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晴霞の王  作者: 瀬戸榛名
第3章|王は、ここに在る

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第43話 扉の向こう

 王都の空は高く澄んでいる。

 夜も更け、人々がそれぞれの家路につく頃、エレニアはふと城門の外に出ていた。

 まだ仕事が残っていたが、少しだけ、風に当たりたい気分だった。レオンに少しの間留守を任せ、街に出た。


 後片付けを終えた露店は店じまいを始めていたが、街のあちこちにはまだ、酔い冷ましがてら集う市民たちの姿があった。

 顔を隠すこともせず、ただ一人歩くエレニアに、誰も気づく様子はない。会話の端々が彼女の耳に届いてくる。


「なあ、セフィリア様は、いつまで戦いを続けるつもりなんだろうな」


「前はただ信じていたけど、最近は……ねぇ?」


 立ち止まったエレニアの足元を、夜風がさらりと撫でる。その場から動けなかった。


「聞いただろ? セフィリア様を差し出せ、ってあの声」

 若い男が言う。

「そうすれば、戦いは終わるって」


「何言ってんだよお前、そんなこと……」


 もう一人の男が控えめに止める。


「でも、そうだろ? お前だって言ってたじゃないか、俺たちばかり、苦しむのはごめんだって」


 彼も、強く否定はできなかった。

 

 エレニアはゆっくりとその場を立ち去る。角を曲がった先の軒先で、話し込む数人の市民が目に入った。


 子どもを膝に抱えた若い母親が、疲れた笑顔で言っている。


「戦がなければ、この子にももっといい暮らしをさせてあげられるのに……」


「最近は、ろくに食べ物もないだろ? 農村の被害が大きい、って」


「セフィリア様は立派な方だ、でも……うちらの暮らしには、ちょっと遠いお方だよ」


 その言葉に、エレニアの胸が小さく軋む。

 違う、と声に出しそうになった。

 しかし、口は動かない。民の生活と痛みが、想像以上に遠くにあることを思い知らされる。


「女王様も前はもっと町に出てきて、私らの声をよく聞いてくれたんだけどね」


「でも今は、エレニア様がきてくれるじゃないか。あの方の方が近くに感じるよ。

話を聞いてくれるし、ちゃんと人間、っていうか。エレニア様が王になってくれたらなぁ、なんて」

 そう言って笑う。


 何気ないその言葉が、エレニアの胸に嫌に深く刺さる。


(──私が、王に?)


 考えたこともなかった、とは言わない。しかしかつてなら、その考えを抱いた瞬間に否定していた。

 セフィリアの隣に立ち、彼女を支えることが自分の使命だと信じていた。


 いつだって、どうしたって、セフィリアは主人公だった。いつも隣にいて、どうしても自分は彼女の物語の脇役に思えた。

 自分の人生なのに、誰かの脇役である人生。


(こんなこと考えるなんて、どうかしている)


 それでも、民が自分を求めているという現実が、エレニアの中で少しずつ確かな形を取り始めていた。


 エレニアは静かに城へと戻る。頭の中には民の声が何度も響いていた。


***


「──ニア様!エレニア様!」


「ごめん、呼んだ?」


「何度もお呼びしていますよ。

どうかしたんですか? ぼんやりして」

 レオンは呆れたように言う。


「いえ、ちょっと考え事をしていたの」


「お疲れなんじゃないですか、セフィリア様は人使いが荒いから」


「そうね……」


 エレニアはなおもぼんやりとした表情で応じる。レオンは目を丸くした。


「珍しいですね、いつもなら否定されるのに」


 エレニアはハッとして、気を取り直して応える。


「──それで、何の用?」


「国民から、陳情が届いています。エレニア様に話を聞いて欲しい、と」


「最近、多いわね」


 やはり、国民の不満は高まっているのだ。

 近頃多忙なセフィリアに代わって、エレニアは頻繁に街を回るようにしていた。その道々で、住民から声をかけられることが増えた。特に、あのハルシャの襲撃以降は──

 エレニアは国中に響いたあの男の声を思い出す。セフィ、と親しげに呼びかけるあの声。

 

「みんな、不安なんです。国民は、話を聞いてくれる相手を必要としています。

今までもご対応いただいていましたが、最近ちょっと数が増えすぎて、まとめて聴くのもいいかな、と」


 どうでしょう、とレオンはエレニアの顔色を伺う。


「……そうね、それがいいかもしれないわ。

都合のいい日を見繕ってくれる? 手配は任せていいかしら」


「お任せください! なんなら、僕が代わりに話を聴いてきましょうか? 意外と、人気あるんですよ」


「冗談はそのくらいにして、まったく」

 エレニアは苦笑する。


「失礼しました。やっぱり、エレニア様は笑顔が似合いますよ。

みんな、頼りにしているんです。──ひょっとしたら、セフィリア様よりも」


 レオンは冗談めかして言う。エレニアは曖昧に頷いた。


「──そういえばエレニア様、ご存知ですか、あの噂?」

 レオンは声を低くする。


「噂?」


「はい、セフィリア様がリュグルスと通じている、という噂です。ウェルリスを裏切るつもりなんじゃないかって」


「セフィが、この国を裏切る? そんなことあるわけないじゃない。あの人は、この国そのものよ」


「はい、しかし……」

 レオンは言葉を濁す。


「あなたも、信じているの?」


「信じたくは、ありませんが……」

 彼は少し俯く。

「もちろん、セフィリア様はその様な方ではないと思っています。

しかし、民は疲弊し切っています。噂を信じる者も多い。このままでは、どうなるか」


 セフィリアがこの国を裏切るなんてこと、あるはずはない。エレニアにとって、そこに疑念の余地はなかった。

 しかし、戦争は終わる気配を見せない。民の間では、このままでは国が滅ぶ、との不安が広がり、次第にセフィリアへの信頼は揺らぎ始めている。


 エレニア様が王になってくれれば、という市民の声が頭から離れなかった。


***


 糸のように細い月が、微かに足元を照らしている。

 エレニアは一人、暗い夜の城の廊下を歩く。その背中には少しの疲労が感じられた。


──セフィリア様は、我々を、見捨てられたのでしょう!


 耳の奥には、日中に聞いた民の叫び声がまだはっきりと残っている。


──もう、こんな生活、耐えられないのです!エレニア様、我々を助けてください!


 王都の集会所で開かれた集会では、エレニアに、多くの声が寄せられた。皆、こぞって話を聞いて欲しがった。皆口々に、今のこの状況を何とかして欲しいと、訴えた。

 その言葉の一つ一つを、エレニアは思い出す。無数の目が、自分を見上げていた。


 皆怖いのだ。先が見えないこの状況が。

 誰もが、セフィリアのように強いわけではない。彼女のように強い人間など、いない。

 民は、不安の中にあった。


(……本当に、このままでいい?)


 胸の奥に、これまで何度も抱いてきた疑念が立ち上る。白銀の髪の揺れる後ろ姿が、頭に浮かぶ。


『答えを、探しているのか?』


 低く響く声。エレニアは驚いて振り返る。そこには、扉があった。

 ロゼルトが、彼女を呼んでいる。


『夜更けに独りで、何か思い悩んでいるのだろう?

私の元に来い。お前の憂いを晴らしてやろう』


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