Ⅶ
おはようございます、こんにちは。八幡八尋です。
『ねじれの位置に恋模様』本編7話となります。お待たせしました、ようやく進みました。
拙い文章ですが、お楽しみいただければ幸いです!
世の中には知らなくて良いことと、知ってはいけないことがある。例えば、1ヶ月ぶりに会う同僚が久々の仕事に緊張しているのは、別に知らなくて良いこと。例えば、彼女が1ヶ月も休む原因となった骨折が、私のことを考えていたせいで生じたことは、知ってはいけないこと。日本語には「知らぬが仏」という言葉があるが、全くもってその通りだと、私は常々感じている。
「清口さん、おはようございます!」
満面の笑みで挨拶をすると、久々に会ったその人はどこかぎこちない笑みを向けた。
「お、おはようございます、沢井さん。ごめんなさいね? 1ヶ月もお休みしちゃって」
「いえいえ。もう骨折は大丈夫なんですか?」
「うん。もうすっかり」
なら良かった、とまた笑みを向けると、ふいと目を逸らされてしまう。私はそれに気付かない振りで、隣のレジ台に立った。平日の夕方である今は、日によってまちまちと言えど比較的お客さんも少ない。特に、今日みたいな30℃を越える真夏日には、進んで外に出ようとする人はいないのかもしれない。
「今日はずっとこんな感じなの。これは、売り上げ目標達成できなさそうね~」
「先月末から落ち込んでますからね。今期、店長また病みそうですね……」
「そうよね~店長、忙しい時の方が生き生きしてるもの」
「ええ、本当に。でも今日、清口さんは復帰初日で、今の今までお1人だったんでしょう? ならこのくらいの方が、良かったんじゃないですかね」
「それもそうね……って、もう少し忙しくても大丈夫だったと思うんだけど」
「そうですか? あんまり無理はいけませんよ」
ここでお客さんが会計に来たことで、会話は中断されてしまった。レジで接客をする彼女を横目に、私も事務作業のためパソコンを立ち上げる。
突然だが、私は人の心が読める。いわゆるテレパシー能力というやつだ。この特殊能力を持っている人に、私は今まで出くわしたことがなかったのだが、つい先日、清口さんの幼馴染みがそうであることを知ったのだった。それまで私はその人に、一方的に恋敵という意識を持っていたのだが、話してみるとそれは誤解だった。彼女には家庭があって、幼馴染みである清口さんを恋愛的な目で見ることはないと、はっきりそう言われてしまったのだ。それはすなわち、清口さんの初恋が失恋であることを物語っているのだが、酷な現実も本人は仕方がないと捉えていることを、私は知ってしまっている。
「沢井さんって、もう夏休み?」
「ええ、そうですよ」
お客さんを見送り手持ち無沙汰になった清口さんにそう尋ねられ、パソコンに打ち込みをしながら答えた。8月も5日目である今日、私の大学では絶賛夏期休業期間中である。
「そう……じゃあテスト期間中に、悪いことしちゃったのね」
「……と言いますと?」
「だって、シフトたくさん入れられたでしょう?」
先月末の話だろう。清口さんが入院している間、レジと事務を担当する人は私を含め4人だった。朝の仕事はパートさん2人に分散されたが、土日のロングと平日の閉め作業は、ほとんど私が代打だった。というのも、3年生である鈴木さんがインターンでほぼバイトに来られないからである。ここで改めて、平日のほとんどをここで過ごす清口さんの凄さを体感したのだった。
「まあでも、レポート課題の教科が多かったんで、大丈夫ですよ」
「本当に?」
「本当に」
実際に、学期末考査期間と呼ばれる1週間で、私が受けたテストの数はたったの4教科だった。後は7月末が締め切りのレポート課題ばかりで、バイトに明け暮れても余裕があったのは事実である。
「なら良いんだけど……」
私の返事に言葉を濁した清口さんは、何か他の話題を探しているようだった。長く続いたすれ違いから抜け出す、きっかけとなるような話を……というのは私の単なる妄想かもしれないが。
「……でもさすがに、5連勤はキツかったですかね~平日は普通にテストがあるわけだし」
話を広げるつもりで続けてみる。もちろん、この発言によって彼女を追い詰める気は微塵もない。
「そ、そうよね」
しかし予想通り、清口さんはあからさまに申し訳ない表情をした。
「なんて、冗談です。やり甲斐は感じたけど、責めるつもりなんてありませんよ……ちょっと、寂しかったけど」
そう言うと今度は、目を見開いて私の方を見たあと、顔を背けてしまった。ちらりと見える耳が少し赤くなっているのが、少しくすぐったい。
『今、寂しかったって言ったよね、奏ちゃん。やっぱり、香奈の言う通り……』
私のこと好きなの? こちらからは見えない瞳に、そう問いかけられる。ポーカーフェイスの私でも、図星をつかれればいくらかはドキッとするもので、バレないようにゆっくりと息を吐いた。
残念ながら今すぐに、この問いに答えることはできない。口に出していない話に言及すること__それに付随して、私が心を読める人間であることを伝えるのは、彼女には酷な話だからだ。たとえ両想いであろうと、好きな相手に自分の心を読まれているなんて、考えるだけでもゾッとするだろう。私は、彼女を傷つけるようなことはしたくない。だから、その時が来るまで隠しておこうと決めたのだ。
「いっぱい頑張ってくれたんだから、なんかお礼しなきゃね」
しばらくの沈黙のあと、不意に清口さんがそう言った。おばさんにできることって限られてるんだけど、とこれまた申し訳なさそうな表情だった。
「何がいい? 沢井さん」
「え、そう……ですね……」
予期せぬ展開に、私の頭も少しの間混乱状態に陥る。「お礼」と言われて何かすぐに思いつくほど、私には物欲がない。目線をさ迷わせていると、ふとパソコン画面が目に入った。ちょうど時刻が1分進み、デジタル表示が54から55に変わる。その瞬間、私はあるお願いを思い付いた。「わがまま」と言った方が正しいのかもしれない。
「じゃあお願いしてもいいですか?」
「うん、なに?」
「今日、清口さんのお家に行きたいです」
「……え?」
こちらに提案をした張本人は、私の返答にずいぶん困惑していた。まあ、無理もないだろう。
『ど、どういうこと? うちって……私の家ってことよね? え、どうしよう。掃除したとは言えまだ散らかってるし、そもそもなんかご飯とか作れるかな? ……ダメダメ、だって冷蔵庫のなかほとんど空だもん。買い出し面倒で行ってないのがバレちゃう。お茶菓子とかもないわけだし。そ、それに、うちはベッド1つしかないから、寝るってなったら2人で入ることに……って何考えてるの!? 私ったら』
「えーと、清口さん?」
さすがに思考が変な方向へ向かい始めたので、意識をこちらへ向けさせる。
「0時過ぎたら帰ります。さすがに泊まるのは申し訳ないし、歩いて帰れる距離なので。それに、私の上がりは8時なので、清口さんが上がってから2時間ちょっとは時間がありますから」
「え、でも……」
「だから、日付変わるまで一緒にいてください。それで」
少し強引なような気もするが、そこは大目に見てほしい。理由のあるわがままなら彼女だって許してはくれるだろうし、そもそも、「寂しかった」なんて口に出した時点で、いつもの私ではないのだ。
「お祝いしてほしいんです。私の誕生日」
「たん、じょうび……」
私が発した最後の単語を、清口さんはゆっくり反芻した。そう、「何かお礼を」と言われたのが今日この日なのは、運命のいたずらと言わざるを得ない。なぜなら日付が変わった明日に、私は、20歳の誕生日を迎えるのだ。
「そう、誕生日。清口さんに1番に、おめでとうって言ってもらいたいんです」
これじゃあただのわがままですかね? 口に出してみるとなかなかに恥ずかしいもので、今さら頬が熱を持ち始める。手を止めて彼女にまっすぐ向き直ると、しばらく視線を泳がせて思案していた清口さんも、こちらをまっすぐ見返してくれた。
「い、いいよ。お祝いしましょう。だから、その……何が食べたいか、教えて? 作って、待ってるから」
まるで恋人のようなセリフに、思わず口もとを手で隠す。
「ん~……じゃあ、清口さんの得意料理で」
私の返答に清口さんは小さく頷いた。その心中では、得意料理と聞いて真っ先に思い浮かんだのがオムライスであること、そんな物を出したら子どもっぽいんじゃないかという懸念、そもそも冷蔵庫に卵あったかしら? など様々な思念が渦巻いていたが、気にならなかった。卵料理好きな私からすれば、得意料理がオムライスの人は好きになる他ないし、子どもっぽいなんて心配は無用だ。あれはたった数種類の食材を卵で包むことによって、万人の心を奪ってしまう代物なのだから。それよりも、私のわがままを受け入れてくれたこと、そして彼女自身もこの状況にドキドキしていることが、私にとっては嬉しいのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。来週が最後になるか……な?(進捗的に危うかったら別の投稿をするかもしれません)(保険)
ではまた、来週。