5.リボンの腕輪と帰り道
◇
「で、君は蜜パンとやらを300個買い占めて迷惑をかけたってこと?」
「また来てくれって言われた」
「社交辞令って知ってる?」
アンリが誘ったのは、意外にも城壁の中にひっそりあった気軽な雰囲気の飲み屋だった。雑多に置かれた机は半分が屋内で半分が屋外にあって、屋根を追い越す大きな木から何本もの蔓が垂れ下がっている。そこに小さなランプがいくつも引っかかっていて、不思議な雰囲気を作り出すのと、座っている人の目眩しに大きな役目を果たしていた。
アンリ曰く、護衛の人間を出来るだけ目立たせたくないのにちょうどいいのと、来る人間もほとんどが城の関係者なので会話の内容も比較的気にしなくていいのだと。
偉い人もいろいろ大変なんだなあ、とエイリはキョロキョロと辺りを見回した。確かに会話もあまり聞こえない。ひっそりと、だが和やかに談笑している人々の影が見えた。
そして相変わらず、大量に隣で重なっていく皿に呆れを通り越して笑いそうになる。
「エイリにも半分あげる」
「ありがとう……」
フチの口元で一瞬で肉が消えるのはなんでなんだろう。今の今までフォークに突き刺さっていたはずなのに。
「フチは昔からそうなの。お上品にシュッ!と肉が消えるんですよ」
「普通に食べてるだけなんだが」
「ほら! 消えた!」
料理は美味しいしお酒も美味しい。シナン城にこんな場所があるのを知らなかったエイリは、昼のこともあってかなり上機嫌だった。
対面に座るアンリとジィリアも機嫌がよさそうだ。仲直りができたようで良かったと思ったエイリは、何杯目か分からないワイングラスを傾けた。
すかさずアンリが瓶を開けた。
「とりあえず良かったよ〜。ナイカ院長夫妻の人柄から、ただ単に賭場で使い込みなんて考えにくかったからね」
「でもびっくりしました。借金の額。報告にあったものよりかなり大きかったんです」
「イースの人間に言ったところで、と思ってまともに計上していなかったらしい。全部返済した金額を聞いて他でもない夫妻が一番驚いていたと報告があった。……正直その辺はしっかりしておいて欲しかったんだが……」
「まあ、それどころじゃなかったんでしょ。気持ち的にもね」
フチとアンリとジィリアがぽんぽんと会話をしていくのを聞きながら、エイリは1人気合いを入れていた。どうしても、フチに言わなければならないことがあるのだ。
「とりあえず僕は裏シトロの廃止にフチが乗ってくれて、で実行してくれてもうほんと大助かり!」
「え?」
と、思いきや思いがけない話にびっくりしたエイリに、アンリがにこにこと微笑んだ。
「あれ? 聞いてなかった? 議会の場であと一人賛成票が入れば裏シトロは廃止だったんだよ。で、フチは今日まで中立の立場だったわけ」
隣のフチは唇に手を当てて考え込んでいる。次のメニューを迷っているらしい。
「……子供がそこで簡単に金を稼げると考えた時点で、そんな場所はなくすべきだと思っただけだ」
「それ言われるとシナンの人間も納得しちゃうよね」
「どれくらい犯罪の件数が減るか、様子を見ないといけないわね」
「あとは脱法賭場の動きがどれぐらい活発になるかも注意しないと。頭を徹底的に叩かないと廃止にした意味がない……しばらくそっちに人手が割けないかどうか提案してみる予定なんだが。エイリはすっぱいのが嫌いだっけ」
「ん? ……う、うん」
なんだか圧倒されてエイリは改めて隣の婚約者を見上げた。
もともとこの3人はずっとイースで騎士として働いていたのだから当たり前なのだけど、気軽に仕事の話をする姿は新鮮だった。フチ達は、これからもこうやっていろいろな話をして、たくさんのことを考えて、シナンのために働いていくのだろう。
「見惚れている場合じゃないよ」
「え」
真正面でアンリが頬杖をついて微笑んでいる。
「エイリ、君がナイカ夫妻から院の運営のノウハウを学んだらもっとおっきな仕事が待ってるよ」
「アンリ、まだ早いんじゃない」
「エイリなら出来るよ〜」
アンリ曰く、エイリが将来、孤児院を経営できるほど力をつけたらシナンと孤児院の間を取り持って欲しい、とのことだった。
「孤児院を取りまとめる協会を作ろうと思っててね。こういうのは足並み揃えないと。で、ちょうど良いからエイリに任せたい予定なんだ」
「わ、私が?」
「ネド人でも関係ないよ。僕は使えるものはなんでも使う主義だからね。ここで出来たコネは最大限使わなきゃ、と思って。君はへこたれないから」
エイリは目を丸くした。何が何やら分からないが、どうやらアンリの作戦に組み入れられたらしい。
まあ、彼が親友の婚約者を放置しておくなんて考えにくいし、いずれ何かを任されていたような気もするし、それがエイリのやりたいことにつながっているならちょうど良いような気もする。
でも、その前に。
うふふ、と笑うアンリに頷いてから、エイリは椅子の向きを変えて、隣のフチをきっと見上げた。
「は、話があります!」
皿を重ねていたフチはぎょっとしたようだった。
「これ僕たち、居ていい感じ?」
「ちょ、ちょっと様子を見たい」
アンリとジィリアのひそひそ声も、実はエイリはあんまり耳に入ってこなかった。
ワインが効いているし、気分が良いし、なんだか孤児院でも上手くやっていけそうだし。つまりエイリはわりと気が大きくなっていたのである。
真剣なエイリに焦り始めたフチは、エイリがその場で後頭部のリボンを解いたことに目を丸くした。
「!?」
束ねていた髪がばさっと肩に落ちる。エイリは厳しい顔をしたまま、フチにじりじりと近寄った。
「エイリ!?」
「フチ、あのね、この前からずっと思ってたんだけど」
なんで逃げるの、と呟くとフチは大人しくなった。
エイリはその左腕を勢いよく取って、持っていた紺色のリボンを筋張った手首にぐるぐる巻きつけた。ついでに恥ずかしくて頭までぐるぐるしてきた。
『センセ、あの騎士様、なんで腕輪してないの? 格好良くてセンセにお似合いなのに、騎士様』
『いつもご贔屓にどうも! ……お嬢さんの旦那様? 腕輪は? あ、失礼。余計なこと言っちゃったね。蜜パン、100個ならすぐに用意できるんだけど……』
「きょ、今日は本当にどうもありがとう。フチがいてくれたから私、リコを助けられたし、ちゃんと仕事も続けられそう」
「……!?」
「そ、それでね。これからも助けて欲しいの。私も何か役に立てることがあればもちろん何でもするよ。お、お金もないし、まだ何にも出来ないけど」
頬が熱い。混乱したまま、手先が器用なエイリはフチの腕にリボンを結んだ。
「だから、あの! お金、貯めて、ちゃんとした腕輪、贈るから!」
だから今はこれが代わりです、なんて気障っぽいことはエイリには言えなかった。
頭が爆発しそうだ。酔いに任せて言えると思ったが酔いが覚めた。
「……」
恐々とフチを見上げると、何故かフチは蒼白な顔をしていた。
「……」
そして何故か反対側の腕を差し出してきて、制服の裾からきらりとした腕輪が覗いた。
「?」
エイリと同じピンクがかった金の腕輪。多少男の腕に合わせて幅が広くなっているが、シンプルなデザインまで全く一緒である。
驚愕したエイリに、アンリが難しそうな顔で指を立てた。隣のジィリアはだらだらと汗をかいている。
「エイリ、君、酔っ払いすぎ。向かって左を考えて」
「……」
「あとフチは腕輪を隠してたでしょ。その制服の裾はそのためにあるんじゃないんだよ。短刀やら毒やらを隠しておくためのイース伝統のものなんだから」
「……」
「で、僕とジルは帰るから。お会計は任せてね! といっても僕の奢りってつまり国の奢りなんだから! とかいうのは冗談」
「アンリ、帰るわよ」
ジィリアとジィリアに引っ張られたアンリはシュッと姿を消した。フチの口元の肉のように。
2人が帰ったテーブルにかつてない沈黙が落ちて、エイリは泣きそうになった。あまりにも自分が愚かだったので。
「……なんで?」
「だ、」
フチは何故か今更赤面していて、エイリはとても腹が立った。
「言ってよー! なんで隠してたの?」
「……じ、」
「わ、私が、婚約者だって、迷惑?」
「あー」
急にフチが身をかがめたと思ったら、キスされている。なんでこういつも唐突なのか。
「……」
「違う、反対で、エイリの迷惑になると思った、……これはエイリのと一緒に買ったやつ。エイリが思ったよりちゃんとしてたから、周りもちゃんとエイリを見てくれそうだから、反対に、俺の立場がエイリに良くないと思って」
ごめん、と付け足してフチはエイリを盗み見てから俯いた。どうやらかなり動揺しているらしい。右腕のリボンを盛んに触っている。
あんまりにも似合わないその姿に今更気づいて、エイリは眉尻を下げた。
「俺のイースの騎士って立場でエイリがいじめられたらどうしようって、思って、……そんなつもり全くなかった」
「そ、そんなことないよ! 私は大丈夫……」
「……」
分かりにくいフチは、ただ単にエイリが心配だったらしい。そんなことあるわけないと胸を張って言えるけど、エイリはよく分からない感情に胸が潰れそうになった。
……フチはもしかしたら、私が思ってるより。
「は、外すよ、リボン」
「やだ」
フチは再び真っ赤になって背中に腕を隠してしまった。
「なんで!」
「今はやだ。家で、エイリが外して」
「!?」
エイリは眉間に皺を寄せた。エイリの優れた勘が警鐘を鳴らしている。話がぶっ飛んでいきそうだよ!と誰かが言っている。
怪訝そうなエイリを見たフチは、何故か怒り始めた。とても珍しく。
「さっきして良いって言った」
「な、何の話?」
「! ……帰り道、エイリは、時間あるって言っただろう。俺には全然なかったんだよ」
「???」
「俺には足りないんだよ。時間が、全然。エイリの非番と俺の非番はあんまり被らないし、一生懸命やってるエイリの邪魔したくないし。騎士の仕事も研究も好きだけど、エイリを愛してるし」
エイリは恥ずかしさに死にそうになった。
急に目の前の男が頭がおかしくなったのだと思ってワイングラスを顧みたがぎょっとした。何にも減っていない。そういえばこの婚約者は、今日はフォークとナイフと皿しか触っていなかった。
「エイリは時々自分だけが俺を好きだと思ってる」
「フチ、」
「り、リボンも蜜パンも嬉しいんだよ。エイリは俺に何にもあげられてないって言ったけど全然そんなことはない。だからもっと、エイリが俺にしてくれることが、どれだけ、……」
「……」
死ぬ、と思っていたらフチも死にそうな顔になった。
思わずその表情の変化に油断していたエイリだったが、今度は頬にキスをされて目を剥いた。
「フチ! ここ! 人がいる!」
「人がいるからしてる!」
「!?」
意味が分からない。フチはここまで分からないことを言う人だっただろうか。
くらくらするエイリの手を握って、フチはしかめ面をしたまま彼女を立ち上がらせた。片付けに来た店員が何やらにやにやしている。
だ、だめだ、とエイリは思った。
今日は頑張らないと!
先日に良く似た状況にエイリは気合いを入れ直した。この前はびっくりしてあっという間されるがままだったが、今回はちゃんと話を聞いて、フチが何を考えているか理解しなければ。これから、ずっと一緒にいるんだから。
「フチ、あのね!」
「うん」
「わ、わた、私はフチは人の目とか気にしない人だと思ってたんだけど! 違うの?」
「違うに決まってる」
月の上がった城壁沿いに、灯りの連なったレンガ道が続いている。
強い力で握る手には、エイリの髪の色と同じ腕輪が月の光を照り返してきらきらと輝いていた。
「エイリは察しがいいけどそれでも馬鹿な奴っているだろう。俺が隣にいたってエイリは綺麗だし、見てる奴はいるから」
「……」
「人のいる時で、エイリが許してくれそうな時にしてる。嫌ならやめる」
「……さ、」
フチはエイリを横目に見下ろして、その視線にエイリは背筋がぴんと伸びた。捕まった。
エイリはずっと前からフチが好きで、フチの身体が小さくて、エイリに対してそういう気持ちがないときからずっと、彼のことが好きで。だからこそフチの一挙一動に何回もおろおろさせられてきたのだけど。
もしかしたら、一生そうなのかもしれないとエイリは思った。
「わ、わ、私は、フチは、私にはよく分からないときに私を触りたくなるんだと思ってた」
でも、そうかもしれないけど。
エイリは思う。
隣にいる婚約者は、多分エイリが思うよりずっとエイリのことが好きなのかもしれない。
「触りたいと思ってる、いつも。時間が足りないって言った」
「……」
「……」
フチは黙り込んだエイリを見て真顔になってから、また急にキスをした。
おまけまでお付き合いありがとうございました!




