蛍という人間 ※朽葉視点
随分と読めない娘が来た。
それが、第一印象だった。
焔様に命じられた通り、私は奥様となる生贄を迎えに行った。
帝が選んだであろう娘たちに混ざり、鬼の使用人だと白い目で見られながら、件の娘に会ったのだ。
悲壮に暮れるか、はたまた反抗的な獣のような有様ではないかと懸念していた気持ちは、秒で吹っ飛んだ。
巷の人間が疎ましく思うという白髪は、老齢のそれらと違ってハリツヤがあって美しかった。
肌には傷が無く、抵抗も自傷もあり得ない。そして実際、着付けには一切の抵抗はない。
何より目をひいたのは、静かな感情を宿しながら、すっきりと前を見ている澄んだ瞳だ。
宿る心は絶望でも諦めでもない。
出来上がった娘は、姿見で自分の様を見て、口の端を少し曲げただけだった。
喜びも悲しみも、感じ取れなかった。
あまりに大人しいので、道中で抜け出す算段かと警戒した。
それならば、目が澄んでいることも説明がつく。
焔様に仕えるようになって長いが、ここまで焔様に対してどう思っているか分からない人間に会うのは初めてだった。
恐怖や嫌悪、ついでに憎悪が9割ほど、残りの1割に盲信と悲壮。
それが焔様に向けられてきた全てだった。
そのどれにも属さないこの娘は、なんだろうか。
娘は終始大人しく、両親との別れさえあっさりと終わらせた。
愛がないのかと思えばそうでも無いらしく、両親に頭を下げたその姿勢は敬愛と親愛を深く感じさせていた。
そして私が懸念した逃亡も杞憂に終わり、あっさりと娘は屋敷の敷居を跨いだのだ。
部屋を案内してすぐ、彼女は私の顔を見て悲鳴を上げた。
すぐに、角の名残だとわかった。
荒々しく勢いに任せて折った時のまま、私はその傷を手入れしていない。
幸いにも髪に隠れやすい位置だし、この傷は誇りであっても膿ではない。
悲鳴は慣れている。これが普通の反応だ。
軋む心に、静かにそう言い聞かせた。なのに。
「ひ、冷やすものか何か…何か探してきますから、大人しくしてて下さい!」
「え、あ、あの…!」
彼女は怪我だと誤認した。
それは、たまにとはいえ以前にも経験したことだった。
静止の言葉も聞かず、右も左も解らないだろう屋敷を、どたどたと駆け回る音が残った。
ああ、これが角の名残だと、態々説明する方が辛い。
優しい顔で怪我を心配してくれた人たちの顔色が、さっと変わるあの瞬間。
怪我を心配してくれるなら、きっと優しい人間なのに、その顔色を見る度に裏切られたような気持ちになるのだ。
時には騙されたなどと喚く偽善者もいるが、どちらにせよ面倒臭い。
廊下の向こうでめちゃくちゃになりながら焔様を呼ぶ娘は、真実を知って、今度こそ悲鳴をあげるだろうか。
騙されたなどと、喚くのだろうか。
重い足取りで娘の元へ行けば、焔様が既に駆けつけていた。
ああ、主にこそ無用な心配などかけさせたくはないのに。
大丈夫だと説明すれば、娘は訳がわからないと言った顔で、ぽかんと口を開けた。
その口から漏れた間抜けな声は、彼女の本心そのものだっただろう。
心配をかけたかもしれない焔様の為にも、髪をかき上げて角の名残を見せた。
すると、娘は今まで見たことない反応をした。
じわじわと首や耳から赤くなり、最終的には顔が真っ赤になったのだ。
いや、もしかしたら喚き出す前兆かもしれない。
密かに怒声を覚悟したら、彼女は絞り出すような声で言った。
「痛く、ない、です…?」
それは、例えるなら転んだ子供の膝に出来た擦り傷に言うように。
うっかり針仕事で刺してしまった指先の心配をするように。
これが角の名残であると知って尚、彼女は私を気遣ったのだ。
「はい」
綻ぶ気持ちを止めることは出来なかった。
久しく触れた暖かさに、私は自然と笑ってしまった。
すると彼女はくにゃりと座り込んでしまい、ただ恥ずかしそうに顔を隠した。
彼女のこの様子を見るに、偽りも嘘も無さそうだ。
なんて可愛らしいのだろうか。
「穴を掘ってください…」
その声の弱さときたら!
続いて真にうけた焔様と娘の二人の様が、余りにも自然で。
私は随分と久しぶりに、大声で笑ってしまった。
娘は何も、本当に本当の意味で何も知らなかった。
あまりにも無謀であり、無鉄砲であり、自殺行為ですらあるそれに、私は密かに頭を抱えた。
もし真実を知れば、彼女は今度こそ怯えるかも知れない。と。
だが娘は、不思議なほど覚悟していた。全てを。
曇りない真っ直ぐな眼差しで、偏見も宿らぬ瞳で、ただただ、ありのままの焔様を見ていた。
その時、ふと直感した。
この娘は、焔様に相応しい、と。
私の角の名残を見て尚、彼女の態度は一欠片も変わらなかった。
私が鬼だと知って尚、焔様の噂を知って尚。
彼女は全く、変わらなかった。
生贄の話が降って湧いた時、始めこそ嫁という条件を突き付けたが、それを承諾するようなら養子として迎え入れる方向で考えよう、と、焔様は言っていた。
だから私はてっきりそうなるものだと思い込んでいた。
当初の予定とは全く違うが、良い方に裏切られたと言うべきだろう。
娘は、養子ではなく、鬼嫁となった。
やはりと言うべきか、彼女は天龍も知らないようだった。
富を望む心ない人間により里を襲われた過去を持つ天龍族の双子を、あろうことか子ども扱いだ。
それがくすぐったいのか、龍の双子も彼女にはあっという間に懐いた。
その晩のお酒の席では無礼を働かず、その上で楽しんでいる様子だった。
物を食べる仕草が余りにも小動物のようで、滅多にない好感を持てる客人となれば、ここにいる者たちは世話をやかずにはいられない。
龍は親のように料理をよそり、私もついつい酒を注ぎ、焔様に至っては雛鳥に餌付けするかのように、食べ物を一口ずつ口へ運んでいた。
きっと、これで天狗になるようだったら、私たちの関係はもっと心無いものになっていっただろう。
彼女は当然のように、過ぎた世話を断った。
酒も料理も、自身の容量を超えぬようにきちんと断っていた。
彼女への好感は、鰻登りだ。
何より彼女は、取り繕うことも誤魔化すことも不得手なようで、それが一層、不信感を消していった。
彼女は、不思議なほどこの屋敷に馴染んでいた。
翌朝、飲ませすぎたかも知れないと軽めの食事を作れば、彼女は再びにこにことご飯を食べた。
そういえば、彼女は昨晩もそうだったが、疑うことも知らないようだった。
ご飯に毒でも、などと言い出すことも警戒することもなく、黙々と美味しそうに食べてくれる。
これは、何やら守ってやらねばならない気になる。
子猫や子犬のようなのだ。
彼女の瞳には強い意思すら宿っているのに、言動が危うい子どものそれに見える。
ふらふらとして、いつ転ぶか分からない幼子のような。
入り用な物を揃えろと、寝癖の跳ねたままの焔様がおっしゃった。
当然何も知らされていない娘は、実家のものをと言ったが、そればかりは許されていなかった。
鬼嫁となり山へ来るということは、実家と一切の関わりを経つということ。
鬼のものとなった彼女が、万が一にでも逃げ帰らぬように、と。
それを伝えれば、彼女はわかりやすく落ち込んだ。
どうにか出来ないかと思案するも、彼女の喜ぶことなど何も知らない。
すると私たちを気遣ったのか、娘は気丈に笑ってみせた。
誤魔化すのが下手な奥様は、歪な笑顔で大丈夫だと言った。
そのまま、話題を少しだけずらして、話を転がしていく。
こういったときに双子の龍は、よく弾む声で場の雰囲気を明るくしてくれる。
だが、それより何より、昨日来たばかりの若妻は、あろうことか鬼や龍に張り合って、買った荷物は自分で持って山を登ると言い出したのだ。
昨日に引き続き、随分腹筋に優しくない奥様だが、双子の龍たちが息も絶え絶えに笑い転げているのは、数十年ぶりに見た光景だった。
「焔さんは行かないのですか?」
悪意のないその質問に、心臓が跳ねた。
再び沈黙の訪れた居間で、焔様はありのままを言った。
散歩が好きなこのヒトが、本当は山の麓に行きたいのを、この屋敷の者はみんな知っている。
だが、主が麓を歩くには、数多くの障害がある。
鬼の血。それにより周囲に散らされる災厄。
偏見と嫌悪の視線と、その数。
優しすぎる我が主は、それにより傷つく自分より、厄に触れるやもしれない人間の心配をする。
「…ごめんなさい…」
弱々しい声とは裏腹に、彼女の瞳の奥は不服だと言っていた。
それは謝ることに対してではなく、焔様の置かれた状況に。
彼女の中では、私たちは既に家族なのかも知れないと、不意に思った。




