2 紅蓮の鬼
残りわずかの平穏を楽しむ暇などなく、気づけば『式』の当日。
結局鬼嫁が何なのか解らないまま、私は着物を着せられている。
朝、何時ものように目覚めて朝食を作り、腹ごしらえが済んだか否かの時、見知らぬ女性が幾人も我が家を訪ねてきた。
皆、艶やかな黒髪に白い肌、赤い紅が映える美女ばかりだった。
ぽかんとする私を他所に、母とその女性の群れは挨拶を済ませ、今はこぞって私を飾り付けている。
この国の基本的な服装は和装と相場が決まっていて、前世では残念ながら馴染みのなかった着物だが、流石に19年も着続ければ多少は慣れる。
が、今日の着物は普段のそれとはまた違い、正直着付けられていながら何が何やらさっぱりだ。
朱、薄紅、唐紅、真紅など、赤を基調とした鮮やかな薄い布を幾重にも巻きつけられて、黄金にすら見える光沢のある帯をしめ…。
衣装とほぼ同時に行われていた化粧は、やはりと言うか、衣装とほぼ同時に終わった。
腕がいいのだろう。
きっと黒髪の美姫であったなら、この上なく美しく仕上がったのだろうという出来映え。
結い上げられた真っ白の髪に、細かく美しく装飾された彼岸花のような簪を差されて出来上がった私は、正直に言えば美姫というより馬子だった。
七五三か成人式みたいな手の入れようだが、当事者はこれから何が起こるのか解らないというのだから正気を疑うよね。
大きな姿見の向こうでは、豪勢に飾られたモヤシのような女が全てを諦めた目で立っていた。
我ながら隠しきれない貧相さに、笑いがこみ上げるレベルだ。
そんな事したら後が怖いので絶対に出来ないが…。
飾られた私はそのまま、導かれるままに部屋を出た。
部屋の外には晴の服を着た両親が、晴れとは思えない表情で立っていた。
その姿を見て、ようやく漠然と、私はこの家から出るのだとボケた自覚がやってきた。
ならばと、19年にも及ぶ歳月を砕いてくれた両親に、私は首を垂れた。
服装のせいで深い礼は出来なかったが、誠心誠意の礼であることは伝わったのか、頭を上げた時に見えた顔は、滅多に見ない涙で濡れていた。
………お嫁に行くみたいな雰囲気だけど、もしかして本当に鬼の嫁になるんだろうか…。
それともやっぱり生贄的に殺されるんだろうか…。
相変わらず酷すぎる認識のまま両親に頭を下げたなんて事実は、墓場まで持っていこう。
案外すぐそこかもしんないけど…。
「息災でね…」
「粗相のないようにな」
あ、死亡フラグはないみたい。
涙ながらの両親の言葉にそんな事を確信してるなんて、とんだ親不孝な娘だ。
別れの言葉も感謝の言葉も喉につっかえていて、結局なんの言葉も残せないまま、私はそこから立ち去った。
両親は、ついてこなかった。
「こちらへ」
艶やかな美女揃いの中、泣き黒子が異様な色気を持つ美女が、家の前に来ていた赤い牛車の前簾を開けた。
牛車とはいうが、籠を引くのは馬に近い動物だ。
…牛のようなツノと体格を持った立髪のふさふさした栗毛の馬。正直立髪以外は牛にしか見えない。
が、これでも奇蹄類なので、分類上、馬らしい。
じゃあ馬車じゃん、とか思ったけど呼び名は牛車だという。
なんなの。その複雑さはいらなくない?
最早その馬は牛で良くない? 又は意地でも馬車と呼ぶべきじゃない?
けれど籠の作りは西洋風の馬車などより、よほど牛車そのものに近いので、心中はとっても複雑だ。
じゃあ牛車でいいよ、と言いたくもなる。
とりあえず美女に促されるまま、私は牛車に乗り込んだ。
中身はともかく、装いと扱いはお姫様みたいだ。
自分がどこへ、何をしに(されに、かもしれないが)行くのかも解らないくせに、年甲斐もなくはしゃいでしまう。
牛車に乗せられたのは私だけで、両親は勿論のこと、美女たちも誰一人乗ってこない。
…別に寂しくないけどね!
「これより、焔様の屋敷へ向かいます。何か御用があれば、なんなりと申し付けください」
「…はい」
ほむらさま??
誰? という言葉を飲み込んで、簡単な言葉を返すことに成功した。
もしかして、その人の嫁になる事を鬼嫁と言ったのだろうか?
………………。いや、それはなんか悪口みたいだ。ストレートに。
それとももしかして、その人の趣味嗜好に合わせて鬼嫁になれと言うことかもしれない。
……『鬼嫁』という名前の職業だったらどうしよう…。
ここ数日繰り返した思考がまた回りだす。
出口も答えも自分では見つけ出せないくせに、頭は考えることをやめない。
手触りの良い服の先を撫でつけたりして気を紛らわせないかと思ったが、無駄な努力だったようだ。
けれどぐるぐるした思考はそのうち、『自分で撒いた種だし、どう転ぼうとなんとか出来る範囲でなんとかするし、まぁいいか』という思考に行き着く。
継ぎ接ぎでぼやけているウロとはいえ、前世の記憶がある私にとって、肉体年齢と精神年齢の差は大きい。
故にまともな恋愛など出来なかったし期待していないので、もし本当の意味で嫁に、と言われているのであれば、まぁなるようになると思っている。
恋愛結婚はまだこの肉体が5歳くらいのときに諦めたのだ。今更悔いはない。
まぁ、鬼嫁になれるかどうかはわからないにしても、だ。
鬼嫁が職業だとしても、まぁ、限りある力を尽くして頑張ればいいだけなので、それはそれでそう思ってしまえば、あとはなんて事ない。
一度死を経験しているからなのか、それ以上に元来の性格なのか。
私はどうにも、大抵の事は塞翁が馬というか、何とかなるというか、どうにでもなるというか、為せばなるくらいの認識というか…。
何事も『それもまた良し』という気質なのだ。
あぁ、前世の友人たちが頭を抱えた大雑把具合は死んでも治らなかったということか。
今回も最終的にはその思考に落ち着いた。
…だから懲りないのだろう。阿呆め。
自分の人生を諦めてる訳では無いが、今回の判断はいい加減が過ぎた。気をつけよう。
結局、一人反省会になった道中だが、牛車は大きく揺れることもなく目的地へ籠を運んだ。
その間、会話もなく、ただ沈黙が横たわっていたのは正直気まずかった。
「蛍様、到着いたしました」
外も見えず退屈に退屈を重ねた頃、ようやく牛車が止まった。
蛍とは私の名だ。この世界の蛍は青白く光り、虫そのものは雪のように白い、ふわふわした産毛に覆われている。
故に雪虫とも呼ばれるが、主に夏に飛ぶ。
冬に飛ぶものもあるが、それらは実の所魔物だ。
無害な上に非常に美しいので、好事家もいる。
生まれた時から肌に限らず髪さえ白かった私は、あまりにふわふわで弱そうで、それでも輝いて欲しい、という願いを込めたのだと父から聞いたことがある。
それでも白いというのは不気味がられることも多く、幼い頃の悪口はもっぱらカビムシだった。
成虫となって光り輝く様は美しいと言われるが、幼虫の時は白カビみたいな有様で、成虫を雪虫というのに対し、幼虫をカビ虫と呼ぶことが多かったためだ。
ただの色素欠乏症だろ、と言ったところで幼子に通じるはずも無かったが。
閑話休題。
開けられた前簾から促されるままに降りて周囲を確認すれば、大分山奥へ移動していたらしい。
ニブフイエは大陸の一番東端に位置し、山と緑に覆われ、どうかすると隔絶されかけているような辺境の国だ。
未開拓の地は多く、それらは特に山だ。
人の手の入っていないだろう木々の群れは風に遊ばれ、さわさわと音を立てる。
近くに川でもあるのか、不思議なほど涼しい風が頬を撫でる。
足元は申し訳程度に踏み固められているが、舗装はない。
目の前にでんと構えられた大きな門はどっからどう見ても古いが、しっかり手入れがされているのが解る。
門の奥には外よりもはるかに人の手が入った庭が見え、そのさらに奥に豪華では無いが大きくて立派な建物がある。
庭には色とりどりの花が喧嘩せず主張しすぎず咲いている。
思わず何もかもを忘れてぼけっと見上げてしまったが、カコン、と鹿威しの音で我に帰った。
それでも思う。なんだここ…。
「焔様、奥の方でお待ちになっていたのでは?」
女の咎めるような声に、思わずそちらを見れば、男がいた。
艶やかな黒髪と静かな光を放つ、切れ長の紅蓮の瞳。
通った鼻筋と、美女たちに負けぬほど白い肌。
深い紅の衣に墨色の袴。
それはそれは美しい男だったが、見る者が何より気にかけるのは、きっと顔ではなく。
額から天へ向かい伸びている、一対の鋭い角だろう。
焔と呼び掛けられた男はその色とは裏腹に、非常に静かに口を開いた。
「飽いた」
声まで低くて美しかったが、その言葉に美女は盛大に肩を落とした。
話すときにちらりと覗いた、鋭い牙のような歯がなんだか肉食の獣を連想して怖い。
美女が口を開くより先に、再び男は口を開いた。
「お前が嫁か」
その声は平坦で、何の興味も込もっていなかった。
私を見据えた瞳にも熱はなく、静かな諦めの光を宿していた。
返事もできず息を詰まらせていると、つい、と視線が逸らされて地に落ちた。
「鬼の嫁なんぞ、難儀なことだ」
独白じみたそれを残し、その人は、否、その鬼は、踵を返して屋敷へ向かった。
その背中が、多くのものを拒絶するかのような雰囲気を醸し出していて、酷く寂しそうにも見えた。
私の周りにいた美女は、静かに私を中へ促した。
「蛍様、あの方が鬼神族であらせられる、焔様で御座います。旦那様は気難しい方ですので、奥方とあれど簡単には心を許さぬやもしれません。どうか、お気を悪くされないで下さいませ」
一歩門へ足を踏み入れると同時に耳に届いた説明に、ようやく、私は自分の立場を知ったのだ。




