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小さな椅子  作者: 珉砥
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  そんな棚端だったが、リコーダーには力を入れた。自身が小学校3年生の時に音楽室に3年生全員が押し込められて、どこかからやって来た偉そうな男の指導者に縦笛を習ったことを今でもよく覚えていた。棚端少年は楽器に触れるのはハーモニカ以外では初めてで、ハーモニカはあまり好きではなかったので縦笛に何か期待をしていたのかもしれない。

  「まず、くちを少しすぼめて、トゥー、トゥーと言って!」

  偉そうな男に言われた通りに棚端翔は

  「トゥートゥー」

  と発声した。

  「次にリコーダーを口にくわえて、トゥー、トゥーと言って!」

  大勢がピーピーと鳴らす。その喧騒の中、棚端は

  「トゥー、トゥー」

  と口で言ったところ、ピーピーと笛が音を出した。感動と面白さが棚端少年の気持ちを高ぶらせた。    

  その後数日間はリコーダーを肌身離さずいつでも吹いて家族から呆れられた。難易度の高い抑え方も直ぐにマスターして、アニメの主題曲を知る限り吹きまくった。

  そんな棚端だから演奏の楽しさを児童に伝えようとしたのかもしれない。「トゥー、トゥー」というタンギングの練習を徹底すると共に、ペンで机を軽く叩いて自ら拍をとって児童に吹かせた。

  横に長い長方形のリコーダーの練習曲集を1曲目からテストをして、合格したものには楽譜の横に自分の判子を押してやった。通常小学校の教諭は児童の喜びそうなゴム印の一つくらい持っていそうなものだが、あいにく棚端はそのような気の効いたものを持ち合わせていなかった。それでも児童達は喜んでこれに取り組んだ。

  音楽の授業中にはテストをしなかった。短い5分休みの間に数人ずつテストをした。長蛇の列ができ、時間が無いからみんな「ブーブー」文句を言ったが、7月の中頃にはほぼ全員練習曲集を全曲吹けるようになっていた。

  吹けなかったうちの一人はすみちゃんだ。澄ちゃんはダウン症だった。リコーダーに限らず他の児童と比べるとほぼ全てのことが出来ないか、時間が必要だった。授業の内容はほぼ理解できない。発言も声が小さすぎるし、極度の恥ずかしがり屋だから授業中はほぼ無言だった。休み時間は元気に遊ぼうとしたが、心臓に疾患を抱えていたため、激しい運動は出来ないので、棚端達が遊んでるのを見ていることが多かった。給食は最も苦手で、他の子が食べ終わって掃除の準備をする(この学校では給食後掃除をして、その後昼休みが組まれていた。つまり、早く掃除を終えれば昼休み時間が長くなるから、児童は割と必死に掃除をした)ときにもまだ食べ終えていなかった。本人は完食を目指していたので、棚端は仕方なく掃除の邪魔にならないようにすみちゃんに教室の隅に席を作って食べさせた。

  むろん心臓の関係もあるし、元来筋力もないので体育も苦手だった。形だけ真似してもらった。5月の遠足の時は他の3年生の先生と話し合って澄ちゃんのことも考慮に入れてコースを考えた。澄ちゃんの親ともよく話し合った結果、可能な限り参加するという不明確なものとなった。結局ほとんど棚端が澄ちゃんをおんぶして歩く状態となり、途中で偶然元大学の同級生とばったり会ったときは気まずい感じになった。

  「大変だなあ」

  と言われたが、棚端は特にそうは思っていなかった。教師とはこんなものだろうし、直ぐに辞める気でいたので苦痛でもなかった。

  澄ちゃんはクラスの女子の話題では、棚端のことが好きという噂がたっていて、実際に棚端の背中でいかにも嬉しそうにしていた。

  澄ちゃんの母親は体つきのかなり良い女性で澄ちゃんの消えてしまいそうな感じとは真逆な印象を棚端は受けていた。母親は、特別学級に入れるのではなく普通学級にいることで学べることも多いし、他の児童も澄ちゃんといることで普通では学べないことを学べるはずだ、と主張していた。   

  他の先生は棚端に同情的な意見や眼差しを向けたが、棚端にとってはどうでも良い事だった。親の言い分はあまりにも自己中心的ではあるが、世の中のことはどう転ぶかなど誰にも判断できない。確かに澄ちゃんがいることで学べることもあろう。棚端はその程度に考えていた。

  むしろ問題とすべきは、新任教師に普通クラスにダウン症の児童がいる集団を管理させる教育現場の実態にあるとも思ったが、それも辞めるつもりの棚端には関係ないことだった。


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