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第十八話   信じることは、戦略である


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        第 十 八 話

    信じることは、戦略である

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 信じる、というのは思っているより難しい行為だ。


 難しい、というのは技術的な話ではなく、構造的な話だ。人間が何かを信じる時、その人間は必ず何かを捨てている。疑いを捨てている。警戒を捨てている。最悪の可能性を、一時的に棚上げしている。


 それは損をするリスクを、自分から引き受けることに等しい。


 だから信じるというのは、弱さではなく、ある種の決断だ。


 戦略と呼んでもいい。


 佐竹真司三等陸尉がそれを頭で理解したのはずっと昔のことだが、今夜初めて、腹の底でそれを理解した。


 内通者がいるかもしれない。


 その可能性を、真司は今夜、棚上げすることにした。



 *



 夜明け前の野営地。


 真司は地図を閉じて、テントを出た。


 空が白み始めている。この世界の夜明けはいつも少し早い気がする。あるいは、眠れない夜は夜明けが早く感じるだけかもしれない。どちらでもよかった。


 「隊長」


 野村が来た。


 目の下に薄いくまがある。彼女も眠れていないのだろうが、それを顔に出さないように努めている様子がありありとわかった。


 「雲雀丘さんの容態はどうだ」


 「衛生班の報告では、肋骨にひびが入っている可能性があること、栄養状態が悪いこと。ただ、意識ははっきりしていて、本人は動けると言い張っているそうです」


 「無理はさせるな」


 「はい。ただ、一つ」


 「なんだ」


 野村は真司の目を見た。


 「昨夜、雲雀丘さんが話してくれた内容、私も橋本も聞いていました。内通者の可能性について」


 「……知ってる」


 「隊長は、どう動くつもりですか」


 真司は少し間を置いた。


 「今は動かない」


 「え?」


 「内通者がいるとして、今それを探しに動いたら、部隊全体の信頼が崩れる。誰もが誰かを疑い始める。そうなったら、この先の任務が成り立たない」


 「でも——」


 「野村。一つだけ聞いていいか」


 「はい」


 「お前は、橋本を疑うか」


 野村は一瞬だけ止まった。


 それから、はっきりと言った。


 「疑いません」


 「俺もだ。橋本は、お前を疑うか」


 「……疑わないと思います」


 「じゃあ、まず俺たち三人で動く。情報の共有範囲を絞る。全体には、今まで通り接する。それだけだ」


 野村は真司を見た。


 「……それは、他の隊員を信じていないということですか」


 「信じていないんじゃなく、確かめる時間がない。信じると決めた上で、万が一の範囲を狭める。それだけの話だ」


 「……」


 「難しいことを言っている自覚はある。でも、今夜考えられる最善がそれだ」


 野村は少し沈黙してから、言った。


 「わかりました。従います」


 「ありがとう」


 「でも隊長」


 「なんだ」


 「もし本当に内通者がいたとして、その人が見つかった時は——私が対処します。隊長には、させたくない」


 真司は野村を見た。


 「なんでだ」


 「隊長は、その後も全員に対して公平でいなければならない人間だから」


 真司は何も言わなかった。


 言葉を選んでいたわけではなく、単純に、言葉が出てこなかった。


 「……お前は、こういう時だけ本当に頭がいいな」


 「こういう時だけって、また言う」


 「また言った」


 「……ありがとうございます」


 野村はわずかに笑った。


 夜明けの光の中で、その笑顔は珍しく、少し柔らかかった。



 ***



航空自衛隊 臨時前進基地ファルコン

北九州フロンティアから東へ三十キロ


 日本が異世界に転移してから、航空自衛隊は動き続けていた。


 転移直後から偵察飛行を繰り返し、この大陸の地形を少しずつ把握してきた。しかし大陸の奥深くへの進出は、ここまで限定的だった。理由は単純で、燃料の問題だ。往復できる距離に制約があり、加えて空中給油の体制がまだ整っていなかった。


 しかし状況は変わった。


 特殊調査部隊が地上を進むにつれて、補給線が延び、前進基地の設置が可能になった。そして〈ガレリア王国〉が日本本土への潜入部隊を送り込んでいるという情報が入った今、航空自衛隊に新たな任務が下った。


 任務名、《オペレーション・ファルコンアイ》。


 内容は二つ。


 一、敵地強行偵察。潜入部隊の位置特定と進路把握。


 二、威力偵察。王国軍の前線拠点のうち、人員が退避している施設を対象に、限定的な攻撃を行い、敵の防空能力と反応速度を測定する。


 この任務を受けた二名のパイロットがいた。



  *



 一番機のコールサインは《ファルコン1》。


 パイロットは二等空佐、倉持くらもち わたる、三十七歳。


 航空自衛隊の中でも選りすぐりの経験を持つ偵察任務のスペシャリストで、転移前は偵察航空隊に所属していた。口数が少なく、飛んでいない時は何を考えているかわからないと同僚に言われるが、コクピットの中では別人のように饒舌だという。


 二番機のコールサインは《ファルコン2》。


 パイロットは一等空尉、瀬戸せと 麻衣まい、二十九歳。


 倉持の二年後輩で、異世界転移後に偵察任務に志願した。飛ぶことが好きで、それ以外のことにはあまり興味がないと本人は言う。好きな食べ物は唐揚げ。独身。以上。


 倉持と瀬戸の乗るF-2改《蒼鷹》は、臨時前進基地ファルコンから発進した。


 F-2改は、もともとF-2支援戦闘機の改良型だ。エンジンの推力向上と燃料タンクの拡張により、行動半径が大幅に伸びた。この世界に来てからの改修作業で、偵察ポッドと対地精密誘導爆弾を同時搭載できるよう構成が変更されている。地球では実現しなかった仕様だが、この世界では時間と必要性がすべてを急がせた。


 「《ファルコン1》、離陸。状態良好」


 「《ファルコン2》、同じく。倉持さん、今日の天気最高ですね」


 「黙って飛べ」


 「はーい」


 二機が上昇する。


 大陸の空は広い。雲がなく、視界が良好だ。地球と似た空だが、どこか違う。色が、少しだけ深い。


 「高度八千。巡航速度に移行する。偵察ポッド起動、記録開始」


 「《ファルコン2》、了解。ポッド起動確認しました」


 偵察ポッドが起動する。光学カメラと赤外線センサーが同時に動き始める。地上の様子を、高高度から克明に記録する。


 「目標第一ポイントまで、あと二十分」


 倉持は地図データを確認した。


 目標第一ポイントは、王国軍の前線拠点とされる中継施設だ。航空偵察の写真から、石造りの建物群と馬匹の駐屯地が確認されている。現在の特殊調査部隊から北西に八十キロ、王都から見れば南東の方角に位置している。


 「《ファルコン2》、気になることがある」


 「なんですか」


 「地上部隊から入った情報だと、王国軍は龍を使う。〈炎龍〉と〈水龍〉の存在は確認されているが、空域に出てくる可能性がある。接触した場合、迎撃を優先する」


 「了解です。でも龍って、どのくらいの高度まで来るんですかね」


 「不明だ」


 「それが一番怖いですね」


 「そのために複数機で来ている。一機がやられても、もう一機が記録を持ち帰る」


 「……さらっと怖いこと言いますね、倉持さん」


 「任務だ」


 「はい……」


 二機は王国領空へ向けて飛ぶ。


 地上には、特殊調査部隊が進んだ跡が残っている。車両の轍、野営の痕跡。倉持はそれを偵察ポッドで記録しながら、部隊が確かにここを通ってきたことを実感した。


 地上で戦っている人間がいる。


 空から守れることが、あるとすれば、この任務だ。



  *



 「第一ポイント、視認」


 倉持の声はいつも通り平静だった。


 地上に、石造りの建物群が見えた。


 中継施設だ。広場に馬が数頭いる。建物は五棟。それぞれ別の用途があるのだろう、大きさが違う。一番大きな建物は兵舎と思われる。


 「ポッド、最大解像度に切り替え。記録継続」


 「了解」


 二機は高高度を維持したまま、施設の上空を通過する。


 「……動きが少ない」


 瀬戸が言った。


 「そう見えるか」


 「はい。施設の割に人影が少ない。馬はいるけど、人間がほとんど見えない」


 倉持も同じことを感じていた。


 馬はいる。荷物もある。しかし人が少ない。


 「本部に報告する。この施設、すでに前線拠点としての機能を半減させている可能性がある。主力が動いた後かもしれない」


 「潜入部隊が、もう先に行った、ということですか」


 「そう考えると辻褄が合う」


 「急ぎましょう」


 「次の目標へ向かう。第二ポイントは北に四十キロ。道中に小規模な砦がある。そこも確認する」


 二機が進路を変える。


 その時だった。


 「《ファルコン1》、左後方、何かいます」


 瀬戸の声が変わった。


 倉持は即座に左後方を確認した。


 黒い影が三つ。


 翼を持っている。龍だ。


 炎龍ではない。形が違う。もっと細く、翼が長い。


 「……《ファルコン1》から本部、未確認の龍種を三体確認。《炎龍》《水龍》とは異なる種別。報告しながら対処する」


 「《ファルコン2》、迎撃しますか?」


 「まだだ。向こうの行動を確認する。接近してきたら迎撃する」


 龍たちは、一定の距離を保ちながら追尾してきた。


 攻撃してくる気配はない。しかし離れもしない。


 「……索敵龍だ」


 倉持は判断した。


 「攻撃型ではなく、追跡して位置を報告するタイプだ。王国軍の哨戒だろう」


 「どうしますか」


 「振り切る。高度を上げる。龍の上昇限界がどこかを見る」


 「了解!」


 二機が急上昇する。


 F-2改のエンジンが唸る。高度九千、一万、一万二千。


 龍たちは追いかけてきた。しかし一万メートルを超えたあたりで、速度が落ち始めた。


 「限界が見えてきました」


 「記録しておけ。龍の上昇限界高度、約一万メートル。これは重要なデータだ」


 「了解。……あ、離れていきます」


 三体の龍が高度を下げ始めた。追跡を諦めたのだ。


 「《ファルコン1》から本部、龍の上昇限界を約一万メートルと推定。以降は一万メートル以上で飛行する」


 「本部了解。よくやった、続けてくれ」


 二機は高度を維持したまま、第二目標へ向かった。



  *



 第二目標、王国軍の小規模砦。


 倉持はここで少し慎重になった。


 砦の規模は小さい。城壁があり、内部に建物が二棟。地上から確認できる範囲では、人の気配がない。


 「人員がいない可能性が高い。威力偵察の対象として適切か、判断する」


 「確認しましょう。もう一周します」


 二機が砦の上空を旋回した。


 一周。

 二周。


 「人影、確認できません。馬もいない。完全に無人に見えます」


 「炊事の煙もない。三日以上、使われていない可能性がある」


 倉持は本部に確認した。


 「《ファルコン1》から本部。第二目標、無人と判断。威力偵察に移行してよいか」


 わずかな間があった。


 「本部より《ファルコン1》、許可する。周辺の人員に十分注意した上で、実施せよ」


 「了解」


 倉持は深く息を吸った。


 この世界に来て以来、航空自衛隊が実際に対地攻撃を行うのは初めてだ。


 敵意のある相手から攻撃を受けて反撃した例はある。しかし、こちらから仕掛けるのは——いや、厳密にはこれは仕掛けではない。威力偵察だ。敵の防空能力と反応速度を測るための、最小限の行動だ。


 それはわかっている。


 わかっていても、引き金を引く前に、倉持は一秒だけ確認した。


 確かに、無人だ。


 「《ファルコン1》、攻撃に移る。《ファルコン2》は後方待機、周囲の警戒を継続せよ」


 「了解です。……倉持さん」


 「なんだ」


 「気をつけてください」


 「ああ」


 倉持は機首を砦へ向けた。


 GCS-1改、精密誘導爆弾。GPSと慣性航法を組み合わせた誘導システムにより、誤差は数メートル以内に抑えられる。目標は城壁の中央、兵舎と思われる建物だ。


 高度を下げる。


 七千。六千。


 ロックオン。


 「目標確認。誘導開始」


 五千。


 投下。


 爆弾が切り離された瞬間、倉持は機首を引き起こした。


 数秒間の沈黙。


 ドォンッ。


 地上で爆発が起きた。


 砦の中から、土煙と石の破片が上がった。建物の一棟が、ほぼ原形をとどめない状態になった。城壁の一部が崩れた。


 「命中確認。建物、破壊」


 倉持は記録した。


 「……《ファルコン2》、周囲に反応は?」


 「周囲に人員の移動なし。龍の出現もなし。砦の外に数人、遠くに人影がありますが、逃げています。民間人と思われます」


 「距離は」


 「六百メートル以上。被害はないと判断します」


 「了解。記録を継続する」


 重要なのは、爆発の後だ。


 王国軍がどれだけの速さで反応するか。龍を出すか。地上部隊を動かすか。それを見ることが、威力偵察の本来の目的だ。


 倉持は高度を戻しながら、周囲を観察し続けた。


 三分が経過した。


 「本部より《ファルコン1》、周辺の魔法索敵反応あり。王国軍が動き始めた模様。距離は三十キロ」


 「到達まで、馬で何時間だ」


 「三時間以上」


 「十分だ。第三目標へ移行する」


 「了解」


 砦の煙が、風に流れていく。


 倉持は一度だけ、地上を見下ろした。


 崩れた城壁。

 無人の廃墟。


 誰も死んでいない。


 それだけを確認して、倉持は前を向いた。


 「《ファルコン2》、ついてこい」


 「はーい。……倉持さん、今の爆発、地上の特殊調査部隊にも見えてますかね」


 「見えているだろう」


 「なんか、心強いですよね。空からも動いてるって」


 倉持は少し間を置いた。


 「そうだな」


 「私、地上部隊の人たちに会ったことないんですけど、なんか、同じ場所で戦ってる感じがして」


 「感傷的なことを言うな」


 「すみません」


 「……だが、間違ったことは言っていない」


 倉持は前を向いたまま言った。


 「地上が動けるのは、空が安全だからだ。空が安全なのは、地上が補給線を守っているからだ。どちらが欠けても、成り立たない」


 「……はい」


 「だから任務を続ける」


 「はい!」


 二機は大陸の空を飛んだ。


 地上では、特殊調査部隊が動いている。


 空では、二機の《蒼鷹》が飛んでいる。


 同じ空の下で、同じ方向を向いて。



 ***



特殊調査部隊 野営地


 「見えましたよ、煙!」


 橋本が双眼鏡を持ったまま叫んだ。


 北西の方角、遠く、白い煙が上がっている。


 「航空自衛隊が動いたんですね!」


 「ああ」


 真司は煙を見ながら答えた。


 本部から事前に連絡が来ていた。《オペレーション・ファルコンアイ》が実施される、と。


 実際に煙を見ると、頭でわかっていたこととはまた違う実感があった。


 俺たちだけじゃない。


 空からも、見ていてくれる者がいる。


 「隊長、本部から入電です」


 野村が走ってきた。


 「内容は」


 「《ファルコンアイ》の速報です。第一目標、中継施設に人員が少ない。主力が移動した可能性が高い。第二目標の砦、無人確認、爆撃実施。建物一棟破壊。第三目標へ移行中とのことです」


 「潜入部隊の足取りは」


 「まだ不明ですが……倉持二佐が追加で送ってきた情報があります」


 「なんだ」


 野村はメモを見た。


 「第一目標の中継施設から北西に十五キロ、道なき道の上に、複数の馬の足跡と荷車の轍を確認。規模は五十名前後と推定。移動方向は南南東——つまり、日本の本土方向です」


 真司は地図を開いた。


 北北西。


 日本の本土方向。


 五十名前後。


 「先行している」


 「はい」


 「北九州フロンティアまで、このペースで何日かかる」


 「馬での移動を前提とすると、四日から五日」


 真司は計算した。


 出発が三日前なら、残り一日か二日で国境に到達する。


 「本部に伝えろ。北九州フロンティアおよび日本本土周辺の警戒を最大限に引き上げるよう、緊急進言する。同時に、北部方面隊の第七師団に対し、潜入部隊迎撃の準備をするよう上申する」


 「了解です!」


 野村が無線に向かった。


 真司はルナを見た。


 「ルナ」


 「なに」


 「索敵魔法の精鋭部隊というのは、どんな能力を持っているか、知っているか」


 ルナは少し考えた。


 「詳しくは知らない。でも、ウサギ族のネットワークで聞いたことがある。〈静寂の帳〉という魔法を使う部隊がいるって。存在を消す魔法。音も、気配も、魔法の反応も、全部消せる。捕まえた人間をどこかへ連れて行っても、誰にも気づかれない」


 「存在を消す……」


 「日本に侵入してから、何かをするつもりなんだろうね」


 人質を取る、と雲雀丘は言っていた。


 その能力なら、確かに可能だ。


 気づかれないまま、日本の民間人を連れ去る。


 「橋本」


 「はいっ」


 「今夜中に出発する準備をしろ。王都へ向かうのと同時に、北九州フロンティアへの連絡を強化する。二つ同時にやる」


 「二つ、同時に?」


 「ドーソンとの外交交渉を止めるわけにはいかない。同時に、本土への脅威も対処しなければならない。どちらか一方を捨てる選択肢は、俺にはない」


 橋本は少し考えた。


 「……了解っす」


 「何か言いたそうだな」


 「いえ。隊長がそう決めたなら、俺は動きます。ただ」


 「ただ?」


 橋本は珍しく、まっすぐ真司を見た。


 「隊長、無理しすぎないでください。全部一人で抱えようとしてる時の顔してます」


 真司は少し黙った。


 「……そうか」


 「はい」


 「気をつける」


 「本当に気をつけてくださいよ」


 「わかった」


 「絶対ですよ」


 「わかった、と言っている」


 「信じますよ」


 「……うるさい」


 橋本は笑った。


 いつもの、太陽みたいな笑顔だった。


 その笑顔を見て、真司は少しだけ肩の力が抜けた。


 全部一人で抱えない。


 それも、戦略だ。



 ***



〈ガレリア王国〉第一高等学校


 アル=ドーソンに、父からの伝書鳥が届いたのは、昼の授業の途中だった。


 授業中に伝書鳥が届くことは滅多にない。担当教師が少し眉を上げたが、ドーソン家からの鳥だとわかると、「読んでいいぞ」と言った。父親が外交任務中であることは、学校にも知られていた。


 アルは手紙を開いた。


 父の字だった。几帳面で、簡潔な。


 『アル、元気にしているか。父は今、日本という国の軍と接触した。思っていたより話のわかる者たちだった。外交の見通しは、悪くない。体は問題ない。お前は勉強しているか。ローズとリリーによろしく言ってくれ。帰ったら、飯でも食いに行こう。父より』


 アルは、手紙を三回読んだ。


 一回目は内容を理解するために。


 二回目は確認するために。


 三回目は、手紙の中に父の声を探すように。


 「アル? どうしたの」


 ローズが隣から覗き込んだ。


 アルは答えなかった。


 「父さんから、だ」


 「え! 何て書いてあったの?」


 「生きてる」


 「そりゃそうでしょ、だって——」


 「生きてる、って書いてある」


 ローズは少し黙った。


 アルの声が、いつもと少し違うことに、気がついたのだ。


 「……よかった」


 「ああ」


 「よかったね、アル」


 「ああ」


 アルは手紙をたたんで、制服の内ポケットにしまった。


 「法学の予習、続けよう」


 「え、今は休憩してもいいんじゃない?」


 「いい。続ける」


 アルは教材を開いた。


 目が文字を追っている。しかし頭の中では別のことを考えていた。


 父が会った、日本という国の者。


 話のわかる者たちだった、と父は書いた。


 父が「話のわかる者」と言う時、それはかなりの信頼を意味する。父は人を褒めることに厳しい。


 (どんな奴なんだろう)


 アルは思った。


 いつか、会えるだろうか。


 その想像は、法学の教材よりずっと面白かった。しかしアルは、授業が終わるまでそれを考えるのを禁じた。


 今は勉強だ。


 父が帰ってきた時、また単位を落としていましたでは、話にならない。



  *



 航空自衛隊の二機が基地に帰投したのは、夕方のことだった。


 倉持と瀬戸は機体を降り、整備班に機体を引き渡した。


 「倉持さん、今日はお疲れ様でした」


 「お疲れ」


 「緊張しましたね、龍が来た時」


 「したか」


 「倉持さんは全然してないように聞こえましたけど」


 「してた」


 瀬戸は少し驚いた顔をした。


 「本当ですか」


 「当然だ。未知の生物が後ろについてくるんだ。緊張しない方がおかしい」


 「でも、声が全然変わらなかった」


 「変えない訓練をしてきた」


 倉持は整備士から水を受け取って飲んだ。


 「瀬戸」


 「はい」


 「今日の記録データ、すぐに解析班に回せ。龍の上昇限界高度、移動速度、反応時間。全部数字に変える。地上部隊が使える情報にする」


 「了解です」


 「それが俺たちの仕事だ。飛ぶことじゃない。飛んで、情報を取って、届けることだ」


 「……はい」


 瀬戸は頷いた。


 「あの爆発、地上部隊にも見えたんですかね」


 「見えたろう」


 「どんな気持ちで見てたんでしょう」


 倉持は少し考えた。


 「同じ気持ちだろう」


 「同じ?」


 「孤独じゃない、という気持ちだ」


 瀬戸はしばらく黙った。


 「……倉持さん、意外と詩人ですね」


 「余計なことを言うな」


 「すみません」


 「今日はよくやった」


 「ありがとうございます!」


 瀬戸は笑った。


 倉持はもう一口、水を飲んだ。


 夕暮れの空が、機体の背面に映っていた。


 明日も飛ぶ。


 地上の誰かが、その空を頼りにしている限り。



 ***



特殊調査部隊 出発前


 夜。


 車列が静かに動き始めた。


 ヘッドライトは最小限に絞ってある。索敵魔法の精鋭部隊が王国軍に情報を上げているなら、光も音も少ない方がいい。


 ルナが助手席に座って、耳を澄ませた。


 「今は、静か」


 「そうか」


 「でも」


 「なんだ」


 ルナはうさ耳を少し傾けた。


 「北の方角に、何かいる。遠い。でも、動いてる。速い」


 「龍か」


 「違う。もっと小さい。音が綺麗すぎる。機械みたいな音」


 真司は少し考えた。


 「……航空自衛隊だ。夜間飛行してる」


 「そうか」


 ルナはうさ耳を戻した。


 「味方の音って、こんなに安心するんだね」


 「そうだな」


 「知らなかった」


 「ルナ」


 「なに」


 「お前の兄の名前は」


 ルナは少し驚いた顔をして、真司を見た。


 「……クロス。クロス=クロスヴィアって言う」


 「わかった」


 「なんで聞くの」


 「王都に行ったら、探す。約束はできない。でも、覚えておく」


 ルナはしばらく真司を見た。


 うさ耳が、ゆっくりと立った。


 「……ありがとう」


 「礼は、見つけてからだ」


 「うん」


 「眠れるか」


 「眠れない」


 「俺もだ」


 「隊長もそういうことあるんだ」


 「毎晩だ」


 「……それって、大丈夫なの?」


 「大丈夫じゃないな。でも動いてる」


 ルナは少し笑った。


 うさ耳が一度だけ、ぴこりと揺れた。


 車列は暗闇の中を進んでいく。


 王都まで、百三十キロ。


 空では今夜も、誰かが飛んでいる。


 地上では、三十三人が前へ進んでいる。


 一人の諜報員が、担架の上で眠っている。


 一人の少年が、法学の教材を閉じて、父からの手紙をもう一度だけ読んでいる。


 二人のパイロットが、明日の飛行計画を立てている。


 世界は同時に動いている。


 誰も一人では、ない。



 ―― 了 ――



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次話予告


 王都の門前、ついに真司が立つ。

 ドーソンとの約束。アリアン王の罠。

 そして、索敵魔法が、動き出す。


 第十九話「王都の門は、内側からしか開かない」


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