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晴霞の王  作者: 瀬戸榛名
第3章|王は、ここに在る

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第42話 臆病者

 空が白み始めた頃、ハルシャでのひとまずの処置を終えたセフィリアは、いつものように誰にも知らせず、静かに城へ戻ってきた。その足取りは、疲労の色を微塵も感じさせない。

 まだ空には薄い星の名残が浮かび、廊下は静寂に包まれている。


「ずいぶん早いお帰りね」


 待ち構えていたエレニアが、扉の前で腕を組んで立っていた。


「エリ、ずっと私を待ってくれていたのか?疲れただろう、ちゃんと休めよ」


 セフィリアは、淡々と応える。外套を脱ぎながら、廊下の明かりに照らされたその顔は、普段と変わらぬ冷静さを保っていた。

 エレニアはため息をつく。


「まったく、それはこちらのセリフでしょう? それにあなたが倒れた時のことを思えば、ゆっくり眠ってなんていられないわ」


 セフィリアの身体を見る。


「無事なのは知っているけど……もっと体を労わってくれてもいいのに。ねえ、いつまでそんなふうに耐え続けるつもりなの?」


「労わるほどの傷は負っていないよ」


 彼女は歩みを止めない。エレニアの顔を見ることもない。


「ほんと、そうやって強いことばかり言って……平然と無茶をして、平然と帰ってきて、顔色ひとつ変えない」


「私のことは心配ない、なんともないと言っているだろう?」


 何を言っても、全ての言葉を受け流すセフィリアに、エレニアは苛立つ。いつだって、こうだ。


「本当のことを、私にくらい言いなさいよ、この臆病者! 私がいつも、何も気づいていないとでも思う?」


「私は、私のやるべきことをやっているだけだ」


 即答だった。セフィリアの声は静かだったが、その意志は鋼のように揺らぎがない。


 エレニアは言葉を失い、少しだけ目を伏せる。

 これ以上何を言っても、この人は動かないのだと分かっている。


「——本当に、あなたって人は。言っても聞かないんだから」


 エレニアはため息混じりにそう呟いた。セフィリアは少しだけ口元を緩めて、小さく言った。


「悪いね、補佐官殿」


 その言葉には親しみがこもっていたが、どこか壁を感じさせる。


「せめて、何か食べたら? すぐに持ってくるから」


「──ありがとう、悪いが一人にしてくれるか」


 穏やかにそう返す背中は、もう扉の向こうへ向かっていた。


***


 部屋に入ったセフィリアは、重い扉をしっかりと閉じた。そのまま明かりもつけず、重い体を引きずるように床に座り込み、ベッドにもたれかかる。


 臆病、か。その通りだ。でも私には、こうすることしかできない。それは、そう、臆病だからかもしれない。


 目を閉じると、ハルシャの街が瞼の裏に映る。炎の残像がちらつく。


 ──また、守ることができなかった。もっと早く気付いていれば、もっと多くの人を救うことができた。


 暗闇の中、後悔の波が押し寄せる。セフィリアはギリギリと自分を強く抱きしめた。そしてその体勢のまま、いつしか浅い眠りに落ちた。


***


「まて、やめろ!やめてくれ!」

 セフィリアは、燃え盛る街の中を彷徨いながら叫ぶ。瓦礫になった家と、倒れた人々が通りに溢れている。助けを求める声が街中を覆っていた。


 崩れた建物の隙間から、小さな手が伸びている。子供だ。

 助けなければ。しかし、瓦礫が無慈悲に崩れ落ち、手は炎に包まれる。


 道端に座り込んだ人々は、歩くセフィリアを見ることもない。セフィリアは、どうすることもできないまま、崩れた街を見まわし、ボロボロになりながら歩き続ける。


 かつて人々が笑い、歌い、家族が団欒していた街が、今はただ焼け落ちていくだけの瓦礫と化していた。見回りで訪れたセフィリアに駆け寄ってきた住民の笑顔が重なる。しかし次の瞬間、その姿は黒煙にかき消される。


 どこまでも続く惨状、いつまでも終わらない悲劇。

 歩き疲れ、叫び疲れて、もう声も出なくなる。ふと、足がもつれて歩けなくなり、その場に倒れ込んだ。地面を見つめて力無く呟く。


「お願いだから、私からもう何も奪わないで──」


***


 そこで目が覚めた。真っ暗だった部屋には、薄青い朝日が差し込んでいた。


(……またか)


 ベッドにもたれかかったまま、セフィリアは静かに息を吐いた。

 耳に残る叫び声と、目に焼き付いた炎を振り払うように、瞬きを繰り返し、深く息を吸った。

 そしてゆっくりと立ち上がる。薄明かりに照らされた鏡の中、やつれた自分の顔が映る。ひどい顔だ。


 水を一杯飲み、しばらくぼんやりと窓の外を見つめる。身なりを整え、静かに自室を出た。


「おはようございます、セフィリア様、今日もお早いですね。もう少しゆっくり休まれてもよろしいのに」


「おはよう、テレーザ。朝はどうも目が覚めてしまってね」


 普段通りに挨拶を返す。その完璧な笑顔は、先ほどまでの自室での様子など微塵も感じさせなかった。


 その後もすれ違う城の者たちに笑顔で挨拶をしながら、今日も変わりない様子に一安心して、執務室へと入る。

 椅子に腰を下ろし、机上の報告書を手に取った。ハルシャの被害は想定以上に大きく、復興にはかなり人手が必要そうだった。


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