20 手紙
この屋敷で朝を迎えるのも、これで5回目程となった。
かこーん、と竹が鳴いたのを遠くに聞きながら、もにゃもにゃと起きる。
3日目以降の目覚めは、今のところ何の災いもなく済んでいる。
寝ぼけた頭でもっそりと起き上がり、大きなあくびと伸びを1つずつ。
すると、もう聞き慣れた足音が、軽やかにぱたぱたと近づいてくる。
「おはヨーございます、オクさま!」
朝焼けの化身みたいな元気の塊が、気持ちよく戸を開けて入ってくる。
よくできた妹のように、彼女は私から布団を奪い、服を出す。
「今日は久々ノ雨ですから、お外に出るのハ控えてくだサいねー」
「んー……。え? 雨?」
龍海ちゃんの言葉に、外に耳を傾けてみた。
よくすましてようやく聞き取れる雨の音は、随分と小さい。
窓へ目を向ければ、朝と言うには薄暗い空と、霧のような細くてか弱い雨が見えた。
ここに来て初めての雨だ。
「雨かあ…」
ぽつりとこぼした言葉に、龍海ちゃんはあれあれ、と明るい声で言った。
「奥サマ、雨は苦手なンですか?」
「んー、特に理由とかは無いんだけど、あんまり嬉しくないというか…気分が盛り上がらないというか…」
自分でも理由はよくわからないのだが、私はどうしても、雨というものが好きになれない。
雷や暴風は気にならないくせに、雨だけはどうしても嫌いなのだ。
明確な理由も意味もないのに、どうしても嫌いなのは雨だけだ。
雨にしてみれば理不尽この上ないのだろうが、まあ人の好き嫌いなんてそんなものだ。
「そうなんデすか。とりアえず、朝ご飯ガできてますよ」
自分から聞いてきたくせに、龍海ちゃんはこの話題に興味がなかったようだ。
特に自分で選ぶことなく、龍海ちゃんが用意してくれた服を着る。
これ、私ダメ人間に育てられてる気がする…。
頭の隅でそう思ったけど、私自身には大した影響ではないと判断し、口には出さないことにした。
もう見慣れた廊下を歩き、居間へつく。
「おはようございます」
「おはようございます、奥様」
「ああ、おはよう」
「おくサま、おはヨー」
大分慣れてきた挨拶をして、自分の席に座る。
聞き慣れた低音美声が筆頭になって食事を始める。
今日は瑞々しい葉が中心のサラダに、かき玉汁、温かなご飯に卵焼きだ。
前世とは異なる食材や料理も多い中で、この屋敷で出されるモノの既視感の強さに感服する日々だ。
「焔さんは、今日は何をするんです?」
しっかり葉っぱを味わって飲み下してから、口を開く。
丁度もぐもぐしていた焔さんは、飲み下すまで待てと視線で訴えてきた。
本を読んだあの日以来、私たちの間にはたわいもない会話が増えていった。
朽葉さんも龍樹くんたちも、思い思いに会話に混ざる。
「雨音を聴きながら本でも読もうと思っているが、何か用でもあるか?」
「いえ、ただ、もし良ければ私も今日はご一緒していいかなぁ、と」
髪の量がいつもより多く見える焔さんは、ああ、と簡単な返事で許可をくれた。
焔さんは毎朝、豊かなバリエーションを見せてくれるのだが、未だ私は突っ込まないでいる。
正直、機会を逃してしまった気がするので、もう訪ねたくても訪ねられない。
「最近は何の本をお読みになるんですか?」
代わりに、別の話題をふった。
その後、一口分のごはんを口に入れて咀嚼。
甘くて美味しい。米が食べられる幸せよ。
「最近か…。詩集をゆっくりと読むのが楽しい」
決して多くはない本の中でも、手に取る傾向は時によって変化するらしい。
焔さんの持つ本は、各図鑑系、伽話、詩集、童話、料理本、何某かの専門書と、総数に対してジャンル数が豊富だ。
より正確さを求めるなら、それは豊富というよりばらばらと言ったほうが似合っていると思うが。
「詩集はいいですねー」
前世はいくつかの詩集を持っていたことをぼんやりと思い出した。
今世では生憎、無縁とさえ言えるほど見かけなかったが、どんな物があるのだろうか。
宮沢賢治とか金子みすゞとか、王道だけど好きだったなあ。
ああ、でも宮沢賢治はやっぱり詩より伽話だな。
よだかの星が一番好き…。
「読むか?」
「いつか。今日は、一昨日勧めてくれた図鑑を見たいと思っていて」
「そうか」
「焔様のモつ図鑑は絵が精巧でスから、楽しいですヨ」
龍樹くんの発言に心躍る。
いいね、いいね。植物がなくても、図鑑は好きだ。
前世の暇つぶしがどんな物だったか、私は殆ど覚えていない。
暇が少なかったということではなく、本当に記憶がボケているのだ。
何かを片手に、それに熱中していた気もするのだが、肝心の何かがなんなのか、何に熱中してたのか、どうしても解らないのだ。
ただ、今世と前世では、全くと言っていいほど、暇つぶしの中身が違うように思うのだ。
「読書は全くよろしいですが、ご飯の存在をお忘れなきように」
しゃなりと釘を刺してきた朽葉さんにぎくりとする。
それは焔さんも同じだったようで、両の肩が僅かに跳ねた。
熱中すると時間を忘れるのは私も焔さんも一緒だ。
す、と音を立てずにかき玉汁を飲む朽葉さんに、私たちは逆らえない。
「……ハイ」
続く沈黙に耐えきれず、返事をするのは私だ。
かこ、と、いつもより高い頻度で鳴っている鹿威しが、また鳴った。
雨のせいか少し音が曇っていて、何となく寂しい気持ちになった。
一昨日ぶりの書斎は、当然だが何の変化もなく私を迎えた。
昨日は結局庭を眺めていたら一日が終わってしまったが、ここも居心地がいい。
焔さんはまた椅子を私に譲り、自分は座布団を敷いて座った。
ここで椅子以外に座るという選択肢は消えたので、有り難く立ち上がりにくい椅子を貰う。
焔さんは自分が読む詩集と共に、私の図鑑もとってくれる。
正に至れり尽くせりだ。いっそ申し訳なさを覚える。
何とはなしに視線を泳がせていれば、文机の上の紙に行き着いた。
「…?」
馴染んでしまった、前世とは違う文字の羅列。
内容は簡潔で、衣食住の多くは問題なく、本が欲しいというものだった。
そこまで読んでしまってから、勝手に読んでいいことじゃないだろうと判断が追いついてきた。
全てを読み終わる前に視線を剥がし、焔さんの方を見れば、ばちりと目があった。
…流石に気まずい。
差し出す図鑑をそのままに、焔さんは私の視線の先にあった手紙を見た。
そして、再び私を見た。
幸い、紅蓮の瞳に怒りは見当たらない。
「帝へ、定期的に文を届けなければならないからな。これはその書きかけだ」
何も言えずにいると、焔さんから説明が入った。
帝…。そうか、この山という大きな檻の持ち主はニブフイエを治める皇帝だった。
そんなことを頭の片隅で考えるほどには、余裕があるらしい。
「勝手に読んで、申し訳ありません」
出来る限り迅速に謝ったら、焔さんは一瞬首を傾げた。
「見られて困る物ではない。第一、開いたまま置いたのは俺だ。問題ない」
先程より明確に差し出された図鑑を、ようやく両手で受け取った。
図鑑はやはり古びているが、立派だった。
「ありがとうございます…」
私の返答に一つうなずいて、焔さんは自分の本を開いた。
が、目を通すより先に、顔を上げて私を見た。
図鑑の表紙を開けようとした私は、ふとその動きに釣られて止まる。
ぱちりと視線が合ったまま、少しの沈黙が流れる。
「手紙を、書くか?」
焔さんはようやく、そう言った。
だが残念な事に言葉が足りてないせいで、言いたいことがイマイチわからん。
返事をしかねて首を傾げれば、焔さんははっとなったように言葉を続けだした。
「蛍はもう故意に両親と接触することは出来ない。だが、俺の名で手紙を出すことくらい出来る。差出人が俺では、読んでもらえるかどうかも怪しいが、蛍の名で出すより確実に届くだろう」
その言葉に、思わず破顔してしまった。
だって、まさか。両親に手紙が書けるなんて思わなかったから。
「もちろん手紙の内容は俺も含め、余人は決して見ないことを誓おう」
生贄として来た私が今尚生きていて、何より平和に幸せだと、ずっと伝えたかった。
実家の周囲へ行くことが禁じられていた以上、偶然出会うことさえ叶わないと諦めていた。
諦めていたのに。
「紙と、ペンを貸していただけますか?」
私の今日の予定は、手紙を書くことに変更した。
焔さんは優しいあの笑顔で、ああ、と快く返事をしてくれた。




