことない。まだまだ教わりたいことはあるって言ったけれど、乙女先輩はあの時から限界だったのかもしれない」
ああ、言われてようやく思い出せた。
なんとなく覚えている。ただ取り留めもない会話として記憶していたけれど、今思えば小雨ちゃんの言う通りだったのかもしれない。
──孤独の病かの。
いつだったかレッドドラゴン様が言っていた言葉も思い出した。
乙女先輩は明らかに生きることに苦しんでいた。それが何故なのか、新人怪獣のわたしにはまだまだ想像もつかなかった。けれど、どうにか生きることを楽しんでもらいたくて、交流してきた一か月だった。力不足だったのだろうか。それとも、やっぱり透のせいでこうなってしまったのだろうか。どうしようも、なかったのだろうか。
分からないままわたしは沈黙してしまっていた。
(全知全能の神でもなければ全ての真実など分からないだろう)
竜の声がわたしの頭の中で響く。
(だが、我は思うぞ。少なくともこのひと月、乙女はそなたたちのお陰で楽しく過ごせてはいただろうと)
その言葉がスッと心に沁み込んだ瞬間、ほろりと一滴だけ涙が頬を伝っていった。




