未来で待ってて
「あなたは―――なの?」
冬の屋上は、静かだった。
校舎の下では長祭が進んでいるというのに、
ここだけ時間が止まっているみたいだ。
空は高く、
吐く息は白い。
冷たい風がフェンスを鳴らす。
――キン、と。
金属の音だけが響く。
それでも、俺はこの場所が好きだった。
ここに来ると、
三年間の景色が全部見える気がするから。
ガチャ。
屋上の扉を開けると、先客がいた。
フェンスのそば。
風に揺れる黒い髪。
マフラーに顔を半分埋めたまま、
一人、空を見ている。
「……あれ。寧々じゃん」
寧々がゆっくり振り向く。
「ん? 守愛じゃん」
「なにしてるの」
「長祭出ないし、暇だなーって」
肩をすくめる。
「あはは。守愛っぽいね」
寧々はフェンスにもたれながら笑った。
冷たい風が吹く。
制服が揺れる。
「寒いね」
「寒いな」
それだけ。
ありふれた会話。
でも、こういう何でもない時間が、
一番大事だったりする。
また、風が強く吹く。
寧々の長い髪が顔にかかる。
その隙間から見えた表情は――
笑っているようで、
笑っていなかった。
「……ねえ」
小さな声。
風に溶けそうな声。
「守愛」
寧々は、俺を見た。
だけど。
その瞳は、
俺じゃない誰かまで見ているような気がした。
「あなたは――」
一瞬。
寧々が言葉を飲み込む。
そして。
「 私と一緒にいてくれるの? 」
風が吹いた。
その声は、
ほとんど聞こえなかった。
「……え?」
俺が聞き返した頃には、
もう寧々は目を逸らしていた。
「なんでもない」
そう言って笑う。
それでも。
あの時の寧々の顔は忘れられなかった。
俺にとって、
どこか馴染みのある顔。
あの時は分からなかった。
でも、今なら分かる。
あれは――
いくつもの俺を重ねて見ている目だった。
俺が知らない俺。
寧々だけが知っている俺。
出会って。
好きになって。
そして、失った。
そんな俺たちを、
何度も見送ってきた目だった。
この世界は、俺を殺す。
この世界は、寧々を泣かせる。
この世界は、
俺たちが結ばれることを許さない。
でも。
そんな世界は、もう壊した。
運命も。
思い込みも。
絶望も。
あとは、創るだけだ。
俺と寧々が、
同じ時間を生きて、
同じように年を取って、
当たり前に笑える世界を。
――長祭前日。
ガチャッ。
屋上の扉が開く。
「寒っ」
聞き慣れた声に振り返る。
寧々がマフラーに顔を埋めながら入ってきた。
「……寒いね」
「冬だからな」
「何してるの?」
俺はフェンス越しに校舎を見下ろした。
「いやー」
肩を回す。
「高校生も終わるなって思って」
「なにそれ」
寧々が笑う。
「感傷に浸ってんの」
「守愛が?」
「俺だって浸るわ」
「似合わない」
「うるせぇ」
二人で笑う。
あの頃と同じ屋上。
あの頃と同じ冬。
でも。
もう、あの頃とは違う。
寧々が俺の隣まで歩いてくる。
そして突然、握った手を俺の口元へ向けた。
マイクのつもりらしい。
「それでは柊選手」
「はい」
「明日の長祭、勝てそうですか?」
俺は少し考えるふりをした。
そして。
俺は笑った。
「勝つよ」
寧々の手を、そのままそっと握る。
「柊守愛は」
目を見る。
「絶対に勝つ」
寧々は少しだけ目を見開いた。
それから、照れたように視線を逸らす。
「………守愛らしいじゃん」
沈黙。
冷たい風が二人の間を通り抜けていく。
その横顔を見ていたら、
ふと、あの日の言葉を思い出した。
――私と一緒にいてくれるの?
だから。
今度はちゃんと答える。
「俺は、一緒にいるよ」
寧々が振り向いた。
「……え?」
寧々の瞳が揺れる。
あの日、
聞こえなかったふりをしてしまった言葉。
あの日、
答えられなかった問い。
何年も遅れて。
ようやく答えられた。
「……急に何」
寧々は笑った。
でも。
その目には、薄く涙が浮かんでいた。
俺は気づかないふりをする。
今度は寧々が口を開いた。
「知ってる?」
「ん?」
「ダンスパーティーで一緒に踊った男女は、結ばれるってジンクスがあるって」
「知ってるよ」
寧々は小さく息を吸った。
「………最初で最後のお願い、してもいい?」
俺は笑った。
「回数無制限でどうぞ」
「………」
「どうぞ」
眉をクイッとあげて、主導権を譲る。
寧々は少し恥ずかしそうに視線を落とした。
「私ね」
「高校生活で一回も」
「ダンスパーティー、踊ってないの」
風が止んだ。
ほんの一瞬だけ。
世界から音が消えたような気がした。
何度も何度もあったはずの機会。
でも寧々は、
一度も踊れていない。
だったら。
答えなんて、一つしかない。
「寧々」
顔を上げる。
「俺と踊ってほしい」
寧々の瞳が揺れた。
「俺は勝つよ」
「誰にも負けない」
「どんな困難にも負けない」
一歩、寧々に近づく。
「寧々と一緒にいるために」
冬の空を見上げる。
「ジンクスなんてクソだ」
「思い込みなんてクソだ」
少し笑う。
「運命だって、知ったことじゃない」
だって。
そんなものに、
俺たちは何度も負けてきた。
だから今度は。
「全部ひっくるめて」
人差し指を一本立てる。
「世界に認めさせてやる」
俺は、寧々を見る。
「柊守愛は」
「いつだって、君の“味方”だ」
寧々は、
泣きそうな顔で笑った。
「……うん」
そして。
小さく、
でも確かに言った。
「待ってるよ」
その言葉に、
俺も笑う。
あの日は、
「一緒にいてくれるの?」
と聞かれた。
今は、
「待ってるよ」
と言ってくれる。
だったら。
俺がやることは一つだけだ。
今度こそ、
同じ時間を生きていく。
寧々が空を見上げる。
俺も同じ空を見る。
「未来で待ってて」
小さく呟いた。
隣にいる寧々には、
聞こえないくらいの声で。
「いつまでも一緒にいるって」
「証明しに行くから」
冬の風が、
その言葉を空へ運んでいった。




