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「千義さん」

聞こえてきたその声にふと顔を上げた。

「うなされてるみたいでしたけど」

目の前に座った雀谷にそう言われてやっと目が覚めた。年代物の車両のあちこちは黄色く日に焼けていた。クーラーのない、時折天井に取り付けられた扇風機の風が緩く流れてくる。古びた車内には自分たちのほかに人影は無い。朝八時に雀谷に連れられて出掛けたはいいものの一日に数本しかないおんぼろ電車を乗り継ぐという移動時間の半分ほどは待ち時間になるなんとももどかしい旅だった。固まった体をほぐす様に座りなおし寝汗を拭う。横の方に置かれた駅弁の空き箱がかさりと鳴った。窓の外から見える風景は部屋とそう変わらない、緑のよく育った稲穂の水田と遠くに山の見えるただまっすぐな一本線路だった。時折、車体の揺れるガタンという揺れにいつの間にか眠ってしまっていたらしい。そうか夢だったのか、中途半端に現実と混じっていたのもなんとも夢らしいと言えば夢らしかった。声をかけてきた雀谷の脇に駅前の売店から持ってきた饅頭の箱が置かれていた、半分ほど減ったその箱を見ながら体を伸ばした。

「いいや、別に大丈夫、ちょっと夢見が悪かっただけだから」

「夢ですか」

口に運びかけていた饅頭を持つ手を止めた。

「そう、ほんと思い出とかどっかで見た映画とかごちゃまぜの闇鍋みたいな夢だったよ。ほんB級もいいとこだったからうなされてたのかもね」

そうですか、と雀谷はうなずくとまた饅頭に手を伸ばした。一個ちょうだい、と差し出された箱から饅頭を取ると床に打ち粉が落ちる。しまった、と思う間もなく打ち粉は床に広がる前にひもがほどけるように消えた。

「カケラになってよかったことの一つは掃除が楽になったことです」

太陽の光は少し西に傾いていた。時計を見ればすでに二時を回っていた。部屋を出てからすでに八時間弱、片道だけでこれなら帰りはどうなるんだろう。

「こんなにしてまでどこへ行ってるの」

ここまで時間をかけていったいどこへ行っているのか、移動だなんだと結局はぐらかされたままになっていた。

「閃永寺っていうお寺です」

ふーん、興味もなくそう言った時気づいた。

「お寺って、いいの。さっき坊さんには近づくなとか神社仏閣の文字は見てもいけないとか言ってなかった。」

部屋を出る前、やたらと念押しされたことを次の瞬間にはもう破るための旅路が始まっていたのか、ならなんであんな話をしたのだろう。

「本当なら僕たちの天敵ですけど、さっき言ったでしょう、この辺りの担当は適当な人だって、だからそんなに消されるとかあまり考えなくてもいいんですけどやっぱり新参のカケラがいきなり現れたらさすがにどっちも危険ですからね、人もカケラも。だからそうならないよう顔見せっていくことです」

なるほど、と頷くとちょうどやる気のない車内放送が聞こえてきた。

「それじゃ、行きますよ」

ゆっくりとスピードを緩め始めた電車にあわてて片付け始めた。


 電車から降りてどれ位たっただろうか、時計はもうすでに四時を過ぎていた。夏の暑い日差しが真新しいアスファルトに照り返されてさらに熱気が倍増してくる。もう、死んで幽霊だっていうのになぜこんなにも暑いのか、さっきの打ち粉みたいに少し不思議要素もあるのならこういう事こそ熱さを感じないとかそういう便利仕様にすればいいのに、そう思いながらも鞄の中から取り出したオレンジジュースは既に冷たくはない。残った嫌なほど甘いジュースを飲み干した。

「あと少しですから、それにニ、三か月もすればこんな暑さも感じない様になれますから」

「それはうれしいような、うれしくないような」

険しい自分の顔から心の中を読まれたことに少し不満を感じる。持ってきた白い鞄の中に空のペットボトルを突っ込むと少し前を歩く雀谷を追った。代わりに引っ張り出したタオルで汗をぬぐった、田んぼのすぐ脇の所々舗装の割れた道を歩く。蝉の鳴き声が熱気を三倍くらいに増幅しているような気がする。コンクリートジャングルの温室効果よりはずっとましに思われる周りを森と水田に囲まれたこの田舎道でも暑いものは暑い、一番暑い時間帯は過ぎたとは言え、まだ滝の様な汗が収まることはなかった。そんな自分の前を着かず、離れずずっと二メートルほど先を歩く雀谷の黒い背が見えた。背広まで来ているのに汗一つ掻いていないというのは少し不気味にも思えた。

「あんたなんか薄気味悪い」

「薄気味悪いって、ひどいですね。馬鹿とか阿呆とかキモイとか言われるよりも精神的に来るものがありますね」

「こんなに暑いのに汗一つ書いてないなんて、宇宙人みたい」

「なんなら教えましょうか、教えれば十分もあればできるようになれますよ」

「いい、私はまだそんなびっくり人間になる気はない」

「便利なんですけどねぇ」

思い返せば、今朝、自分が付いて行くといったあの時、久しぶりに見たあの嫌味たらしいたれ眉の意味はこれだったのか。自分は涼し気なその様子に歯噛みするしかない。最近見なかったあの顔にはそういう意味があったのか。こんな暑い田舎道を何時間も歩くことをわざと言わなかったのは私の疲弊した顔を見たいためか。なんて変態野郎め。久しぶりに見たら、なんで自分がたれ眉のあの顔がそんなに嫌いだったのか分からなってきていたのに。そうだ、この感覚だ。この何かを引きちぎりたくなるような、主に雀谷の手足を引っ張って引きちぎりたい衝動に駆られるこの気持ちだ、引きちぎってミンチにしてハンバーグにして大根おろしをかけて食べてやるそんな感覚だ。確かに自分も暑さを感じなくしようと思えばできるのだろうがその提案に乗ってしまったら雀谷の策略にはまってしまったようで決して首を縦に振る気にはなれない。何よりなんとなくそうしてしまったら、もう戻らないような気もした。

「そういえばなんでこのバックは砂時計みたいに消えないの」

上機嫌に歩く雀谷の背を睨みつけながら言った。トラックに飛ばされた後、地獄の様な田舎道の行軍の経験から朝、部屋を出る前に雀谷から借りたこの白いバック、元のバックが部屋にあったわけではなくどこからか雀谷が取り出してきたのだ。自分が持てている限り、このバックも彼の言うカケラなのだろうと推測する。けれど、自分が今まで見たカケラはそんなに長くは残らなかった。食事も、食器も少し時間がたつと、ふと消えてなくなっていったのだ。

「僕が作ったんですよ」

「はぁ、あんたが作った」

「そう僕が」

背後から感じる私からの疑いの視線を感じたのだろう。こちらを振り返った。その時にはもう左手に大きな傘が握られていた。黒い大きな傘。空を見れば真っ青な青い空ともう少しで夕立を運んできそうな入道雲が見えた。雨は降っていない。もちろん部屋を出る時にはそんなもの持っていなかった。道の途中で買っているわけもなく、何より振り向く前には左手には何も持っていなかったのだ。

「慣れればこんなことも出来ます。でもそんなに難しいことじゃないんですよ。それこそ、汗をかかなくなるとか、心臓を止めるとか、そんなことと同じことです」

「死んで魔法が使えるなんて、皮肉ね」

「これは魔法なんて上等な代物じゃないです」

そう言うと彼は持っていた大きな傘を私に差し出すとまた次の瞬間にはもう自分の手の中に同じような傘を持っていた。

「僕たちカケラのやることはすべて現実の通りに戻ります。たとえば扉を開けたら扉のカケラを開ける事が出来るから僕たちは通れる、けれどカケラはすぐに消える、一分もすれば元の開いてない状態に戻る。まるで何もなかったように、元の姿に戻る。結局、僕たちのすることはすべて無に帰する。」

「でも服とか消えないじゃん、このバックも」

「それは私たち自身がそれを知覚しているからです」

「知覚って」

「僕たちは服を着ています、服を着ている、バックを持っている、その中に本を入れた、ジュースを入れた、そうやって知覚することでずっとそこにあると思う、だから無意識でずっと服を作り続けているのです。だから消えるのを抑えることはできるんです」

「じゃあもしかしたら今頃、部屋に置いてきた私の通学鞄は消えてるかもしれないってこと」

「今、千義さんが思い出した、知覚したから多分消えてはいないと思いますけど」

自分に残った唯一の財産、何とか死守しなければならない。とはいっても重い教科書とノートとその他、お菓子のからとかペットボトルとか、友達から借りた漫画の七巻だけとかである。無くなってもあまり痛くもかゆくもないのだが。

「だから僕たちカケラは何でもできるんです、その結果は結局無に帰るから。すべてのことをしても、どんな犯罪行為も、戦争を起こしてだって次の瞬間にはもう何もなかったように本物に帰る。だからどんな不思議なことだってできるんです」

そう言うと彼は傘を差した。黒い大きな傘は一人用にしては少し大きいように見えた。何か声を掛けようと思った。前を行く彼に何か言おうと思った。真っ黒な背中しか見えない彼のその言葉何故かとても悲しく聞こえたから。けれど、声をかける前に、冷たさが手に触れた。先ほどはまだ空の端に見えた入道雲はいつの間にか暗い夕立雲となって私たちの頭上に迫っていた。

「もうすぐつきます、急ぎますよ」

まくしたてる雀谷に、渡された傘を差しながら付いて行った。

夏の高い雲の雷を引き連れた雨が降り始めた。


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