第二二話 酒場の天井
カルテットの悲痛な叫びを笑う者はいなかった。皆が薄々と肌で感じていた異変。それは各々が想像していたよりも深刻であった。
「……おいおい、ゲームだぞ。そんなことがあって良いのか。それに運営からは何も来てないぜ」
ベルゼバブはメニュー画面を目の前に展開させるが、あのメンテナンス終了のアナウンス以来、新しい通知はなかった。
次に、僅かに震える指先でメニューを開き、『LOGOUT』ボタンを確認すると――胸をなで下ろした。それは存在し、押せる状態のままだったからだ。
「み、皆さんがモエンを倒してくれたおかげ。……です」
落ち着きを取り戻したカルテットが、消え入るような声で呟く。ベルゼバブは探るように視線を向け、言葉を返した。
「それは、……正気を取り戻した、という理解で良いのか」
「は、はい。今は自分の意思で喋れて……ます。これがゲームだということも、は、はっきりと理解出来てます」
眉間に皺を集めて、腕組みをしたベルゼバブ。彼は頭の中で今までのことを整理していた。モエンが異常に強くなっていたこと、プレイヤーのこと、そして――コロウスが自我を持っていたこと。
一通り思考を巡らせたベルゼバブは、ふう、と重い息を吐き出して口を開いた。
「纏めても良いか?」
皆の視線がベルゼバブに集まる。
誰一人、言葉を挟まない。ただ静かに頷くだけだった。
「はじまりはあのメンテナンスだ。そこから全て狂い始めている」
ベルゼバブは一度全員を見渡した。
「コロウスさん?」
「おぅ、なんだ?」
「コロウスさんってずっと自我はあったんだよな? プレイヤーの前ではそう見えないだけであって」
「そうだぜ。そういえば、俺が自由になったのもあのメンテナンスからだな」
「なら、もしモエンも同様に自我を持っていたとしたら?」
ベルゼバブの仮説に、コロウスはうーんと首を傾げた。
「いや、あいつの喋り方はかなり無機質だったぞ。俺が証言する。もし自我があるなら、もっと、なんというか、今までのストレス? 憂鬱? そんなのから解放されて、動き出すと思うんだよな、俺みたいにさ」
コロウスの指摘に、ベルゼバブは再び顎に手を当てる。
(確かにそうか……モエンがプレイヤーを取り込んでいたと思ったんだけど……違うのか)
「分かった。一旦それは後にしよう。今、言えることは二つだな」
ベルゼバブは二本の指を掲げた。
「ボスに倒されたらログアウトどころか、ゲームに取り込まれる可能性もある」
そう言って指を一つ折った。
「もう一つは、ボスを倒せば、取り込まれたプレイヤーは解放される。カルテットのことを考えるならばこれは間違いないと思う」
唾を呑み込んだベルゼバブは、言葉を選ぶようにして続きを話す。
「あと、これは仮説なんだけど――おそらく、運営もこれを容認しているような気がする。こんな事態なのに、メンテナンスどころかアナウンスがないなんて奇妙すぎないか?」
各々が何かを考えるように黙り込む中、マイリスがチャット画面を開いた。
「似たような話題はチャットにあがってるよー。『運営は何してるんだ』とか、『せめて緊急メンテナンスしろよ』とか、そんな書き込みばっかりだよー」
「やっぱり、ここは一旦ログアウトした方が良さそうね……」
「そうだな、ほとぼりが冷めるまではログインしないのが正解かな」
ログアウトという言葉が出た途端、自然と全員の視線がコロウスとバルバトスへ向いた。
「なんだなんだ? 俺のことを気にかけてくれてるか? なら心配はいらんぞ。元々こっち側の存在だ。また、戻ったら一緒に冒険すればよいだけだ」
「はい、コロウス様には、このバルバトスがついておりますのでご安心下さいませ」
「いいのか?」
血が滲まんばかりに下唇を噛みしめると、ベルゼバブはゆっくり顔を上げた。
「もしメンテナンスが入ったら、あんた達はまた自由に動けなくなるかも知れないんだぞ!」
思わず身を乗り出す。怒鳴るような声だった。だが、その奥には隠しきれない震えがあった。
「はっはーは! そんなことを考えていたのか」
口を大きく開けて豪快に笑い飛ばすコロウス。
「そうなればまた足掻けばいいだけ。俺はラスボスだ! やって出来ないことなどない。――だから、心配なぞするな」
思わずベルゼバブはコロウスから目を逸らした。
「……誰も心配なんかしてねぇよ。思い上がんな」
「そうか、ならば次から戦う時は少し手加減してくれんか?」
「効率悪いからそれは無理」
「はっはーは! 素直なやつだな。まぁ、もし残っているプレイヤーがいたら俺からログアウトするように声をかけておいてやるから、感謝するんだな……じゃあ、またな」
「……あぁ」
その言葉を機に、各々がメニュー画面を開く。
「あ、ありがとう。……ございました」
「変態さん。皆の伝言役よろしくねー」
「コロちゃん。バルちゃんいじめちゃだめよ」
言葉を残しログアウトしていく各々。
白い光に包まれた身体は、その場から姿を消していく。
「死ぬなよ」
ベルゼバブはコロウスの方を一切向こうとしなかった。後ろ姿のまま、軽く手を挙げて横に振ると――やがて、皆と共に消えていった。
コロウスは、皆の姿が完全に見えなくなるまで、両手で大きく手を振り続けた。姿が見えなくなるとポツリと語りかける。
「バルちゃん。また二人っきりだな」
「そうでございますね。賑やかな方々でしたね」
「あぁ、自由っていいな」
酒場の天井の木の板はどこか汚れている。コロウスはそれを見上げるが、何故か彼には滲んで見えていた。




