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人生の退職代行会社〜新しい人生へようこそ〜  作者: 地野千塩


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人生の退職代行会社と最後の晩餐(1)

 石井正規。三十歳。こんな名前だが、一度も正規雇用で雇われた事はない。なんという皮肉だろうか。


 ここはとある健康食品の経理部だ。正規は中央のデスク群少し離れた所で、掃き掃除をしていた。今は正社員連中は会議に出かけていて、電話番を頼まれているわけだが、暇だ。電話も来客もなく、仕方ないので掃除するしかない。通常の業務も全部終わり、いわゆる社内ニート。スーツを着たニート。顔も三十歳の割に幼く、肌質や髪質を除外すると、高校生のようなルックスだ。元々童顔ではあったが、居酒屋では未成年だと疑われるしコンビニで酒を買う時も身分証明書を見せろと言われる。


「つまんね……」


 オフィスに誰もいない事ので、ついつい愚痴がこぼれる。中小の健康食品会社だったが、中途半入社してくる氷河期世代も多いらしい。氷河期世代でもいわゆる勝ち組で、なんとなく正規も苦手。部長には「障害者雇用の待遇なんて自己責任ではないか? 税金もろくに払ってないんだろ?」と面と向かって言われた事もある。


 そう、正規は障害者雇用でここで働いていた。いわゆる訳あり社員だ。腫れ物ともいう。最初は普通に接してくれた上司たちも、だんだんと正規の態度にイライラとするようになり、仕事も任されず、減給もされ、社内ニートしている今にいたる。


 大学もいいところに行った。他英語や簿記などの資格も取得したが、この頃から社会不適応は悪化。新卒カードもドブに捨て引きこもっていたら、もう正親の社会的居場所は消失していた。父親の知り合いの紹介で寿司屋の洗い場でバイトもしていたが、鈍臭い、暗い、なんかキモいとお局パートの井中千花にいじめられ、もっと酷い引きこもりになった。


 それは正規にとってよかったのかもしれない。親に無理矢理連れられた精神で鬱病認定もされ、障害者手帳も発行された。その後に福祉作業所や就労以降を転々とし、どうにか一般企業のここへ入社できたものだが、社内ニートだった。


「という事で、森内さん。社内ニートがしんどいですね」


 正規は仕事が終わると、就労移行施設に向かった。雑居ビルの一室にあり、見た目は精神や発達障害者向けの福祉施設には見えないだろう。


 担当の精神保健福祉士である森内理穂に愚痴をこぼす。狭いカウンセリングルームは湿っぽい空気だ。就労定着支援もあり、正親は就職した後もまだここと縁が切れていなかった。


 森内は神妙な顔をみせながらノートパソコンに正規の発言を記録。ちゃんと聞いているのかいないのかわからない。大学を出たばかりの福祉士だが、体型もだらしなく、口元もボコってしているから頭が悪そう。優秀な人は福祉業界など選ばない。正規の中には偏見もあり、森内も無能だと決めつけていた。はなから期待などしていないが、愚痴は止まらない。


「そっか。でも、同じ経理部の先輩だった高瀬川優香さんや営業部の夏目光輝さんには優しくしてくれたって言ってなかったけ? 正規くんの頑張りは見てるわ」


 森内はそう言うと涙ぐむ。もしかしたらチャリティードラマとかに感動するタイプかもしれない。確かに「障害者が一生懸命頑張っている」ように見える状況でがあるが、現実は社内ニート。社員からの腫れ物扱い。本心ではやめさせたいのだろうが、障害者雇用は国から会社に金も入るし、一定の雇用義務もある。意外とすぐには首にはできないシステムだったりはする。


「高瀬川さんも夏目さんもやめましたよ。詳しくは知らないけど、退職代行を使ったみたいです。はは、会社って変なところだね。優秀な人、やさしい人からいなくなる」

「正規くん、自虐みたいな事は言わないで。大丈夫。頑張っていたら報われるよ」


 森内はカルト宗教の教義みたいな事を言う。カルト信者も頑張って勧誘し、お布施をつめば報われると思っている。残念ながらカルト宗教も現実の仕事も頑張りが評価される事は少ない。


「大丈夫。正規くんが陰で努力している事は、お天道様がみてる。頑張って!」


 森内の発言を聞けば聞くたびにウンザリとしてきた。


 その後、足早に就労移行施設を後にすると、自宅へ戻る。低賃金の障害者雇用で一人暮らしは無理。今も子供部屋に住んでいる。障害年金もとっくの昔に打ち切られている。年金の条件は働けないとおりやすいらしい。年金+労働収入のモデルケースは、意外とハードルが高い。障害者は親元でずっと子供部屋おじさんやっているか、手厚い社会保障を受けられるほどの重体になれと国から言われているようなものだ。仕事と病状を上手く折り合いをつけて頑張ろうとする者が一番損するシステムが出来上がっている。


 正規は一人、子供部屋で異世界転生アニメを見て見ながら考える。そうやって社会福祉に頼ったり、障害者雇用の非正規で働く自分って成仏できない浮遊霊のようだ。


 せっかく青春を無駄にしながら、学歴や資格という立派な戒名も手に入れたが、新卒時の就活で失敗したら、高確率で浮遊霊。三途の川を渡り損ね、もう誰からもお祈りすらされない。異世界転生アニメみたいに死んだら夢のような世界もない。


「はぁ、くだらね……」


 そんな事を考えていたら、異世界転生アニメでも現実逃避できない。アニメの視聴も辞め、SNSでも見よう。最近は氷河期世代の底辺男の配信を見るのが好きだった。早口でボソボソと話すところなど親近感がある。フォローして生配信では質問に答えてもらった事もある。社会不適合者や子供部屋おじさんだったら。共感できるSNS No.1だろう。


 今日も生配信がある予定だ。ワクワクしながらSNSのアプリを開いていたが、正規の期待は裏切られた。


 例の配信者は過去に結婚し、妻と子供もいたらしい。最近再会し、家族三人の時間を過ごせたと語っていた。


「はあ?」


 勝手にこの配信者は恋愛や家族にも縁がないタイプと思い込んでいたので、変な声が出た。裏切られたような気分。


 といってもSNSでフォロワーを作り、生配信まで行うのは、真正の社会不適合者や子供部屋おじさんには出来ないだろう。思えば、この配信者は進行や話題も脱線しなかったし、そこそこの社会性があった事も思い出す。


 それに所詮、SNSの世界は架空。広義のメタバースみたなものだ。キャラクターを作っていてもおかしくない。正親が「裏切られた」と思うのは、的外れ。


 そう考えても、正規の気分は晴れない。また異世界転生アニメを見ても、精神科から処方された薬を飲んでも、もやもやが濃くなっていく。仕事でも新しく入ってきたZ世代の当たりもキツく、森内も頼りない。希死念慮に悩まされるようになり、休日は一日中ベッドの上。風呂も食事もキャンセルし、異世界転生アニメを見続けるが、ますます浮遊霊になった気分だ。希死念慮も今回だけでない。昔も何回もあり、市販薬を何錠を飲み込んだ時もあったが、実家の子供部屋でそれもやりにくい。


「あぁ。なんかもう人生から退職したいな……」


 ここで仕事を辞めるのもグッドアイデアだが、一般人でも履歴書のブランクを作るのはリスキー。障害者雇用でも同じような傾向で、身体障害者の方が圧倒的に有利な市場だったりする。「メンタル壊したら休めばいいじゃん。仕事も辞めればいいじゃん」と軽々しく言う一般人も多いが、日本社会の本音はそうじゃない。


 正規はよく知っている。求人票、福祉、年金の制度から発せられる日本社会の本音なんて想像以上に残酷だ。ブラック企業で自殺した人のニュースも見たが、新卒一括採用を好み、履歴書のブランクを嫌う日本社会が犯人みたいなものだ。気軽に仕事も休職や退職ができ、既得権益もなく、中抜きも無くなり、誰にでも出来る仕事が多く、ブランクも不問な社会だったら、いくらブラック企業に引っかかっても自殺なんてしなかっただろう。


「どうしよう、ほんと、死にたい……」


 今回の希死念慮はしつこいらしい。頭は濃い霧がかかったよう。ますます浮遊霊になった気がした。

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