ボトルネック
洋食文化のない江戸時代の武士が顔をしかめる場面はあったが、着飾ったジャパレンジャーは和やかな時間を過ごした。
視線は遮られているものの同じ空間で上品な人々が食事をしているため、酒はほどほどにしておいた。
夜はまた真希、寿明、耕造の三人で部屋を使う。
翌日もまた歩き続け、野宿する予定だ。しっかり眠って疲れを取り、朝は元気に目覚める予定だった。
その予定だったのに。
とうとうこの日が来てしまった。真希は目覚めた瞬間に気づいた。
今日来るか明日来るかと戦々恐々としていたが、予定より遅れていた。このまま来なければいいのにと願っていたのに。
でもこのタイミングで来たのは僥倖だった。
水道がある。野外ではなく、壁に囲まれた場所で処置ができる。
真希は珍しく一番に起き出して、よろよろしながらなんとか事態に対処した。
そして再び寝台に戻り、同室のふたりの目覚めを待つうちに眠ってしまった。
「北村さん」
寿明の遠慮がちな手に肩を揺すられたときには覚醒していたが、目はつむったままだった。
「……ごめん、無理。起きられない」
弱々しい声の真希に、寿明が医者の卵の顔になる。
「どこが悪い?」
「生理痛……」
まだ少し先の予定だからと、通勤鞄の中の薬を補充していなかった。常備しておけば、こんなときにも助かったのに。
同年代男子に申告なんかしたくなかったが、そんなことは言ってられない。彼は医者役だ。羞恥心なんかは捨ててもいい。
「いつもとは違うの?」
ちゃんと心得ている寿明は、淡々と質問を続けた。
男ばかりのメンバーだけれど、彼がいてよかった。医学部五年生なら、専門でなくてもひと通りの知識はあるはずだ。たまに馬鹿みたいな都市伝説を信じている男も存在するから。
「ちょっと酷いけど大体いつもこんな感じ」
「鎮痛剤。アセトアミノフェン……」
珍しく医学部生らしい独り言だが、そんなものここで期待したって無駄だ。
やっぱり彼も同年代男子だった。動揺してやがる。
「先生、処方箋出していただいても薬局がありません」
「そうだった」
「二、三日も耐えたら痛みは治まるから我慢するよ」
弱々しくなってしまったが、なんとか笑えた。
それを見た寿明のほうが、痛みに耐える顔になる。
それを珍しいなと見上げる真希の前で、彼は大きく息を吐いてその場にしゃがみこんだ。
「ごめん。医学部生とか言って威張ってたくせに、役に立てない」
具合の悪い人間にそんなに共感してしまっていては、医者になったときに大変そうだ。
だけど彼には理解できないであろう痛みに親身になってくれるのを見ると、少し気持ちが軽くなる。
「元から期待してないよ」
「ひど」
「あたし法学部卒だけど、梶原くんが悪いことしても弁護してあげられないし」
「期待してない」
「ほら。同じでしょ。悪いんだけど、みんなに説明してきてくれる? ぶっちゃけても別に気にしないから」
「必要な物はもらったって言ってたろ。足りない物はあるか」
寿明の後ろにいた耕造が訊いてくれるのは親切だと分かっているが、知識のない相手に説明する元気はない。放っておいてほしい。
「ううん、大丈夫」
「対処法は北村さんのほうが詳しいと思うよ。とりあえず湯たんぽ的なものがないか訊いてくる。そのあと向こうの部屋で話してくるから」
「うん」
「俺はこっち残ろうか」
「ごめん、ひとりにしてくれたほうが嬉しい」
「……ふーん」
親切心からの言葉を拒否した真希が悪いのかもしれない。
でも何あれ。体調悪い人間に対してあからさまに不機嫌にならないで欲しい。
これだから無知で無神経な男は嫌いなんだ。
毎月二、三日ほど具合の悪くなる真希に対して、気遣うでもなくいつも通り理不尽な命令をしてきて。一年中元気なおっさんがやればいいだろう、あんな雑用。新人がやれと言うなら、同期の男がやったっていいはずだ。
あんな奴ら滅びればいいのに。
魔王を倒さなければ、男どころかこの世界丸ごと滅びるという話だった。
滅びるとはどういう意味だろう。真希が生まれる前に流行っていたという終末論。恐怖の大王でも降ってくるのだろうか。
魔王、という名の個体を倒さなければ、という条件があるということは、もっと直接的に、魔王が人間を全滅させるのだろうか。
怖いな。魔王。まず魔の王って名前。きっととんでもなく悪い奴なのだろう。
そんな怖い奴、刺激せずにこれまで通り棲み分けしていけばいいのに。
なんで全然関係ない世界に住む真希が生理痛を抱えながら考えてやらなければならないのだ。
でも魔王について考えていたら、この鈍痛から意識を離せる。
魔王、魔族は黒髪。体毛ではなく髪の毛、ということは、きっと人間のような姿形なのだろう。
少女漫画ではそういう奴は美形と相場が決まっているが、多分違うだろう。そんな存在、倒してしまうのはもったいない。では、獣じみた恐ろしい顔をしているだろうか。
黒髪、と聞くと、どうしても自分のような黄色人種を想像してしまう。
日本人のような風貌をしていたらどうしよう。倒せと言われても心情的に倒す、殺す? ことなんてできない。
そう、たとえばこんな感じの人物だったら。
ぼんやり開けた視界に、ひとの姿が映る。
「お薬、よかったら飲んでください」
日本人顔だ。ジャパレンジャーではない。年上の、母親よりは若いかもしれない、くらいの年齢の女の人。
動きやすそうな洋服。一瞬、元の世界に帰ってこれたのかと錯覚してしまう。でも女性の向こう側に見えるのは、変わらない宿の室内。
この世界にも、黒髪の人間はいないわけではないと聞いてはいる。ホテルの従業員だろうか。
こういうひとたちはきっと、表には出ないところで働いているのだろう。黒髪差別を避けるために。
真希は黒髪でも気にしないだろうからと薬を届けてくれたのだろうか。
「はい……」
最初に泊まった宿の女将さんにもらったお茶は、悪いものではなかった。女が、生理痛に苦しむ女に悪いものを呑ませるわけがない。
信用しても大丈夫だ。
少しでも楽になりたい気持ちを肯定するため、真希は自分にそう言い聞かせて、差し出された錠剤と水を口に入れて飲み込んだ。
「すぐには効かないけど、もう少し寝て起きたらだいぶ楽になっていると思います」
「はい……ありがとうございます」
その女性は優しく微笑んでうなずいた。なんだかほっとする顔だ。
知らないひとなのに。同性だからかな。男ばかりのメンバーで、知らず知らずのうちにストレスを溜めていたのかもしれない。
真希はそのまま、痛みから逃れるために再びまどろむことにした。
コンコンコン。ノック音。
「……はい。はい、どうぞ」
はっとして返事をすると、寿明が顔を覗かせた。
「北村さん。入っていい?」
「あんまりよくない。十分待って。そっちの部屋行く」
「起きられるの?」
「うん。ありがとう。待ってて」
腹の内側に抱えた重いモヤモヤが軽くなっている。身体を起こしても平気だ。
薬が効いたようだ。効果はどれくらい持続するのだろうか。
急いで最低限の身支度を整え、隣の部屋をノックすると、四人が揃っていた。
「お待たせしました」
「うん。僕ら朝ご飯食べてきたから、北村さんもこれ」
寿明が示すテーブルには、お盆に載せたパンやスープ、飲み物がある。
「ありがと」
真希は礼を言いながら、全員に向かって軽く会釈する。
微妙な気遣う視線が気まずい。ご心配おかけしまして、とかなんとか言うべきかとは思うが、気まずい顔をされていると何も言えない。
「おまき、すまんが拙者は先を急ぐ」
久道が穏やかな声で告げた。
マントのフードをかぶっているから、そんな気はしていた。また二手に分かれることにしたのだ。
「分かったよ。新さんとふたりで?」
旅装を整えているのはふたりだけだ。少し先まで偵察してきてくれるのだろう。
新右衛門は曖昧な微笑を浮かべた。
「……元気でね、おまきちゃん。また会える、とは思うけど」
「?」
「こいつらは、おまえの足に合わせてられねえんだと」
ボトルネック 物事の進行を遅らせる要因や障害




