■57.死、招き寄せる島嶼。
「死者3名、重傷者7名――重傷者は速やかな後送が必要と認む」
魚釣島の顧家正海軍少佐は被害状況を即座に確認し、周辺海域に遊弋する水上艦隊に救援を求めた。彼が内心で胸をなでおろしたのは、攻撃を受けたのが魚釣島だけだったということだ。大正島といった極小の島嶼が空爆を受けていれば、一発で全滅という事態もあり得た。
救援要請を受けた中国人民解放軍海軍第14護衛支隊・第3駆逐支隊は、といえば、断続的な対艦攻撃に晒されていた。アメリカ海軍第195戦闘攻撃飛行隊ダムバスターズのF/A-18Eは、沖縄本島周辺空域からAGM-158Cを発射し、彼らを苦しめた。AGM-158Cは長距離対艦ミサイル――LRASMとも呼ばれる新兵器だ。射程は350kmを上回っており、地対空ミサイルや友軍機によって守られている空域から、尖閣諸島北方沖を攻撃可能だった。
しかしながら、中国人民解放軍海軍第3駆逐支隊は艦対空ミサイルでこれを防ぎ切り、なんとか尖閣諸島周辺海域に踏みとどまっている。
その後、中国人民解放軍海軍第14護衛支隊の056A型フリゲート『六安』が勇敢にも釣魚島に接近し、再び搭載艇を出して旧船着き場から数名の重軽傷者を収容した。
その数十分後、アメリカ海軍主体の対艦攻撃が再度行われた。
少数のF/A-18E戦闘攻撃機によるミサイル攻撃で、発射されたAGM-158Cは8発であったから、第3駆逐艦支隊の防空網を突破できる可能性は低い。
しかしながらそれと同時に、宮古島の数少ない森林の擬装陣地に隠された12式地対艦誘導弾システムが突如として活性化した。北の空に向けられたキャニスターから、純白の弾体が翔け上がる。射程からすれば、尖閣諸島北方の水上艦艇には届かない――が、陸自第5地対艦ミサイル連隊・第302地対艦ミサイル中隊の狙いは、中国艦艇にはあらず。
4発の12式地対艦誘導弾は洋上にぽつんと浮かぶ標的――艦艇とそう変わらないサイズの大正島と南小島へ突入した。
南小島に上陸していた警備部隊は、悲鳴を上げることさえ出来なかった。
1発の12式地対艦誘導弾は、島中央の平地部を通り過ぎて北西部にある断崖に直撃――火焔と鋼鉄の雨を駐機していたヘリや、作業中の兵士の頭上へ撒き散らした。幸運だったのはもう1発の地対艦誘導弾が島東端の断崖に激突したことくらいだろう。
面積が0.04㎢しかない大正島は、より悲惨であった。顧家正海軍少佐の危惧が、現実のものとなった。亜音速でダイブした2発の弾頭は、一撃で同島警備隊を全滅させてしまった。
「今度は南小島だと――」
第3駆逐支隊の政治委員、夏祥深は思わず天を仰いだ。
いまこの瞬間も第3駆逐支隊はミサイル攻撃への対処に追われている。現在のところ、航空作戦の主導権は彼にあるというわけだ。このままではいずれ第3駆逐支隊・第14護衛支隊にも損害が生じるであろう。
空軍機は何をしている、と夏祥深は思ったが――彼らは彼らで事態をなんとか好転させようと努力していた。J-11A戦闘機から成る第41航空旅団や、対レーダー高速ミサイル等で爆装した第31航空旅団のJH-7攻撃機を沖縄本島周辺空域へ送りこみ、航空優勢を得ようと躍起になっている。
しかしながらこの戦爆連合は、新田原基地を押っ取り刀で飛び立っていた空自第5航空団のF-15Jによる迎撃に遭った。それだけではなく、早期警戒管制機からの通報を受けた地対空ミサイルシステムが立ち上がり、再び沖縄本島に強力なミサイルの傘を形成した。
(どれだけのコストと犠牲を払わせるつもりだ、上層部は)
中国人民解放軍東部戦区共同作戦司令部は、巡航ミサイルを備えた第30航空連隊のH-6爆撃機に長距離攻撃を敢行させた。が、戦闘機隊と地対空ミサイル各種の多層的防御によって、ほとんどの巡航ミサイルが空中で爆散。
そのお返しとばかりに陸上自衛隊第302地対艦ミサイル中隊は、新たな目標として北小島に12式地対艦誘導弾を撃ちこんだ。
第3駆逐支隊は水上艦隊目掛けて飛翔してくる対艦ミサイルを完封出来ても、尖閣諸島の島嶼部への攻撃は防げない。敵の対艦ミサイルは目標が近づくと低空飛翔に移行するため、島影が052D型駆逐艦のレーダー波や射線を邪魔してしまうのである。
東部戦区共同作戦司令部の海軍作戦参謀らもそれに気づいたのか、彼らは「第3駆逐支隊、第14護衛支隊は釣魚群島南方沖へ進出せよ」と命令を発した。身を挺して釣魚群島を守れ、というのである。しかしながら、夏祥深の第3駆逐支隊ら水上部隊はこれを拒絶した。
「大陸棚を出て八重山海底地溝直上へ、しかも敵の地対艦ミサイルシステムの射程内に出ていくのは自殺行為にほかならない」というのが彼ら艦隊側の言い分である。前述の通り、釣魚群島の南側で大陸棚は途切れており、潜水艦が身を隠しやすい海溝が横たわっている。対空戦闘と対潜警戒、釣魚群島警備隊の救援――これらを同時にこなすのは負担が大きすぎる。
夏祥深はこのちっぽけな島嶼に何の価値があるのか、と共同作戦司令部の連中を問い詰めたかったが、現実的な願望ではなかった。
より悲惨なのは与那国島であった。
やむをえず指揮を執っている若手の蔡谷秋海軍中尉であったが、055型駆逐艦『南昌』以下水上艦隊が後退して以降、補給や負傷者の後送、増援はいっさい行われていなかった。
東部戦区共同作戦司令部を擁護するのであれば、彼らはY-9・Y-20輸送機を集中投入して行う第二次空挺攻撃により、増援と物資の補給を行う腹積もりであった。
ところが中華民国空軍第17戦闘機作戦隊の乱入、第22即応機動連隊の携帯式地対空誘導弾による反撃、そこに米海軍アメリカ級強襲揚陸艦『アメリカ』から発艦したF-35Bによる航空阻止が加わり、空挺作戦は惨憺たる結果となってしまった。
故に増援も補給も不十分な状態で、蔡谷秋海軍中尉以下の与那国島攻略部隊は与那国空港に立て籠もっている。蔡谷秋海軍中尉はいよいよ夜の訪れとともに、「12時間以内に弾薬の補給と重傷者の後送が行われないのであれば、これ以上の継戦は不可能だ」と発信した。
一方の陸上自衛隊第6師団第22即応機動連隊は、V-22オスプレイによる弾薬の補給や負傷者の後送、戦力の補充が行えたため、与那国空港に対して断続的な攻撃を仕掛けることが可能だった。
蔡谷秋海軍中尉ら中国兵にとって極めて不利だったのは、堅牢な防御陣地を構築する時間的・人的猶予がなかった点だ。
第22即応機動連隊の火力支援中隊(重迫撃砲中隊)が擁する120mm迫撃砲、各普通科中隊の81mm迫撃砲の射撃、さらにF-35Bの空爆が加わったことで、死傷者は増大の一途を辿っていった。与那国島攻略部隊の降伏は、時間の問題であろう。
かくして南西諸島方面の戦いは日本側の優勢に傾きつつあった。
しかしながら日本政府は、もうひとつの戦線にも目を向けざるをえない。
それは、朝鮮半島である。
◇◆◇
次回更新は1週間以内を予定しております。




