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第一話・壁の向こうの世界

物語ん始まりです。

 風の匂いが違う。

 蒼真剣斗(そうま けんと)が最初にそう感じたのは、村へ続く坂道を下っている時だった。頬をなでる風には、草と土、それから遠くで燃やされている薪の匂いが混じっていた。


 日本の田舎でも似たような匂いを嗅いだことはある。父に連れられて山に稽古に行った時など、まさにこんな感じだった。


 けれど、何かが違う。


 空気が澄みすぎているのだ。


 排気ガスの匂いも、遠くを走る車の音も、空を横切る飛行機の音さえ聞こえない。


 代わりに聞こえてくるのは、木々もざわめきと、聞き慣れない鳥の声だった。


「……なぁ、エミリー」


「なに?」


 少し先を歩いていた少女が振り返った。


 ロブの淡い金色の髪が、風に揺れる。


 エミリー・プリースタ。自分をこの世界へ呼び寄せたという少女だ。


 年齢は剣斗とそう変わらないように見える。白を基調としたワンピースには、青い糸で複雑な模様が縫い込まれていた。


「本当なら、今日も巫女の衣装だったんだけどね」


 深い緑の瞳の少女は以前、そう言った。


「もう一回、確認してもいいか?」


「なん……、でしょう?」


「ここ、本当に地球じゃないんだよね?」


 エミリーは一瞬、きょとんとした後、小さく笑った。


「ええ、少なくとも剣斗さんがお話ししてくれた『地球』という名前の世界ではありません」


「……だよなぁ」


 剣斗はふと、空を見上げた。


 抜けるような青空だった。


 雲がゆっくりと流れている。


 太陽らしいものも、ちゃんとひとつ、ある。


 それなのに、ここは自分の知る世界ではない。


「……空なんて、どこも同じに見えるのにな」


「ケントさんの世界にも青い空があるんですね」


「あるよ。海も山も川もある。もっとも、俺が住んでいたところは建物ばっかりだったけど」


「建物……ですか?」


「家とか店とか。でっかい竹物が何百も並んでてさ。夜になっても明るいんだ」


「夜なのに?」


「そう。電気っていうものがあって……」


 そこまで言いかけて、剣斗は言葉を止めた。


 電気。


 そもそも、この世界には電気があるのだろうか。


 昨夜泊めてもらった時には、明かりがあった。


 ただし、電球でもLEDでもない。


 壁に取り付けられた金属製の器具の中で、青白い光を放つ小さな石が輝いていた。


 火、ではない。


 なのに、明るい。


 不思議に思って訪ねると、エミリーはそれを『輝石灯(きせきとう)と呼んだ。


 どうやらこの世界にはこの世界なりの技術があるらしい。


「……説明するの、難しいな」


「ふふ、私も、ケントさんにこの世界のことを説明するのは難しいです」


「お互いさまってことか」


「そうですね」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 不思議なものだった。昨日まで、互いの存在さえ知らなかった。


 それなのに今、こうして並んで歩いている。しかも、相手は俺を異世界へ召還したという張本人なのだ。


 普通なら、もっと問い詰めるべきなのかもしれない。


 どうして俺なのか?


 どうやって呼び寄せたのか?


 元の世界へ帰れるのか?


 聞きたいことはいくらでもある。


 けれど、それらを訪ねるたびにエミリーの表情が曇ることを、剣斗は既に知っていた。だから今は、少しだけ待とうと思っている。


 少なくとも、この少女が自分を騙そうとしているようには見えなかった。


「もうすぐ、村が見えますよ」


 エミリーが坂の先を指差した。


 剣斗は視線を向けた。そして、足を止めた。


「……凄え」


 北、東、西。三方を険しい山に囲まれた、巨大な盆地だった。


 山々の斜面は深い森に覆われ、その裾野には小さな集落が点在している。谷の中央には緩やかな丘陵と広い草原が続き、その間を一本の川が蛇行していた。


 川沿いには畑が広がり、石造りや木造の家々が寄り集まっている。家の屋根からは細い煙が立ち上り、風車らしいものがゆっくりと回っていた。


 想像していた『異世界の村』より、ずっと大きい。


「ここが、ダーフ村です」


「村……?」


「ええ」


「いや、これ村って規模じゃなくないか?」


 剣斗の感覚では、ちょっとした地方都市に見えた。もちろん、高層ビルなどない。しかし、中央の集落だけでも相当な数の建物がある。


 周辺の農地や山裾の集落まで含めれば、かなりの人が住んでいるはずだ。


「昔はもっと小さかったそうです」


 エミリーは言った。


「長い年月の間に、たくさんの人々がここに集められました。山の近くにも集落ができて、今では谷全体をダーフ村と呼ぶようになったんです」


「……へぇ……」


 剣斗は改めて、谷を見渡した。


 その時だった。


 視界の一番奥、南の地平線の近くに、奇妙なものが見えた。


 山ではない。


 森でもない。


 灰色の、まっすぐな線。それが、谷の東端から西端まで延々と続いていた。


「あれ、なんだ?」


 剣斗が指をさす。エミリーの笑顔が消えた。


「あれは……壁です」


「壁?」


「帝国が築いた、南の城壁です」


 剣斗は目を細めた。距離があるため、細部まではわからない。


 しかし、その壁が途方もなく巨大なことだけは理解できた。山と山を結ぶように、谷の出口を完全に塞いでいる。


「なんで、あんなところに?」


「……私たちが、ダーフの民が外へ出られないようにするためです」


 風が吹いた。


 先ほどまで心地よく感じていた風が、急に冷たくなった気がした。


「出られない?」


「ええ」


「村の人が?」


「そうです」


「……なんで?」


 エミリーはしばらく黙っていた。


 そして、静かに口を開いた。


「この村の人々は、昔、帝国から追われた人々の子孫なんです」


 剣斗は、彼女を見た。


「追われた?」


「ええ、詳しいことは、私にも全部はわかりません。けれど、遠い昔、私たちの祖先は帝国に住むことを許されなくなりました」


「それで、こんな山奥に?」


「……はい」


 エミリーは城壁を見つめた。


「でも、ここで暮らし始めたあとも、帝国は私たちを自由にはしてくれませんでした」


 剣斗はもう一度、南の壁を見た。


 巨大な壁。


 それは敵の侵入を防ぐためではなく、村にいる人間を閉じ込めるために築かれたものだという。


「……ひどい話だな」


 思わず、口をついて出た。


 エミリーは何も言わなかった。


 ただ、少し困ったように微笑んだ。


「でも、ここはいい村ですよ」


 彼女は谷へ向き直った。


「みんな優しいですし、畑もあります。森には木の実や薬草がたくさんあります。冬は少し厳しいですけれど、春になると谷いっぱいに花が咲くんです」


「そっか……」


「ケントさんにも、好きになってもらえたら嬉しいです」


 その言葉には、何の飾りもなかった。自分の生まれた場所を、ただ純粋に好きなのだ。剣斗は少しだけ、胸が痛くなった。


 この少女は、壁の向こう側を知らないのかもしれない。いや、知っていたとしても、自由に行くことはできないのだろう。


「……じゃ、案内してくれよ」


「え?」


「村。せっかく来たんだしさ。どんな所か見てみたい」


 エミリーの顔が、ぱっと明るくなった。


「はい、喜んで!」


 少女は軽い足取りで坂を下り始めた。


「まずは、中央広場へ行きましょう。今日は市場の立つ日なんです!」


「市場?」


「いろいろなお店が出るんですよ。食べ物も、道具も、服も!」


「へぇ、なんか楽しそうだな」


「とっても賑やかなんです!」


 剣斗はその背中を追いかけた、谷を渡る風が、二人の間を吹き抜けていく。


 遠くで鐘がなった。


 低く、澄んだ音だった。


◆     ◆     ◆


 村の中央に近付くにつれ、人の声が増えていった。


 荷車の軋む音。


 家畜の鳴き声。


 鍛冶場へから響く、金属音。


 道端では老人たちが腰かけて話し込み、子供たちが木の棒を振り回して遊んでいる。剣斗はあちこちへ目を向けながら歩いた。


「思ったより普通に暮らしているんだな」


「普通、ですか?」


「ああ、もっとこう……異世界って変な生き物が歩いていたり、魔法使いが空飛んでたりするもんかと思っていた」


「魔法使い?」


 エミリーは不思議そうに首を傾げた。


「おとぎ話に出てくるような人のことですか?」


「まぁ、そんな感じ」


「空を飛ぶ人は見たことがありんせんね」


「そっか」


「でも、空を飛ぶ機械ならありますよ」


「……え?」


 剣斗が振り返った。


「飛行機があるのか?」


「……ヒコウキ……?」


「あ、いや、空を飛ぶ機械な」


「ええ、帝国には飛空艇や輸送艇があります。とても大きなものもあるそうです」


「へぇ……!」


 剣斗の声が弾んだ。どうやらこの世界は、単純な中世風の世界ではないらしい。


 古めかしい石造りの家々。


 馬に似た家畜が引く荷車。


 その一方で、飛行する機械や不思議な光源が存在する。技術の発達の仕方が、地球とは全く違うのだ。


「そういえば、昨日の灯りも不思議だったな」


「輝石灯ですか?」


「そう、それ」


「輝石は、古い時代の遺跡から見つかることが多いんです。加工できる職人さんがいれば、長い間、光を灯す事ができます」


「遺跡?」


「ええ、この世界には、昔の文明が残した遺跡がたくさんあるんですよ」


「……昔の文明、ねぇ……」


 剣斗は興味を引かれた。


「今より進んで立って事?」


「そう、言われています」


「なんで滅びたんだ?」


「それは……」


 エミリーが答えかけた時だった。


「エミリー!」


 横道から声が飛んできた。振り向くと、籠を抱えた年配の女性が手を振っていた。


「あらまぁ、修道院から帰ってきてたのかい?」


「こんにちは、マァサさん!」


 エミリーは嬉しそうに駆け寄った。


 女性はエミリーの顔を覗き込み、それから剣斗へ視線を移した。


「おや? そっちの坊やは?」


「あ、えっ……と」


 エミリーが言葉に詰まる。


 剣斗は軽く、頭を下げた。


「蒼真剣斗です。よろしくお願いします」


「ソウマ……?」


 マァサは少しだけ、眉を動かした。しかし、すぐに笑顔になった。


「変わった名前だねぇ。あたしゃマァサ。青果市場のマァサだよ」


「よろしくお願いします」


「礼儀正しい子だねぇ。どこから来たんだい?」


「それは……、ちょっと遠いところから」


「遠いところ?」


「はい、かなり」


 マァサは目を細めた。


「そうかい。まぁ、いろいろ事情があるんだろうね」


 それ以上は、訪ねてこなかった。代わりに籠から丸い果物をふたつ、取り出した。


「ほら、持っておいき」


「え、いいんですか?」


「いいのいいの。若い子はいっぱい食べなきゃ!」


 剣斗は戸惑いながら果物を受け取った。


「ありがとうございます」


「エミリー。この子をちゃんと案内してやるんだよ」


「はい!」


 二人はマァサに手を振り、再び歩き出した。


 剣斗は果物を見つめた。赤と黄色の中間のような色をしている。リンゴに似ているが、形は少し細長い。


「これ、食べられるのか?」


「とっても甘いですよ」


「じゃあ、……いただきます」


 一口、かじった。パリ、という軽い音がした。果汁が口いっぱいに広がる。


「!……うまっ!」


 思わず声が出た。


 リンゴに似た甘さと、柑橘系のようなさわやかな香り。今まで食べた事のない味だった。


 エミリーが嬉しそうに笑った。


「よかった」


「これ、なんていう果物?」


「ルミナの実、です!」


「ルミナ……か、覚えとこ」


 剣斗はもう一口、かじった。


 異世界へ来てから初めて、心の底から楽しいと思えた瞬間だった。


◆     ◆     ◆


 中央広場は、思っていた以上に賑わっていた。石畳の広い空間を囲むように店が並び、色とりどりの布の日除けが風にはためいている。


 野菜、果物、干し肉、焼き菓子。


 衣類や革製品。


 工具、食器、農具。


 見慣れた物もあれば、用途のわからない奇妙な器具もあった。


「……凄ぇな」


 剣斗は素直に感心した。


「これ、全部村で作っているのか?」


「ほとんどはそうです。でも、山の集落から運ばれてくるものや、壁の外から入ってくるものもあります」


「外から?」


「はい、帝国との取引が全くないわけではありませんから」


「壁があるのに?」


「取引の割符を持った商人もいるんです。本当にわずかな方々ばかりですけど」


 なるほど、と剣斗は頷いた。どうやら完全な自給自足というわけではないらしい。


 だが、外部との交易まで帝国に監視・管理されているのだろうことはわかる。


 広場の片隅では、数人の男たちが金属製の部品を並べていた。歯車、軸受け、円筒状の容器。中には、剣斗の腕ほどもある奇妙な金属の筒もある。


「なぁ。あれって……?」


「ああ、発掘された、古代の部品ですね」


「古代の部品?」


「遺跡から発掘された機械の部品です。使えるものは修理して、農機具の動力装置として組み込んだりするんですよ」


「へぇ……」


 剣斗は思わず近付いた。金属の表面には、細かな文様が刻まれている。一見、装飾に見えるが、何かの回路のようにも見えた。


「兄ちゃん、興味あンのかい?」


 店番の男が声をかけてきた。


「あ、はい、ちょっと」


「こいつは古い時代の駆動部品だ。まだまだ現役で動くんだぜ」


 男は小さな金属片を持ち上げ、側面の突起を押した。唸るような低い音がして、内部の輪がゆっくりと回転を始める。


「おぉ……!?」


 剣斗は思わず、感嘆の声を漏らした。


「どうでぇ、面白いだろ?」


「これ、どうやって動いているんですか?」


「さぁな。正直、俺にもわからん」


「わからない?」


「動くから使ってる。それだけさ」


 男は豪快に笑った。


 剣斗はもう一度、回転する金属片を覗き込んだ。この世界には、仕組みを理解できないまま利用されている技術がある。


 それも、珍しくないほどに。


「古代文明って凄かったんだなぁ……」


 何気なく、呟いた。


 その時、店の奥に置かれた一枚の古い金属片が目に入った。その板には、奇妙な人型の図柄が刻まれていた。


 細長い胴体。


 大きな肩。


 節のる腕と脚。


 人間というよりは、昆虫を思わせる姿だった。


「これ、なに?」


 剣斗が金属板を指差した。店番の男は、金属板の方に目をやる。


「ああ、それか。古い兵器の絵だよ」


「兵器?」


「ドラグーンっていうんだ」


 その名前を聞いた瞬間、エミリーがわずかにその実を強張らせた。そのことに、剣斗は全く気付かなかった。


「ドラグーン……」


 剣斗は口の中で繰り返した。


 なぜだろう。


 初めて聞くはずの言葉なのに、妙に耳に残った。


「昔の文明が作った、人型の機械兵器さ。今でも帝国で主戦力で使ってるぜ」


「……人型の、兵器?」


「ああ、この村でもよく見かけるぜ。帝国軍様の、な」


 男は肩をすくめた。


「見ないで済むなら、それに越したことはない……


 不意に、エミリーが呟いた。その口調がとても重く感じた。


 剣斗はエミリーを振り返った。


「……エミリー?」


「はい」


「ドラグーンって、そんなに怖いものなの?」


 少女はすぐには答えなかった。


 そして、小さく頷いた。


「……はい」


 広場の賑わいが、少し遠くなった気がした。


◆     ◆     ◆


 夕方。


 二人は村の南側にある小高い丘へ登った。そこからは、谷の南半分が一望できた。


 夕日に照らされた草原。


 風に波打つ麦畑。


 ゆっくりと家路につく荷車。


 そして、その向こうにそびえる巨大な城壁


 昼間よりも、壁ははっきりと見えた。赤い夕陽を浴びて、赤い影となって地平線を横切っている。


「あれ、どれくらい高いんだ?」


「場所によって違うんだけど、普通の家が何軒も重なっても敵わないくらいの高さはあります」


「そりゃ、高いな……」


 剣斗は城壁の砦に目をやった。東西の山脈に接する辺りに、それぞれ大きな建造物がある。


「あの、砦は?」


「関所を兼ねています」


「関所?」


「砦は関所を守るためのものです。規模の小さな西側がアドラナーゼ砦、規模の大きな東側がイリファンコフ砦。村の人は昔から、そう呼んでます」


「二つもあるのか?」


「ええ。どちらも帝国軍が管理しています」


 剣斗は暫く黙って、城壁を眺めていた。


 壁の向こうには、別の世界がある。


 きっと街があり、人が暮らし、きっとこの村のような景色が広がっている。


 けれど、ダーフ村に住む人々は、自由に城壁の向こう側には行けない。


「ねぇ、エミリー」


「はい?」


「君は、城壁の向こう側に行ったことはあるの?」


「……遠い、昔ね」


 エミリーは遠くを眺めた。


「私、お父さんたちと壁の向こうから来たの……」


「……」


「でもね、帝都から逃げることに精いっぱいで、ここ以外の場所のことは知らないのよ」


「……」


「一度、見てみたかったなぁ。海、キレイなんだろうなぁ……」


「ああ、キレイだと思うよ」


「とても大きな水が地平線の向こうまで続いてるんですよね」


「そうだな、すっごく広いぞ」


 夕日に照らされたエミリーの横顔は、どこか寂しげだった。


「いつか、行けるさ」


「えっ?」


「海。俺のいた世界じゃ珍しいものじゃなかったけどさ。きっとこっちの海もキレイなんだろ?」


「ええ」


「だったら、いつか見に行けばいい」


 剣斗は微笑んだ


 エミリーはしばらく、剣斗を見つめていた。


 そして、微笑んだ。


「……そうですね」


 風が吹いた。


 草原が夕日に輝いた。


 剣斗はもう一度、城壁を見た。あまりに強大で、あまりにも無機質な壁だった。


 その向こうには何があるのか。


 自分はなぜ、この世界に呼ばれたのか?


 そして、あの『ドラグーン』という兵器は何なのか?


 まだ、何一つわからない。


 ただ一つだけ、確かなことがあった。


 この世界には、自分の知らない物語がある。


 すでに自分は、その物語の中に足を踏み入れているのだ。


 遠くで夕暮れを告げる鐘が鳴った。


「帰りましょう、ケントさん」


「ああ」


 二人は丘を下り始めた。その背後で、巨大な城壁が夕闇に沈んでいった。

自戒をお楽しみに!

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