鬼神族の生き残り ※焔視点
鬼神とは、厄を生み出す神である。
語弊もあるが、あながち間違いでもないその認識は、広く人類に、そして魔物に知れ渡っていた。
人類からは畏怖され、祀られた。
魔物からは恐怖され、迫害された。
多くの生き物が歓迎しない鬼神という種族を、物言わぬ山だけが受け入れた。
何世代にも渡り、私たちは緑深い山へと追いやられたのだ。
人類はその山の実り全てを失っても、私たちをそこへ閉じ込めたかったのだ。
ことを荒立てるつもりのなかった先祖は、人類のその嘆願を聞き入れた。
先祖のその祈りを理解した者はひっそりと静かに山で暮らし、反発した者は山を下り文字通り厄災を振りまいた。
時に同族を粛清の名の下に殺しながら、私の一族は人類との距離を保っていた。
力強く炎の魔力を宿す私たちは、それでも争いを嫌ったからだ。
私も、そうしながら生きていくつもりだった。
一月前に、人類からとんでもない提案をされるまでは。
「…なんだと」
人類が伝達係と称して一族に送りこんでくる見張りは、機嫌を取るためなのか、美女が多かった。
本物の鬼であれば喜んだやもしれぬその策も、白粉の香りが苦手な私にしてみればいい迷惑以外の何物でもなかった。
その伝達係は事もあろうに、私に人間の生贄を捧げるというのだ。
頭を抱えたくなった。
本物の鬼であれば人を喰うかもしれん。
山中にも潜むことがある小鬼は、確かに人を喰うのだし。
だが、私たち一族は神と名がつこうが鬼と呼ばれようが、人類に限りなく近い種族であるし、何より人は食べない。
何度か説明したはずの文句をもう一度言うべきかと渋面を作ると、使いの女は口を開いた。
「巷では、新種の病魔が蔓延っています。故に、帝は…」
「いい。わかった」
理屈は全くの不明だが、私たち鬼神は、鬼のような強さと恐ろしさ、火の魔力を宿す代わりに、病魔を呼び込みやすい。
免疫も強い私たちには効かぬ病も、その周囲にいる人間には効くのだろう。
それが私たちの一族が厄を生み出す神だと呼ばれる所以だ。
そうすると、往々にして人類は私たちに貢ぎ物を持ってくるのだ。
勿論、そんなことをされたとて病魔が退く訳でも、私たちが病魔を追い払う訳でもない。
ただの気休めに過ぎない事実は再三伝えている。
だが、人の心は平穏さえ得られれば良いといういい加減な部分もある。
その気休めが平穏に繋がるのだと、人類側は言って聞かない。
今回も、結局はそういうことだろう。
だが、今まではせいぜいが牛一頭といったところ、今回になって人間を差し出すとは、一体どうしたことか。
「だが、なぜ人間を?」
それをそのまま口にすれば、女は座した脚の上に置いた手を握った。
言いにくいのかとも思ったが、沈黙を保ち続きを促す。
「あの…病魔の元となる、と、思しき娘がおりまして…鬼神様の元でしたら……その…」
観念した女がしどろもどろに口を割る。
つまり、厄介払いしたい者がいるが、殺すわけにはいかないのでこちらに…ということか。
だが、その酷く勝手な物言いは、私の人嫌いに拍車をかけた。
争いは好まない。血肉を裂いたその先に得られるものは、失うものよりも小さい。
故に。故に。私たち一族は耐え忍び生きる道を選び取った。
だがそれは間違っても、人類に対する愛や慈悲があったからではなかった。
この星の半分以上を手に入れ、支配したつもりになっている人類と事を構えれば、我々も無傷では済まない。
飼い慣らされれば、こちらが深傷を負うこともない。
本当に本当に、ただそれだけの、いわば、利害の一致以上のものは何もないのだ。
むしろ迫害と畏怖、言われなき誹謗中傷に晒された我らが人類を好ましいと思える道理こそないのだ。
目の前で私の機嫌を取ろうとする使いの女も、目の奥では私を蛇蝎の如く嫌っているのが解る。
苛立つ心情のままに拳に力を入れる。
食い込む爪の痛みで冷静さを取り戻す。
私の答え1つで、その娘の命は消えるやもしれない。
慈悲も慈愛もないと自負しているが、それでも同情はする。
「言いたいことはわかった。好きにすればいい」
どうにか吐き出した答えを口にして、腰を上げる。
これ以上、白粉の匂いとこの女の視線に耐えられない。
「で、では、炎の月、第二週の火の日に、娘を贈りますので…!」
話の終わりを悟った女は慌てて告げる。
追いすがられた言葉に、思わず足を止める。
その娘は、きっと被害者なのだろう。
「敷居を跨ぐのであれば、我が同胞も同じ。その娘が鬼の嫁になれると言うなら連れて来い」
だが、私も好き好んで人間を同胞になど迎えたくは無い。
その思いが、人間の娘に対して酷なことを告げさせた。
女は無理難題を押し付けられたかのような表情になったが、私は返事を待たずに部屋を出た。
その娘が、まさか何も知らないままにそれを了承するなど、夢にも思わず。
支度は恙無く進んでいる。
その知らせは前日になっても覆らなかった。
娘は了承したというのか。
娘と呼ばれるからには童ではなく、また行き遅れでも無いだろうに。
死を選ぶより、知らぬ化け物の嫁になる方がマシだと思ったのか。
予想の外れた事態に頭を抱えたのは一時で、同胞として迎え入れると言ったのは私なのだ。
それらを覆すつもりはない。
「朽葉」
大きめに出した声に、角が折れた鬼女が駆けてきた。
泣き黒子が印象的な彼女は、鬼神と人の間の子で、女中としてここに住み込みで働いている。
とはいえ、半ば以上家族のようなものだ。
角は山の麓へ行くには邪魔だと、まだ若い時分に自ら折ったので、そうと知らねば人間の女に見えるだろう。
「何用ですか? 焔様」
彼女の母親が鬼神族であり、私の歳の離れた姉だったのだが、今はもう亡い。
その時から私は、たった1人の純血になってしまった。
それももう、100年近く前の話だが。
人間たちに迫害されるという彼女を女中として雇い入れたが、彼女はそんな私にひどく恩義を感じているらしく、何かと世話を焼きたがる。
混血であるが故か、見た目は既に私を通り越しているが、それでも私の姪には違いなかった。
「明日、贄を連れてくるという人間たちに混ざり、その娘の世話を頼む」
簡潔な言葉に、朽葉はぱちくりと目を瞬かせた。
そして、頭に手を当てて大袈裟にため息をついた。
100年もいれば気安くなるものだ。
「贄とか娘とか…。嫁にってタンカきったのは焔様ですよ? それに明日だなんて、もう少し早めに命じて下さいな」
「…すまない」
彼女の説教はとにかく聞いて謝るのが最速で終わる。
案の定、深いため息とともに彼女の説教は呆気なく終わりを告げた。
「では、明日は人間たちが帰りきるまで、奥にいてくださいな。要らぬ言葉を聞かぬためにも」
「……ああ、わかった」
明日は薬酒を作るのに庭を散策したかったのだが…。
正直あんなことを言えば娘は絶対来ないだろうと踏んでいてーーなにしろ鬼と夫婦になるくらいなら死ぬ方がマシだという人間はごまんといるーー、だから娘を迎え入れる準備など何一つしていなかった。
気が向いたらふらふらと散歩をする癖をよく知っている女中は、私の返事がいい加減なこともよくわかったようだ。
諦めのため息を大きくついて、それ以上何も言わなかったが。
当日、何の実感もないまま朽葉を見送り、長い暇は読書で潰し、書の内容で頭を満たせば外出注意の忠告を綺麗に忘れ、私はふらふらと表へ出た。
すると運がいいのか悪いのか、立派な馬が引く牛車ーーかつてはあれも牛に分類されていたーーが門のすぐ前まで来ていた。
私の姿に気づいた人間の女たちは青ざめるようにして息を殺した。
アリほどの興味もないのだが…。
朽葉はまだ私に気付かぬか、牛車から恭しく娘を下ろした。
私の願う通り、娘を大切にしようとしているのか。
きっとただの被害者であろう娘はどのような反応を私に見せるのだろうか。
わずかな好奇心は子どもが新しい玩具を見つけたときのそれと何ら変わらない。
牛車を降りた娘は、様々な深みのある赤に身を包み、華やかでも艶やかでもなく、小さく綻んだようにそこにあった。
生糸のような美しい艶々とした白い髪。
赤茶けた瞳は興味深そうに周囲を見ていて、まだ私に気付かない。
だがその瞳に絶望はなく、そんな些細な事に訳もなく安堵した。
「焔様」
朽葉が何かを言った。ああ、出てくるなと言われていたか。
その朽葉の言葉に合わせ、真白の雪のような娘がこちらを見た。
そこで初めて、私に気付いたらしい。
私を見て、ほんの少しだけ目を見開いた。
「飽いた」
事実を述べただけだが、朽葉が頭を抱える気配がした。
私を見ても特になんの反応もないその娘は、少なくとも多少は豪胆なようだ。
怯えるでも絶望するでも、諦めているわけでも無いその瞳の光は、不思議な色を宿している。
それが意味することは解らない。
だが、別にどうでもよかった。
「鬼の嫁なんぞ、難儀なことだ」
何の反応もない娘に、恐怖で硬直する矮小な獣の姿が重なった。
最後に私が吐き捨てるように言った言葉は、紛れもない本心だった。