人生の退職代行会社と神様の仕事(1)
山下亜由子、三十歳。そろそろ未経験職への転職が難しくなる年代だった。
「ふぅん、あの退職代行会社、自己啓発本出したんだ」
今日、亜由子は駅ビルの中の本屋にいた。ワンフロワ全部本屋で広い。平日の午前中だというのに、レジには行列ができていた。
亜由子はビジネス書コーナーへ行き、適当に新刊を見ていた。客層にサラリーマンが多いのか、ビジネス書は充実し、新刊は山のように積まれている。副業、マーケティング、株、SNS運用、自己啓発、パワースポット参拝や引き寄せの法則のビジネス書まであり、なかなかのごった煮状態だったが、その中に退職代行サービスの広報が書いて本を見つめた。自己啓発らしい。
タイトルは「人生の絶対成功十戒〜退職代行会社が教える十の法則〜」。装丁はシンプル。中は文字が多くスカスカ。口語調で語られていて、数ヶ月後にはブックオフで投げ売りされている様子が目に浮かぶ。亜由子は一時期、自己啓発書にもハマった過去があるが、それ故にこの手の本の下らなさはよくわかる。こういった書物で読者を騙すから成功するのである。それ自体は成功法則ではない。こういった本が本当なら、自己啓発本を作っている出版業界が斜陽なのが説明つかない。パワーストーンの店が潰れているのと同じ理屈だ。
それでも亜由子はこの本を見逃せない。手にとってペラペラと捲る。かくいう亜由子もこの退職代行会社の顧客だった。しかもヘビーユーザーだ。
元々はそこそこ名の知れた会社で広報をしていたが、上司のパワハラがキツくなり、助けを求めた先が出エジプト社という退職代行会社だった。ネットでもよく広告を見るし、最近は終活サービスでも人気らしく、パワハラで悩んでいる事もあり、まともな判断力もなく、すぐに申し込んでしまった。
ある意味、それでパンドラの箱を開けてしまったのだろう。その後すぐに転職に成功したが、パワハラを受けたり、人間関係に馴染めず、退職代行を使って退職。その後も転職したが、なんか合わず、退職代行を使って退職。その繰り返し。まるでジョブホッパー。仕事の輪廻転生を繰り返していたが、なかなか理想と思える仕事がない。嫌になってすぐ辞める癖がついてしまった。
今も退職代行を使って辞め、転職活動いるところ。亜由子は面接官受けする志望動機や自己PRが苦手ではなく、見た目もそこそこの美人なので、転職先はあっけなく見つかるので、現在、ジョブホッパーに加速度がつき、前の会社は三日で辞めてきた。
あの退職代行サービスはリピーターに甘く、金額も安くなっていく。会員特典などもあり、どうにも仕事の輪廻転生の渦から逃げられない。輪廻の果ての理想の仕事を目指しているのに。いつまでも成仏すらできない気分。理想の転生先が見つからない。
今、手にしている自己啓発書。綺麗事で並べられ、亜由子のような顧客はバカにしているのだろう。かといって、ずっと同じ会社でパワハラを受け続けるのも違う気がし、亜由子の表情はどんどん暗くなる。
転職活動でも黒いパンツスーツ、黒いパンプス、黒髪。みなハンコのように同じ格好になるが、だんだん息苦しくなってきた。
ビジネス書のコーナーには似たようなスーツの若者が本を立ち読みしていた。大学生の就活か第二新卒かは不明だが、なぜ皆同じ格好になるのだろう。
大学時代の就活時、企業説明会でも見事に同じ格好だった。かろうじて男女の差がわかるぐらいで、みんな同じスーツだ。工場で大量生産されたスーツを着ているから。そういう文化だから。そう自分を納得させていた亜由子だが、今思えば、一種の宗教団体にも見える。
就活も宗教かも知れない。「正社員になって一生安泰」という戒律を守る為、同じ格好をし、嘘くさい志望動機や自己PRを読経する。内定が出た後は、毎日八時間以上修行をこなし、税金というお布施もとられる。頑張って我慢して素晴らしい修行をすれば、来世(老後)は極楽浄土という教義を信じながら。良き地位や肩書きという戒名も欲しがりながら。
急に働くのが馬鹿馬鹿しくなってきた。転職用の黒いスーツが息苦しい。この宗教に入って幸せになれれば良いが、今のところ亜由子は全く幸せではない。改宗したいぐらいだったが、それ以外の宗教は思いつかず、退職代行を使いながら、仕事の輪廻転生を繰り返す日々。
「はぁ……」
亜由子はため息をつく。確かに仕事を辞めた時は楽しいが、こんな事を繰り返している今は、別に幸せでも無い。同じスーツを着て就活や転職活動をしている他人を見ても、全く幸せそうに見えない。
これでも亜由子は優等生。十個下の綺咲という妹もいたし、母は過保護で毒親傾向がある。今の亜由子の現状も「長女の将来は終わった……」と嘆いているぐらいだ。
「まあ、くだらないと思うけど」
手にしていた自己啓発を買いにレジに並びに行く。
前に並んでいる客もスーツ姿だった。おそらく就活中で、手には自己PRや面接対策の本を手にしている。前の客の背中を見ていると、息苦しさはもっと強くなってきたが、仕方ない。
もしかしたら、この出エジプト社の広報・百瀬亜論が書いた自己啓発書が福音に似たものとなるかも知れない。
微かな期待を持ちつつ、レジへ向かっていた。




