■74.本土決戦。(中)
中国人民解放軍北部戦区空軍・丹東浪頭航空基地に向けて発射された122mmロケット弾のほとんどは、横風によって近隣の商店街や住宅地に落着したが、2発は基地南部にある駐機場を直撃して多少の被害を出した。
遅れて警報が鳴り響き、続いて夕立が丹東浪頭航空基地の滑走路2600mを叩き始める。
「美軍か、それとも――」緊急発進機を収めるハンガーで待機していた操縦士らは騒然となる。続けざまに遠雷――否、中国人民解放軍北部戦区陸軍・第116重型合成旅団が対砲兵射撃を開始した。
夕立が止み、戻ってきた虫の声と多湿の空気を引き裂いて、4機のZ-19攻撃ヘリコプターが鴨緑江を越えていく。すでに鴨緑江の向こう側には、中国人民解放軍北部戦区陸軍・第191軽型合成旅団が橋頭堡を築いている。が、その橋頭堡は昼夜を問わず、旧朝鮮人民軍の断続的な攻撃に晒されており、少なからず死傷者を出していた。
Z-19攻撃ヘリの操縦士らは、茶褐色の荒野にせわしなく視線を遣る。
中華人民共和国に接する北朝鮮領西部の地形を説明するなら、荒野と禿山で片づけられる。団地や市街地がまばらにあるが、鴨緑江西方に広がる遼寧省丹東市との格差は歴然としている。
彼ら操縦士が警戒しているのは、言うまでもなく地対空ミサイルによる攻撃だった。
昨日は内モンゴル自治区から転進してきた中国人民解放軍空軍第2航空旅団が、越境攻撃を実施した。
目標は旧朝鮮人民軍の義州航空基地と方峴航空基地、郭山航空基地である。
まず義州基地は平時から爆撃機・戦闘機部隊が配備されている基地として知られており、中朝国境からは約5kmしか離れていない。そうした立地のためか、アメリカ軍の核攻撃を免れており、中国人民解放軍北部戦区としては放置出来る存在ではなかった。
方峴航空基地もまた中朝国境から数十kmの位置にあり、こちらは弾道ミサイル関連施設が近傍にあるため、アメリカ軍による核攻撃の対象となったはずだが、航空基地としての機能が生残している可能性があった。
最後の郭山航空基地は700m程度の滑走路しかもたないが、特殊作戦にも投入可能な複葉機が配備されており、やはり中朝国境から数十kmの距離にある以上、無視は出来なかった。
中国人民解放軍空軍第2航空旅団のJ-16戦闘攻撃機は、容易に作戦目標を達成した。
が、一方で郭山航空基地に対する攻撃任務に就いた編隊からは、1機の被撃墜機が出た。旧朝鮮人民軍防空システムの一部が未だ機能している証左である。
夜の訪れとともに無人偵察機が越境し、旧朝鮮人民軍の残渣や陣地を見つけ出すと、中国人民解放軍北部戦区陸軍第79砲兵旅団が砲撃を開始する。
翌日、太陽が昇り切るのを待って第119軽型合成旅団が、義州航空基地に対してヘリボーンを仕掛けた。それと同時に夜陰に紛れて渡河していた第116重型合成旅団の戦車部隊もまた、義州基地へ突進を開始する。
義州航空基地周辺は砲爆撃が連日加えられていたので、さしたる抵抗は受けないだろうというのが第119軽型合成旅団や第116重型合成旅団の幹部らの考えだったが、それは楽観的観測というものだった。
「偉大なる恵姫閣下の仰ったとおりになったな――やはり中国は我々を食らいに来たか」
義州航空基地の南側に広がる地下工廠に司令部を設置した朝鮮人民軍第10師団は、滑走路周辺に降着した軽歩兵に制圧射撃を実施し、朦々と砂煙を上げながら増援に向かう96式戦車から成る戦車部隊の頭を砲撃で抑えつつ、横っ腹に対戦車ミサイルの嵐を叩きつけた。
彼ら第10師団の幹部らは師団長の姜瑛瑞を筆頭として、李恵姫が遺した“預言”を信じこんでいた。
――もしもアメリカ帝国主義勢力の全面核攻撃により、我が祖国が未曾有の混乱状態に陥れば、中国共産党は餓狼が如く我が国土を蹂躙にかかるだろう。
第10師団だけではない。中国領へ越境した第42機械化歩兵旅団と第43山岳歩兵旅団もまた李恵姫の預言を信じこみ、命令の下で先制攻撃に奔ったのである。
実際のところ、中国側にそのような思惑はない――というよりも彼らは意思さえも統一できていなかった。
中国領へ越境した難民と人民軍兵士を押し戻したあと、華鉄一国家主席は陸続きの脅威を排除するため、強硬に北朝鮮への侵攻を主張。
しかしながら、孫徳荘国防部部長や中国共産党中央軍事委員会の面々は、極めて及び腰であった。その理由は説明するまでもなかろう。
故に中国人民解放軍北部戦区は、中途半端な越境攻撃に出――そして死傷者を積み上げていくことになる。
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次回更新は7月12日(火)を予定しております。




