3.変わらないもの
十年という月日が長い事をわたしは良く知っている。
大人たちはあっという間だと言うけれど、そうはいってもあらゆる物事が大きく変わるもので、わたしと小雨ちゃんが次々に案内した場所は、乙女先輩にとってもそういう場所だったらしい。
あれもこれも珍しい。前にいた時はこういうものがなかった。もしくは、前にあったあのお店にちょっと似ている。とにかく案内するごとに目を輝かせ、様々な感想を率直に述べる乙女先輩の姿に、わたしは心からホッとした。
どうやら楽しんでもらえたみたい。
(我も満足だ。欲を言えばちいずいんはんば──)
さて、短い間ではあったけれど、時間の許す限りありとあらゆる場所を巡れたものだと思う。恐らくこの町にあるお店のうち、わたしや小雨ちゃんの良く知る場所はだいたい回れたのではないだろうか。立ち寄るごとにちょいちょい買い食いをしたこともあり、お腹もだいぶ満足だ。残る時間をわたし達は天狗たちのお屋敷方面へとただ歩いていた。
「今日は色々回れて楽しかった」
乙女先輩は上機嫌でそう言った。
「これまでずっとオロチを追いかけてきて、考えてみたらこの十年、今日みたいに思い切り羽を伸ばした事もなかった気がします。黒百合隊長の言う通りだったかもしれませんね。そのくらい楽しかったし、リフレッシュできたみたい。二人とも、今日は本当にありがとうございました」
そう言って微笑む乙女先輩に笑みを返そうとしたその時、わたしはふと乙女先輩の表情に違和感を覚えた。笑っているのは確かだ。目も、口元も、どの文化の人がどこからどう見ても笑っているのは間違いない。けれど、どうしてだろう。わたしには乙女先輩の内心──寂しさのようなものが一瞬だけ透けて見えたような気がしたのだ。
勿論、気のせいかも知れない。思い過ごしかもしれない。他人の心が分かるなんて力はレッドドラゴン様から授かってはいないし、それなのに分かると言い切るのは傲慢なのかもしれない。
それでも、わたしは引っかかったのだ。
このまま終わりにしていいものだろうかと。
だが、だからと言ってどうしたらいいのかが、わたしには分からなかった。
もやもやしたまま天狗たちのお屋敷まで帰りつく。そのまま今日はお開きだろうかと薄々感じていると、乙女先輩はそのままお屋敷の中へと入ることなく、すぐ傍の崖沿いへと向かっていった。手すりにつかまって見つめる先は、町から一望できる市のシンボルでもある火山だった。
初めてここに来た時もそうだったが、大変景色がいい。
「ここはいつ見ても変わらないな……」
そう呟く乙女先輩の隣に、わたしと小雨ちゃんも続いた。
生まれてこの方、物心ついた頃から見てきた景色だ。他の地域の人は驚くかもしれないが、噴火は頻繁でそんなに驚くこともない。噴煙があがっていても、いなくても、いつもの景色である。当たり前の景色。何も変わらない景色でもあった。
「背の高い建物がだいぶ増えたけれど、この景色はあまり変わらない」
そう静かに呟く乙女先輩をふと見つめて、わたしはハッとした。
──泣いている?
気のせいだったかもしれないが、薄っすらと涙が浮かんでいるように見えたのだ。けれど、まじまじと見つめる隙も与えず、乙女先輩はすっと身を翻すと、火山に背を向けた。そして、天狗たちのお屋敷をにこにこしながら眺めていた。
「この建物も長いんです。そうですね、築二十年くらいは経っているのかな」
「ここが建った時の事、先輩は覚えているんですね?」
小雨ちゃんが訊ねると、乙女先輩はしっかりと頷いた。
「勿論。昨日の事のように思い出せますよ。ちょうど十月のこの時期でした。新しい家だって言って聖獣のカザンさんがすっかりはしゃいじゃって。あんまりにも騒ぎすぎておりんさんにとても叱られちゃって」
二十年くらい前となると、わたしや小雨ちゃんが生まれる前という事になる。
想像しか出来ないその光景を思い浮かべていると、乙女先輩は小声で続けた。
「懐かしいな。あの頃に一緒に笑った人達の中には、今はもういない人もいる……。思い返してみれば、あの天子が味方として一緒に戦ってくれた日も昨日のようで……」
ぼんやりと呟く乙女先輩は、まさに散る前の花のように儚く見えた。
わたしも小雨ちゃんも何と言っていいか分からずに黙って見つめていると、乙女先輩は我に返って目元を拭った。
「ごめんなさい。感傷に浸っちゃった。昔を懐かしんでばかりじゃダメですよね。あなた達と出会ったことだって、未来があるからこそなのに」
戦っている時はあんなに強い人なのに、こうして見ていると今にも消えてしまいそうな危うさを感じてしまう。
「……あの、先輩」
たまらなくなって、わたしは声をかけた。
「もしよかったら、今度はもっと別の場所に行ってみませんか? この間、テレビでやっていたんですけれど、新しいお店も次々に出来ているみたいですよ。今日よりリフレッシュできそうなお店とか、わたし、色々と探しておきます」
わたしに続いて小雨ちゃんもまた先輩に言った。
「先輩に教えて欲しい事もいっぱいあるんです。アドバイスして欲しい事とか色々。今日は聞きそびれてしまったことだし、お時間があったら、ぜひ、わたし達とお茶しませんか?」
小雨ちゃん、偉い。真っ先にそう思った。わたしなんて一緒にだらだらすることしか考えていなかったのに。
ともあれ、新人怪獣のわたし達の誘いに、乙女先輩は快く頷いてくれた。
「私で良ければ、ぜひ」
それから程なくして、乙女先輩は天狗たちのお屋敷へと帰っていった。家の中まで入っていくのを見送ってから、わたしは静かに考えた。
百年くらいそのままの姿で生きている彼女にとって、日常とはどういうものなのだろう。かつての思い出を語り、昔と変わったもの、新しいものと触れ合った時の彼女の表情。そして、全く変わらないものを見つめた時の彼女の表情。それらを思い出してみると、わたしはここ一か月くらい彼女に対して抱き続けていた憧れともまた違うものを感じた。
オロチと戦っていた時の乙女先輩のことを忘れてはいない。
傷つくのを恐れず、真正面から動けるその強さは、尋常ならざる気迫があった。それこそ、怖いものなんて何もないような、絶対的存在に見えたのだ。
けれど、そうはいっても彼女だって一人の人間である。見た目は少女。実年齢は百歳くらい。それでも、たった百年で人は神になれるわけではないのだろう。そのくらい、わたしと変わらないものを、乙女先輩に感じることが出来たのだ。
そう考えた上で思い返してみれば、乙女先輩が変わらぬ景色に薄っすらと涙を浮かべたその意味を深く考えてしまう。
──取り残されるってどういう気持ちなんだろう。
ふと浮かんだその疑問に、頭の中で竜が答えた。
(我は常に共におるぞ)
一蓮托生ですものね。
けれど、レッドドラゴン様には悪いかもしれないけれど、それだときっと乙女先輩から漂う寂しい雰囲気の解決にはならないのだろう。
話し相手になるとは言っても怪獣は今や体の一部のようなもの。この会話も脳内でしか出来ないし、触れたり顔を見合わせたり出来るわけではない。
やっぱりわたしは人間のままなのだろう。親しい者たちがいなくなっていく寂しさを想像するだけで、不安になってしまうのだ。
「マナ、そろそろ行きましょう。暗くならないうちに」
ぼんやりしていると、小雨ちゃんにせっつかれた。
「ごめん、そうだね」
軽く笑い返してから、一緒にその場を立ち去った。




