4.新たな脅威
翌日、天気は大雨だった。こういう日は外に出かけたくないという気持ちも強いのだが、引きこもっていては、やっぱり様々な時間泥棒に心が負けてしまう。ということで、この日も残された宿題を抱えて天狗たちのお屋敷へと足を運ぶ──つもりだった。
しかし、その早朝、バタ子によってもたらされた内容により、お屋敷へと向かう目的が大きく変わってしまったのだった。
結局、どんなに億劫でも外には出なくてはならなくなった。宿題のためではない。それは、ここ数日の間、天狗たちや月夜先輩が忙しそうにしていた理由でもあった。
通された会議室には、しばらく顔を合わせていなかった他の先輩怪獣たちと、聖獣たち、そして白蓮様と翠さんを除く天狗たちがおよびパピ子以外の機械蝶々たちが集まっていた。
わたしは小雨ちゃんと真昼ちゃんの近くに座り、固唾を飲みながら黒百合隊長を見つめていた。重たい沈黙の中、彼女は努めて冷静にひとこと切り出した。
「新しい敵対者が現れた」
それは、不安に思っていた通りの報せではあった。
レッドドラゴンやメガセリオンが感じ取っていた何者かの気配。それが、新しい敵対者だったのだろう。
束の間の平穏だった。これからまた忙しくなりそうだ。
「これからしばらく、不安定な天候が続くことになるでしょう。この大雨もその影響のひとつ。次なる敵対者は水の力を持つ怪獣よ」
淡々と語る黒百合隊長に対し、カザンが手を挙げると同時に問いかけた。
「水っていうと相手は何の怪獣なんだ? 翠と白蓮さまの姿もないが、そっちに向かっていったのか?」
「落ち着きなさい、カザン」
おりんが静かに諫めたものの、黒百合隊長は答えてくれた。
「それはちょうどこれから話そうと思っていたところよ。フウ子。お願い」
黒百合隊長はそう言って、自身の肩に止まっていたフウ子を指に止まらせる。そして机の上にそっと置いた。
フウ子はちらりと窺うように黒百合隊長を眺めたが、すぐに前へと向いてその目を光らせた。スライドだ。映し出されたのは一人の少女と異形の怪獣。その写真が表示された途端、会議室にいた複数の人物が動揺をみせた。
いったい、どうしたのだろう。
(知っている顔のようだな)
レッドドラゴンの声が聞こえ、やっと納得した。
動揺している人物は真昼ちゃんとおりんを除く三名の聖獣たちだった。天狗たちはさほど動揺していなかったが、スライドに映し出される人物の顔を見て、暗い表情を浮かべている。
わたしもまたその人物を目に焼き付けた。
少女だ。年若い少女。中学生になっているかどうか。ひと目見ただけで子どもと分かる年齢だった。しかし、その実年齢が子どもであるとは思えない。怪獣だからだろうか。その表情は、見た目の年齢がずっと上であったはずの天子よりも大人びて見える。
少なくとも、そこらで学校に通っている小学生や中学生とは全く違う。根本的なものが違うように思える印象だった。
「彼女の名はオロチ。『八岐大蛇』のハートを宿した少女です。本名は不明。生年月日も実年齢も分からない。ただ彼女は古来よりこの国の何処かに隠れ潜み、気の向くままに移動を続けてきた。彼女の行く所で災害あり。感情のままに大雨を降らせ、川の氾濫や土砂災害を引き起こす。災害の化身ともいえる彼女は、この町にもおよそ十年前にこの町に来たことがある。よって、今でもよく覚えている人もいることでしょう」
およそ十年前にこの町に。
わたしは記憶を辿ってみた。十年前と言えば、まだ六歳。さすがにその時にあった出来事を正しく覚えているわけではない。しかし、生まれてこの方ここに暮らしていたからこそ思い出せることがあった。十年ほど前、この町──いや、この市の各地で災害があった。豪雨によるその災害の恐ろしさは、ざっくりと知っていると薄っすらと覚えている。
あれって、もしかして。
(思い当たる災害があるのならば恐らくそうなのだろう。怪獣のもたらす災害となれば、そしてそれを天狗たちが止められなかったのならば、被害は甚大なものとなる)
過去に止められなかった。
息を飲むわたしの視線の先で、黒百合隊長は静かに説明を続けた。
「見た目のか弱さに反して恐ろしい力をもつ怪獣。それがオロチです。彼女がこの世に現れて以来、各地の天狗たちは皆、彼女の捕獲を失敗してきました。また、捕獲に成功したとしても封印する前に結界を破られ、時には天狗を死に追いやったのです。十年前、私たちも一度彼女に敗北しました。捕獲する前に二名の天狗が命を落とし、怒りと恐怖にかられたオロチによって災害級の豪雨がもたらされたのです」
ああ、それで。わたしは震えてしまった。
豪雨災害では大勢の人が亡くなったと聞いている。助かったとしても、受けた被害は深刻だった。その話を知っているだけでも、これから予想される未来が恐ろしくて仕方がない。しかし、さらなる恐怖は、そのオロチの捕獲がこれまでも上手く行っていないということだった。
「質問があります」
と、そこへ小雨ちゃんが手を挙げた。
黒百合隊長に視線で促され、小雨ちゃんはその質問を口にした。
「十年前に敗北したということですが、その後はどうなったのですか。オロチはどうしてこの町を去ったのでしょうか」
「オロチの行動理由は彼女にしか分からない。けれど、十年前の事に関しては、お応えできるわ。十年前、二名の天狗が退場した上に災害が起きてしまって捕獲も封印も厳しくなった時、ある協力者が怪獣であることを活かした捨て身作戦でオロチに付きまとい始めたの。彼女はオロチの水に対抗できた木の属性。オロチの命を奪うことは出来ずとも、動けぬように抑え込むことは出来るはずだと言って、独自に追いかけるようになった。その執念深さに怯えて、この町から逃げて行ったのよ」
「その協力者というのは?」
小雨ちゃんが問いかけると、黒百合隊長は机をぽんと指で叩いた。すると、フウ子のスライドが切り替わった。表示されたのは見知らぬ人物だった。
「彼女の本名は何度も変わっている。十年前、私たちは彼女の事を乙女と呼んでいた。『古椿の霊』のハートを持つとても優秀な怪獣だった」
「その……乙女はどうなったのでしょうか」
震えた声で訊ねたのは玄武の鈴だった。
心配そうな、不安そうなその顔から、彼女の事をよく知っていたことが分かる。
身の上を按じているのだろう。竜子やカザンも同じような表情を浮かべている。よくよく見れば、先輩怪獣のイズナ先輩やたま先輩も同様だった。それどころか天狗たちも同じだった。同じように暗い表情を浮かべている。それだけに、わたしもまたこれ以上聞くのが怖くなってしまった。
だが、黒百合隊長は飽く迄も冷静だった。冷静にただ重苦しげな表情で、首を横に振るばかりだった。
「分からない。乙女が今どこにいるのか。どうなっているのか。ただ私たちが現在確認できているのは、少し前にオロチは別の場所で暴れていて、そこから立ち去って今この町にいるということだけ」
その言葉に再び重たい空気が流れだす。
怪獣も、聖獣も、そして天狗たちも、当時を知る者こそがオロチを恐れていることが嫌でも伝わってくるものだから、非常に怖かった。
これからどうなってしまうのか。何か対策は出来るのだろうか。
(いずれにせよ、静観するしかない。それに、我もそなたも火の属性。怪獣同士の抗争で我らは死にはしないが、甘く見てよい相手ではないぞ)
レッドドラゴン様の言葉に、わたしはますます言葉を失ってしまった。
楽しい夏休みはもう終わる。これから先に待ち受ける秋が、どんなに恐ろしいことが待ち受けているのか、今はただ不安で仕方がなかった。




