三話
イーヴァの勤める花の宮の真北に位置する剣の宮には、王太子ルイス・フェビアン=マクファーソンが居を構えている。エーヴリルの花の宮とは違い、豪華ながら清閑さを添えた装飾は次代の王の住まいに相応しいと言える。イーヴァは、王女からの命で王太子の書庫に隣国の内政書を拝借しに向かっていた。次代の王の住まいというだけあり、訪問の手続きも厳重な審査の元で行われるため王女の紹介状があっても許可が降りるまで実に5日もかかった。警備のためか、宮の門口に着くと案内役の騎士が立っていた。短く切り揃えられた金髪が爽やかなイメージを持たす男だとイーヴァは思った。色付き硝子をはめ込んだレンズで目はよく見えないが、おそらく顔もしっかりとした造形をしている思われる。
「はじめまして。本日レディ・ハーヴィをご案内させて頂く名誉を頂きました近衞騎士のアーロン・ベイリアルです。以後、お見知り置きを」
「イーヴァ・ハーヴィですわ。ベイリアル卿、今日は何卒宜しくお願い致します」
定型とも言える簡単な挨拶を済ますと、イーヴァはベイリアルに伴われ書庫に向かって歩き出した。
「レディ・ハーヴィは政治に興味はおありですか?」
突然ベイリアルが問い掛けた。イーヴァは意図を探ろうとしたが、どうやら書庫に着くまでの暇つぶしの会話のようだった。
「女性相手には適さない話題ですわね」
「はは、確かにそうですね。あまりご婦人に喜んでいただけるようなものではありませんね。ですが、今は特別ということで」
イーヴァの三歩前を進むベイリアルは書庫へ続く長い廊下を進みながら話を続ける。
「そうですね。無いと言えば嘘になります。父は辺境伯として領地の自治に勤しんでいますし、祖父は宰相を賜っていますので政治を身近なものとして育ちましたわ。屋敷の書庫にも蔵書は豊富でしたので」
「では、将来は宮廷で政治に加わりたいとお考えで?」
「え?」
イーヴァは声を失った。
「違うのですか?興味があるなら加わりたいと思うでしょう、普通」
ベイリアルは純粋に世間話として聞いているようであった。だが、イーヴァにとってはその世間話としてが気に障った。
「普通は、でしょう?幼子の頃は思っていましたわ、確かに。父や祖父のように将来政治に加わって国を動かしたいと。ですが、この国は女性に参政する権利がありませんわ。望んでも無駄なのです」
声に不機嫌さが滲み出ていた。イーヴァは不敬だと思いつつも、屈辱を受けた事への怒りが優っていた。イーヴァの反応に対しベイリアルは驚いたようであった。
「無駄ということはないでしょう、我が国は女性貴族に対して参政を認めています。前例がないだけです」
いつの間にか書庫の前に着いていたが、二人は話を続ける。
「その前例を作るのが、大変難しい事だとご存知ですの?」
「王太子殿下がご助力下さりますよ。私のように」
そのとき、イーヴァはベイリアルの色付き硝子の眼鏡を見つめた。
「それは、もしかしてベイリアル卿は目に何かしらの……」
通常騎士は眼鏡条件を持つ者はなれない。いざという時に対応できないからだ。マクファーソン王国の眼鏡技術はまだ拙く、国内で流通している物も隣国デルドルフ公国からの輸入品である。まして、ベイリアルの眼鏡は硝子が色付きという特殊な物。他人の事情に深く関わる気がないイーヴァは先刻は考えなかったが、改めて冷静に考えると目に何かしらの疾患があると考えて良い。
「ええ、お察しの通り私の目は陽の光に弱いのです。視力自体に問題はないのですが、日中仕事の出来ない私には家で他の兄弟達に馬鹿にされながら生きるしかなかった。けれど、母の計らいで参加した夜会で王太子殿下に出会ったのです。殿下は私の目の事を知り、当時デルドルフから帰国したばかりの技術者に色硝子でこの眼鏡を。そればかりか、近衛として城に召し上げて下さりました」
ベイリアルは当時の事を思い出しているようで、恍惚とした表情をしながら語っていた。
「感動しましたわ。お話を聞く限り王太子殿下は情け深い方なのですね。私も期待せずに女性が参政出来る未来を待ちますわ」
「期待せずになんて言わず、期待して殿下の活躍をお待ちなさい!」
ベイリアルは王太子に対し絶対的な忠誠を誓っているのだとイーヴァは感じた。
「お待ちしますので、まずは書庫に入りませんか」
「ええ、そうですね。これはあくまで世間話でした」
ベイリアルが扉の取っ手に手を掛けたその時、二人が来た方向の廊下から赤毛の色眼鏡を掛けた騎士が叫びながら走って来た。
「殿下!!見つけましたよ!政務を放り出して何をなさっているのです!」
イーヴァはベイリアルを、先刻までベイリアルと読んでいた男を見た。殿下と呼ばれた男は下唇を舌で舐め、イタズラが失敗した幼子の様な顔をしている。
「まさか、王太子殿下……なのですか?」
「はは、バレてしまったようだな。そうだ、私がルイス・フェビアンだ」
「何が『はは、バレてしまったようだ』ですか!貴方、勝手に花姫の女官を連れ回したんですよ。大問題です!」
うるさい、うるさいと言いながらルイスは眼鏡を外す。陽の元にも晒された瞳は、主と同じく紫の色をしていた。
「お前の振りして連れ回したんだから、大丈夫だよ」
「大丈夫って何がですか!振りって、眼鏡掛けただけでしょう?!」
本物のベイリアルの事を無視してルイスは書庫に入って行った。一分も経たない内に出てきてイーヴァに声をかける。
「レディ・ハーヴィ、これがトレドヴァの内政書だ。トレドヴァの姫に頂いたのだが、同じ物をすでに持っていてね。エーヴリルの勉強の為にも読み聞かせてやってくれ」
イーヴァは渡されるがままに受け取ったが、戸惑っていた。
『これはトレドヴァの姫からの贈り物の方なのかしら』
イーヴァの思考を見抜いたらしいベイリアルが、ルイスに問う。
「そちらはは元々お持ちになっていた方ですよね?」
「ん?ああ、勿論だよ。姫にバレたら大変だからな」
はは、っと軽やかに笑うルイスにイーヴァは頬を緩ませた。それに気づいたルイスはイーヴァに訳を問う。
「なんだ、何が面白い。レディ・ハーヴィ。この私がそんなに面白いか」
「失礼ながら、少しばかり……」
「お?」
「臣下と仲の良い主は良い為政者になるといいます。こう言っては陛下への不敬に当たってしまいますが、殿下の御代になった暁には国が更に栄えるのでしょうね」
「嬉しいことを言ってくれるな。先程の約束もいつか必ず果たそう」
「ここは敢えて、期待せずにお待ちしております。では、もうじき主の勉学の時間になりますのでお暇させていただきます」
華麗にカーテシーをし、イーヴァは剣の宮を後にした。
「楽しそうでしたね、ルイス様」
ベイリアルがイーヴァが去った書庫で呟く。
「ん?そうか、そうだな。レディ・ハーヴィは高い識見の持ち主のようだ。話していてとても楽しかったよ」
「そうですか。それで、気になることがあるんですが、約束ってなんですか?貴方はよくご自分の立場を考えずに約束をしますからね。私の時もそうですが」
「俺はいつも考えて約束している!実際、お前は今、昼間外を歩けるだろう」
「で、何を約束したんですか」
疑いの目をルイスに掛けながらベイリアルは自分の主に問う。
「そのうち、女性貴族を政治に加えるという事だよ」
「え、また貴方はそんな難しい事を」
「国法的には認められているだろ。内政に関わっている老害達が認めないだけで」
「殿下!」
「わかっている。けど、勿体無いだろ。レディ・ハーヴィの様に女性でも高い識見の持ち主はいる。女性というだけで、参政させないのは国力の半分をドブに捨てているも同様だろう」
「それはそうですが。何も、進んで老公達の不況を買わずとも」
アーロン、と静かにルイスは言う。
「それでは、ただのお飾り王になってしまうだろう。俺はな、王として何か一つ歴史に残ることを成し遂げたいんだ。女性貴族の参政なんて最適じゃないか」
ベイリアルが微笑をたたえたルイスの顔を見ると、有無を言わせないと紫の瞳が語っていた。
イーヴァは実は結婚とかよりも、父親や祖父のように政治をやりたかった子です。なので、実は女官を凄く楽しくやってます。
王太子もやっと出てきましたが、イタズラ好きでナルシーな方です。
ベイリアルさんはいつも振り回されてます。