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■58.地獄半島。(前)

 いまや朝鮮半島とは、幸福を求める人々の営みと、積み上げられてきた財のすべてが擲(なげう)たれ、毀損(きそん)される地の名前である。“美しき朝凪の地”は、いまや夥しい血と鉄、そして米朝4発の核爆弾によって汚染された。この地において、もはや“優勢”を誇れる者はいないかもしれない。みな等しく、想像を絶する苦境の中にいる。


 得られた土地の面積、という意味ではまさしく朝鮮人民軍は優勢であっただろう。

 ソウル市恩平区と議政府市への核攻撃によって突破口を開いた朝鮮人民軍は、約75年ぶりにソウル市の奪取――そして仁川市をはじめとした周辺地域の占領に成功。在韓米軍司令部がある平沢市から、約30km北方の位置にまで迫った。

 しかしながら朝鮮人民軍陸軍は、そこで限界を迎えた。

 朝鮮人民軍総参謀長の辛光ら高級将官の予想よりも遥かに早く、兵站は破綻を来(きた)している。彼らも無能ではない。が、75年前とは比較にならない補給所量を念頭においた計画は、韓国空軍やアメリカ空軍による反撃と、被占領地に潜入した韓国陸軍特殊司令部所属部隊が破壊工作を実施し、市民による抵抗活動を組織したことで瓦解した。

 朝鮮人民軍の諸隊はソウル市周辺からの略奪で当座の燃料を賄おうとしたが、略奪によって膨大な物資を掻き集めるためには、当然ながら立ち止まらなければならない。そうして前進が止まったところを、航空攻撃や長距離砲撃に晒され、機械化部隊は損害を重ねていった。


 一方、ソウルを失陥した韓国軍は地上部隊の再編を急いだ。

 戦時動員により兵員を補充し、倉庫に眠っていた武器弾薬の類(たぐい)と、アメリカ軍から供与された重火器を以て戦闘力を回復させていく。その質は開戦前とは比べるべくもないが、朝鮮人民軍もまた同じようなものだ。

 ただ士気だけは高かった。1950年代とは違い、韓国軍将兵はみな北韓の実情と恐怖政治を知っており、問題はあれども韓国の生活と政治が、北韓のそれよりも勝(まさ)っていると確信していたからだ。敗北すれば死よりも陰惨な“余生”が待っているだけである。

 また朝鮮人民軍は捕虜をとらないことが知れ渡ったため、韓国軍将兵は絶望的状況であっても誰もが最後まで戦う死兵となっていた。

「朝鮮人民軍の継戦能力は限界に達した、長期戦となればアメリカ合衆国の支援を受けられる我々が有利だ」と、体調不良で休養中の白武栄の代わりに、戦時指導を主導している韓国外交部長官・金源正は韓国軍関係者から聞かされている。

 そうなると金源正ら政治家は、戦後の復興を考えなければならないのだが、もはや韓国経済は、というよりも世界経済は手の施しようのない状況になっていた。


(吹き荒れる経済制裁――韓国だけが取り残されるのではなく、世界経済全体が破綻することを喜ぶべきなのか?)


 金源正はそんなことまで考えた。中華人民共和国とアメリカ合衆国・EU諸国を中心とする経済制裁の応酬。この最中にどのような施策をとれば、韓国経済を戦前のそれに蘇らせることが出来るというのだ?


 と、戦後に思いを馳せつつも、同時に韓国政府首脳陣はもうひとつの最悪の可能性を考えざるをえない。

 それは繰り返す歴史、中国人民解放軍の対韓参戦である。

 現在、この極東において日本国自衛隊やアメリカ軍は朝鮮人民軍・中国人民解放軍の両者を相手どっているが、韓国軍は朝鮮人民軍とのみ対戦している。未だ中国人民解放軍は韓国軍を攻撃しておらず、在韓米軍もこれ幸いと韓国領内から中国人民解放軍を攻撃することは避けている。

 日本国や中華民国が直面する中国人民解放軍の脅威と、韓国が直面する可能性がある中国人民解放軍の脅威は種類が異なる。


 北韓に接する中国人民解放軍北部戦区陸軍は、3個集団軍を有している。

 第78集団軍(黒竜江省)・第79集団軍(遼寧省)・第80集団軍(山東省)がそれだ。韓国陸軍関係者が恐れているのは、彼らが有する7個重型合成旅団・5個中型合成旅団が北韓を通過し、釜山目掛けて突進する未来である。

 韓国政府関係者の中には、「ロシア連邦への抑えとして、北部戦区陸軍は動かせないのではないか」と考える者もいたが、韓国陸軍関係者はむしろ逆であり「ロシア連邦軍は未だ再建途上であり、中国共産党は備える必要すらないだろう」「北部戦区どころか、中部戦区陸軍所属重型合成旅団の朝鮮半島投入もあり得る」と考えていた。

 前述の通り、北部戦区陸軍は7個重型合成旅団を備えている。

 戦術単位として師団が廃止された人民解放軍において、重型合成旅団は最も強力な単位だ。1個重型合成旅団は主力戦車を80輌以上、04式歩兵戦闘車といった装甲車輛を140輌以上有しているため、これが複数個南侵してくれば、弱体化した韓国陸軍がこれを食い止めるのは難しい。

 この最悪の事態に関しては、日本政府関係者もまた認識していた。


「朝鮮半島が北朝鮮・中国の手に落ちれば、九州地方が脅かされる」


 韓国南部に中国人民解放軍の地対艦ミサイル部隊が進出すれば、対馬海峡から関門海峡一帯を狙い撃ちにされることになるだろうし、中国人民解放軍の空軍機は本州への航空攻撃を激化させるかもしれなかった。


 そして中国人民解放軍が第2戦線として朝鮮半島へ派兵するのではないか、という危機感の中、地獄の拡大を招くイベントが始まろうとしていた。


 開戦以来、初となる中朝首脳秘密会談である。




◇◆◇




次回更新は3月18日(金)前後を予定しております。

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