第八十五話 神の申し子<シャンハイズ>
『いいかい、イン。私が休む時、一人になりたいと言った時は必ずお前が忍び込み、私のことを観察しておきなさい。外部にあれだけ啖呵を切ったのだ。何かしらの手段で私を狙う者が表れるかもしれない。密に長けているお前でなければ出来ない芸当だ。任せるよ、イン』
銀の女性、インは出来うる限りを想定して懸命に遁走していた。
主君であるマリアが殺される自体に直面した時、インは真っ先に『神薙財閥の為』になる道を優先した。
『神薙財閥』の為に必要なのは、マリアの死を悲しむことでも復讐に拘り報復することでもない。
マリアの次の立場が約束されている存在。神薙ユリアに託すことだ。
しかし星華島へ連絡する手段は限られている。
外からの干渉を嫌うユリアは通信による連絡も可能な限り避けており、インから直接ユリアに連絡を取る手段はない。
ならば直接向かうしかないのだが、週二回の定期便しか星華島へ渡る方法は用意されていない。
そこでインが選んだ手段は、物理的に船舶を利用して星華島に乗り込むことだ。
もちろん星華島には防衛部隊――クルセイダースかリベリオンが存在しており、無許可の船舶が近づけば警告を受ける。
さらにマリアの私兵たるシャンハイズが単身となればより警戒されるだろう。
本来であればマリアから連絡が向かうはずなのだ。よしんばユリアが異常を察したとしても、他のメンバーが受け入れない可能性の方が高い。
星華島は良い意味でも悪い意味でも排他的なのだ。
島を中心としたグループは強固なもので、部外者を受け入れない――とはいえ、以前よりかはある程度寛容にはなったが。
インはシャンハイズの中でも最も隠密に長けている。
その為単身で星華島に乗り込むことは可能であり、事実そうして星華島の情報を秘密裏に収集しマリアに報告もしていた。
しかしそれは入念な準備があり、マリアが定期的に島の防衛についてのスケジュールを把握していたから出来た芸当だ。
「……手段は選んでいられない。今はまだ追いつかれていないが、追っ手が来る前に」
ユリアだ。ユリアにどうにかして接触できれば、全てを伝えることが出来る。
マリアが殺されたあの瞬間。インは一連の全てを映像として記録していた。
これを見れば誰が見ても一目瞭然だ。
神薙財閥総帥、神薙マリアが殺され――黄金の少女がその姿を偽った。
マリアの死は確認するまでもない。首が有り得ない方へ曲がっているのだから。
だから、これを見ればユリアは全てを理解してくれる。
自分が神薙財閥の総帥として動かなければならないとわかってくれる。
「全ては神薙の為に。マリア様……っ」
悲しんでいる暇はない。悲しんでいてもマリアは喜ばない。報われない。
彼女に報いる方法はただ一つ。ユリアへ全てを託し、神薙財閥を守って貰うことだ。
「っ……」
遠くでサイレンが聞こえた。自分を追う音でないことは確かだが、何が起きたか思わず足を止めてしまう。
そして、爆発が起きた。黄金色の光が昇ったかと思うとすぐに霧散した。
インは、追っ手が迫っていることに気付いた。
あの光は、シャンハイズが持ちうる兵装――カムイの光だからだ。
「……誰が、来るか」
最悪を想定して動かなければならない。だがインにとって最悪の状況とは、ティエン、またはフーのどちらかに追いつかれることだ。
シャンハイズの中でも序列はある。その序列は戦闘技能によって決められており、一位と二位はティエンとフーが独占しているくらいだ。
他のシャンハイズがけっして弱いわけではない。ただの人、いや、銃を持った兵士が十人二十人いたところでシャンハイズは負けない。
シャンハイズは、神薙財閥の為に育てられた「才ある子」だ。
今では誰もが成人を迎えているが、だからこそ誰もが実力者である。
そのシャンハイズの中で突出しているのが、ティエンとフー。
こと戦闘技能に関して、あの二人に並べられる存在など存在しない。
だから、もしも。
そのどちらかに追いつかれたら、インは死を覚悟しなければならない。
そしてその最悪は、現実となる。
「やはりここに来たか。マリア様を裏切った罪はここで精算しろ、イン」
「ティエン……っ」
フーであれば、まだ事情を説明し映像を見せることで納得して貰える可能性があった。
腕の一本くらいを犠牲にして、そこでようやく交渉の余地が生まれただろう。
けれど、ティエンは違う。
映像を見せたところで――いや、違うのだ。
ティエンは、視力がない。どんな時でもサングラスを付けているのはその為だ。
彼は視覚以外の五感を使って、フーと並ぶシャンハイズ最強の武人へ至っているのだ。
そんな彼に、映像を見せる意味はない。
音声があるが、可能性は低い。
それ以上に、だ。
ティエンは『神薙財閥』以上に『神薙マリア』へ忠誠を誓っている。
そんな彼女が殺されたと口にすればそれだけ怒りを買う。
元より今の自分は裏切り者で脱走者。
頑固者のティエンが自分の言い分を聞くわけがない。
「ワタシは、裏切っていない。ワタシは、マリア様の指示を完遂するだけ。ワタシはユリア様に伝えなければならない」
「ユリア様に? マリア様が健在な今、神薙のデータをユリア様に送る必要はないだろうに。まさか、ユリア様が本家に造反を企んでいるとでも言うのか?」
「そんな訳ない! ユリア様は星華島と神薙財閥の為に尽くしてくれる御方だっ。マリア様亡き今、後継たるユリア様に全てを託すのは必然だろうに!」
「失言をするなイン。マリア様は御健全であられる。貴様の裏切りを摘発し、陣頭指揮を執っておられる」
「真実を見定めることも出来ない人形が!」
「カムイを執れ、イン。かつての同胞として、せめて正面から貴様を殺してくれよう」
もちろん、ティエンに事情を話して協力してもらえる可能性だってある。
けれど、出来ない。時間がない。
ティエンが協力できたとして、フーも出来たとして。
生きているマリアが介在したら、全てが台無しになる。
今を生きているマリアを見てもなお、インの映像を見て理解してもらう必要がある。
だからこそ、どうしても星華島へ向かわなければならない。
それ故に、インは己が武器たるカムイを取り出す。
隠密するには不向きである、黄金のクナイを。
「目覚めろ、ワタシのカムイ――『銀神』」
「呼応せよ、我がカムイ――『天神』」
シャンハイズたちに与えられたカムイは、それぞれのスタイルに特化させた専用機だ。
ユリアが開発したカムイを、神薙が独自に改良した紛い物。
しかしその性能は星華島のカムイにある一点において並ぶ。
それは、武器である点。
星華島のカムイは、基本思想としてカムイを扱う少年少女たちをサポートする為のモノだ。
身体能力向上の魔法だけではなく、咄嗟の時に所有者を守る術式など様々なサポートが施されている。
事実、星華島が今日まで誰の犠牲者も出さず戦い続けることが出来たのはカムイあってのものだ。
シャンハイズは、身体能力向上の恩恵など必要ない。必要としないほどに鍛えられた戦闘集団だ。
それ故に、カムイに搭載されている本来の『所有者を守る魔法術式』を搭載していない。
搭載する術式などそこまで重要で無くて良い。
大事なのは、武器としての性能で。
そしてシャンハイズは、武器として完成されたカムイを手に入れた。
(このまま船へ逃げ込んでも、エンジンを起動して発進するまでの時間で確実にやられる。まずは逃げる為に注意を逸らす――!)
インの持つカムイ『銀神』は、相手を殺すことよりも、ダメージを重ねる為に開発されたカムイだ。
軽やかに、手数で押し切る。もちろん既存の刃物よりも魔法を用いて強化される刃は強力無比で、これだけで首を切り裂き命を奪うことも出来る。
さらに搭載されている術式は、爆発。
小型化に成功した銀神は量産に向いており、そして技術の漏洩を防ぐことも兼ねて爆発出来るよう調整されている。
爆発範囲は広いわけでは無いが、至近距離で受ければ確実なダメージを与えられるほどのものだ。
インは六本の銀神をティエンに向けて投擲する。
ティエンが避ければ、仕込んだワイヤーで銀神を引き戻して奇襲することが出来る。
銀神の携帯数は十八本。
いきなり六つを使ってでも、ティエンを撒けるのならば安いモノ――――なのだが。
「浅い。甘い。遅い。未熟。故に貴様は未だに十席すら超えられるのだッ!!!」
「っ!!!」
シャンハイズ序列一席、ティエン。
そのカムイ、身の丈ほどの大剣『天神』。
ティエンは開発の当時からマリアに進言し、天神に搭載する機能を決めていた。
それは、刀身に装着された加速装置。
最早魔法術式とも言えない物理的な加速によって、ティエンは迫る銀神全てをはたき落とす。
殺傷力を高める必要は無かった。
武器を振るえればそれでいい。それだけで最強へ至ろうと決めていた。
ティエンは己の不器用さを理解している。だからこそ、フーに負けないように、圧倒的な力で制圧することを決めていた。
銀神が爆発を引き起こすことも知っている。
だからこそ、加速してはたき落とした勢いのまま天神を背負うように構えた。
加速装置が起動され、ティエンの巨躯が疾走する
巨躯が駆ける。想定よりもずっと速く。一歩を詰める速度が人間の反応出来る速度では無い。
インもそれはわかっていた。フーとティエンの戦闘教練を何度も眺め、自分ならどうするかをずっと考えてはいた。
手合わせも何度もした。だから、わかっていた、はずだった。
けれど、訓練と実戦は違う。乗せられた殺意の分を、インは把握しきれていなかった。
左腕が、落ちる。何が起きたかも、何もかもが遅れてやってくる。痛みすら遅れてやってきた。
「あ、ああああ……~~~~~~~っ!!!」
それでも悲鳴を上げなかったのは最後の矜持だ。例え相手がシャンハイズ最強であろうとも、一方的に蹂躙されようとも。
泣き、叫び、情けない姿を晒すわけにはいかない。
だって自分もシャンハイズなのだから。
歯を食いしばって激痛を堪える。右足を蹴り上げて、足首に仕込んでいた銀神を起動させた。
銀神は足首を巻き込んで爆発する。
「む――――」
爆発の閃光はティエンには通用しない。けれど至近距離での爆発は確実にティエンの聴覚にダメージを与える。
最後の力を振り絞って、腹部に仕込んでおいた銀神を投擲し、連鎖的に全てを爆発させる。
銀神全てを消費して、ティエンの五感を少しでも鈍らせて。
逃げる時間を、少しでも稼ぐ。
「小狡いことをっ!!!」
「―――ァ」
ティエンは確かに聴覚にダメージを食らい、感覚は鈍っていた。
だからといって目標を取り逃がすほど甘くない。
この街の構造は頭の中に入っている。インが逃げようとするルートは全て把握している。
だから、次に何処へ移動するかもわかっている。インが一歩でどれだけ移動するのかも。聴覚が機能していなくとも把握している。
だからこそ、シャンハイズ最強の地位を築いた。
その自信がティエンを突き動かす。
神薙の為に。
マリアの為に。
ティエンは容赦なく同胞に手を掛ける。
「……ワタシは、勝たなくて、いい。ワタシは、ユリア様の、為に……っ!」
「イン、貴様は――――」
ティエンは何かしらの手応えを感じると共に、先ほどまで目の前にいたであろうインの気配が消えたことによって動きを止めた。
それがインの胴体かどうかまでは視力のないティエンにはわからない。
「っ……これ以上の捜索は現状は出来ない。フーに情報を共有し、捜索範囲を広げる」
気配は感じられない。いや、わからない。
戦いには勝利している。インはティエンには敵わない。敵うはずがない。
腕を落とし、足を失い、そして身体のどこかを失った。
良くてその場で死んでいる。放っておいてもどこかで死んでいる。
だからこそ、そこでティエンは追撃を止めた。
「何故だ、イン。我々は神薙の為に忠誠を誓った。何故裏切った。何故だ……!」
いくらマリアの命であろうとも、ティエンの中にも仲間への思いはある。
どのみち致命傷は与えたのだ。目の見えない自分では生死の確認のしようがない。
そう、だから仕方ない。仕方ない、と自分に言い聞かせる。
「フーか? インを発見し、交戦した。腕、足を失い致命傷は与えた。私は聴覚にダメージを負っている為捜索が難しいので引き継いで貰いたい。ポイントは―――」
同胞を思いつつも、マリアの命令は遂行して。寂しい思いを感じながら、ティエンは治療の為にその場を後にした。
………
……
…
インは、夢を見ていた。
仲間たちと共に、脅威に立ち向かう。
ティエンが、フーが、仲間たちが。
そこにはマリアもユリアもいて、亡くなったユリアの両親もいて。
そこに新しい仲間が増えていく。星華島の子供たちだ。
既知の仲ではない。けれど、遠くから見ていて彼らの人となりは知っている。
ああ、ああ……、と。
もう痛みも感じない。
自分はもう助からない。
でも、せめて。
助からなくて良いから。
助からなくて良いから、最期の意志だけは。
かろうじて両断を免れた肉体だが、時既に遅い。
致命傷だ。肉体はもう治療を受け付けず、如何なることがあろうとインの存命は否定されている。
感覚はもうない。自分が何処にいるのかもわからない。きっと誰も来ない路地裏で、惨めに無様に死体を晒しているのだろう。
願いは叶わない。それが、悔しくて。
『お前は今日から銀と名乗りなさい。目立つであろう銀の髪、敢えて隠密を覚えてみるのも面白い。お前には才能がある。いや、才能があったとしてもなかったとしても……明日が欲しくて私をにらみ続けたその意志が、シャンハイズに迎え入れる要因となった。イン。私の子供。私のシャンハイズ。お前たちはいずれ神薙を背負い、守る存在となるんだ。未来を思ったその意志を、世界を照らす為に使っておくれ』
思い出すのは、出会いの光景。孤児で、力も何もなかった自分を拾ってくれた恩人の、優しくて暖かな抱擁。
今はもう、手に入らない。失われてしまったから。
「人間よ、お前はもう助からない。しかしお前の一念はけっして無駄ではない。お前のその執念が、奴を討つ為に必要な手掛かりとなった」
誰かの声が、聞こえたような気がして。
インはもう目も開けられない。それでも、と懸命に手を伸ばす。
何かに触れたような気がした。きっと、誰かの頬。
「おねがい、シマス。ユリア様、に。マリ、ア様の、ごいしを、ゆりあ、さまに」
その言葉は誰に向けているのか、イン自身にもわからない。
けれど託したい。届けて欲しい。マリアが殺された一連の映像データを。命を賭して守ったこれを。
虚空へ向かって投げた言葉。
誰にも届かないと思っても投げずにはいられなかった言葉。
その言葉を、拾う者がいる。
「願いを叶えよう。星華島に渡り、その記録を神薙ユリアに託したいのだろう。お前の執念に敬意を払い、その願い、神である俺が叶えよう」
『彼』は。
死と再生の神鳥フェベヌニクス。いや、時守黒兎。
空を飛ぶことが出来る彼は、インを抱きかかえて星華島へと飛翔していた。
神である彼を捉えることが出来る者など、シャンハイズにはいない。
希望は託された。
それがわかったから、インは小さく微笑んだ。
「……………………よか、った」
最期の言葉は、安堵の言葉。小さく小さく呟いて、銀の女性は静かに意識を失った。
最期の表情を、彼は見ない。見ないようにして、胸にこみ上げてくる思いを必死に呑み込んだ。
「前回とは違うぞ。努力を、執念を必ず届かせてやる。覚悟しろ、■■の■■■……!」
そして彼は、神薙ユリアの元へ希望を届ける。
かろうじて命を繋ぎ止めているインを連れているのは、彼の中に残っている人としての感情か。




