暗殺者の逃避行2 「絶対に死なせない」
少女が獄塾に入塾したのは五歳の頃だった。
父親は母親の妊娠が分かると姿を消し、母親は少女を産んですぐに他界した。
天涯孤独の身となった少女を引き取れる余裕のなかった村民は少女を獄塾に引き渡した。
獄塾を出る頃には少女もいい歳になる上、獄塾出身者なら憲兵団や傭兵、用心棒の仕事もある。
強く逞しく生きてほしいというのは建前で、実際は少女を追い出したかっただけ。
当時の少女は自分の状況がよく分からないまま、獄塾の生活に身を投じた。
太陽が頭を出す少し前に起床し、顔を洗って道場へ向かう。
道場の掃除をした後は食堂で食事を取り、教室で座学を受ける。
座学は一般教養も学ぶが身体の使い方や武器の扱いなど戦術方面に偏ったものだった。
だが今まで教育というものを受けたことがない少女にとってはその授業で学ぶことが全てであり、人体の急所について指導を受けることに違和感など抱くはずがなかった。
実力至上主義の獄塾では先輩後輩の概念がない。
塾生の中では強者の言葉が絶対で、自分の意見を通すには相手を負かすしか手段はない。
獄塾の数ある道場の一つの中でしかないが、少女は道場で抜きん出た実力を持っていた。
無敗というわけではないが、どんな相手でも三回も戦えば確実に勝利。
女性のうえ子供なので筋力面では劣るものがあったものの、優れた体幹と華麗な足捌きは師範ですら瞠目し、肝の座った少女の動きは初速が速く大抵の相手は初手で勝負を決めていた。
使っているのは木刀だが、少女は真剣であっても容赦無く相手を切り捨てるだろう。
そう判断した師範は当時十二歳の少女をある場所に連れて行った。
最寄りの街からでもかなり離れ、道中で命を落としても不思議じゃない険しい道だった。
生活圏から隔離されたそこは、まだ子供の少女でも感じられるほど威圧感を解き放っていた。
連れてきた師範は少女にこの場所を獄塾本館だと説明した。
自然に囲まれた場所、木造の門を開ければ芸術作品のように仕上げられた白い砂利や庭木が目を奪い、人の物音が少なく自然の音が充満している。
最初はその荘厳な雰囲気が少女を萎縮させたが、すぐにその感覚に慣れた少女はその環境が心地よいものだった。
師範は門のところで止まっている。
師範は汗をかきながら自分はそれ以上いけない、少女だけで行ってきなさいと見送った。
途端に一人にされた少女は戸惑ったが、敷石の道は一つだけなのでそれに従うことにした。
「おやおや、これまた可愛らしい娘がきましたね」
ふいに声をかけられて、少女は周りの風景から視線を声の主に。
敷石の続く先の縁側で、袖で手元が隠れるようにして立っている青年。
声は優しく落ち着きのある声で、当人の見た目も声から想像できるような風貌だった。
キリッとした目にすらりとした姿勢、柔和な雰囲気は器の広さを印象付けている。
「お嬢さん、名前は何というのかな?」
「私は生まれながらに天涯孤独。親から受けた名はありませんが、今はイチと名乗っています」
ペコリとイチは頭を下げた。
その青年はその姿に愛らしさを覚えたのか、笑みを溢して座り込む。
「イチちゃんか。僕はアラヤ、君と同じ本館の塾生さ。突然一人にされて困っただろう。僕が案内してあげようか?」
「よろしいのですか?」
「構わないさ。いくら弱肉強食の世界だと言っても、君のような子供にまでそれを押し付けるのは酷だからね」
アラヤが嘘をついているとは思わず、イチはアラヤの元へ行った。
まだ身体の小さいイチにとって縁側は少し高く、アラヤはそっとイチに手を伸ばす。
アラヤの手を取ろうとしたその時、鋭い感覚を肌で感じて心臓が跳ね上がった。
取ろうとしたアラヤの手がふっと消えて、袖から刃が伸びて先端がイチの喉を捉えた。
木刀でも模造刀でもない真剣が喉に突きつけられて、イチは呼吸が出来なかった。
本物の殺気というものを肌で感じ、イチは全身から汗が噴き出た。
優しい表情は鋭く冷たいものに変わり、柔和な雰囲気は影もなかった。
何も出来ず固まるイチに、アラヤは小刀を再び袖に戻して再び優しげな笑みを浮かべた。
「恐がらせて悪かったね。早めにここがどういう場所か知って欲しかっただけなんだ。ここでは全て疑った方がいい。食事風呂睡眠に至るまで気が抜けない場所なんだ」
イチはアラヤの言葉が理解できなかった。
なんの説明もなしに命懸けの生活に身を投じるとは思いもしない。
だがイチが本能的に理解したことは、今まで木刀だったものが真剣に変わったということ。
即刻逃げ出したくなるのが普通だが、イチは物心がはっきりする前に獄塾にいた為、その世界をすんなりと受け入れることができた。
内容はより過激なものになったが、基本的な生活パターンは前の道場と同じだった。
木刀は真剣に、座学もより殺人術に近くなり、修練中に指や腕が飛ぶなんてことも珍しくはない。
だがそれより一番変わったのは週に一度行われる外部演習だ。
ターゲットを指定され、実際に暗殺をする。
成功すれば問題ないが、失敗は許されない。
目標を気付かれずに殺さなければ自分が死ぬ。
精神的ダメージが大きく、生きて帰レたとしても人間的に死ぬことも珍しくはない。
イチがこの演習に加わるのは半年が経ったときだった。
殺して終わりじゃなく、殺して逃げ帰るまでが暗殺だ。
つまり本館に戻るまでは一切気が抜けない。
目標を殺したが逃げる途中で睡眠中に身を隠していた部屋ごと爆破させられたケースもある。
アラヤが言ってた全てに気が抜けないとはそういうことだ。
イチは自分が女子供に分類していることを利用して多くのターゲットを葬ってきた。
流石に平地で多人数を相手にすれば苦戦するが、建物ないや森の中など遮蔽物などで複雑になった場所なら追手を皆殺しにして帰ってきた。
イチは殺しにおいては天才だった。
一般人を装う演技力、絶好のタイミングを逃さない勘と思い切り、計画に狂いが生じても問題ない頭のキレと対応力、寸分違わず急所を攻める技術。
イチが何食わぬ顔で本館に戻るたび、周りの塾生は目を見張っていた。
たった一人、アラヤは別だった。
年齢的にもやや孤立しかけていたイチだったが、アラヤはそんな彼女を常に気にかけていた。
暇が出来た時はただ部屋で何もせず過ごすイチにボードゲームや菓子を持っていき、最初は無愛想で仕方なく付き合ってるような感じだったイチも、次第に表情が優しくなることが増えてきてアラヤは嬉しくなった。
対するイチも常に殺伐とした雰囲気の本館でアラヤと過ごす時間なら気が抜けるほど落ち着いていた。
安心感のようなものがあったのか、アラヤの隣が睡眠や食事の時よりも心が静かになっている。
「何故アラヤは私に構うんだ? 私を殺そうとする奴らの邪魔もしているようだし、そこまでする理由がわからん」
道場でする修行すら命懸け。
怪我人はおろか死人すら出ることも珍しくない。
だからこそ実力のあるものは修行の外で命を狙われる。
食事中、睡眠中、トイレ中であろうと容赦ない。
上が死ねば自分の危険も少なくなるから、下のものは修行で命を落とす前に殺しにかかる。
獄塾自体もそのことには気が付いているが黙認している。
弱肉強食の世界、たとえ鍛錬外であっても殺される方が悪いのだ。
イチもまた同じように、将来危険になると判断されて寝込みを襲おうとした奴も、毒を盛ろうとした奴もいる。
その全てをイチ自身が対処する前にアラヤが対処していた。
自分以外は全員敵で、共闘することはあっても信頼することはない獄塾で、なんの利益もないのにイチを助けるアラヤのような存在は珍しい。
「自分が殺されそうになってたの気付いてたんだ」
「当たり前だ。弱いから油断しているところを殺そうとする。だが弱いから殺そうとしていることすらバレている。そのことに気付いていないからアイツらは弱いんだ」
アラヤとイチは縁側に腰を下ろし、見慣れた庭の風景を眺めながら甘い菓子とお茶を楽しんでいた。
子供の声で上からの物言いは、一年も経てば愛らしく思えてくる。
「手厳しいね。僕の行動も無駄だったか」
「そうだ。弱い奴を助けてもここではなんの利益もない。だから貴様の行動は理解出来ん。どうして私に構う? どうして私を助けようとする?」
イチの質問にアラヤは天を仰いで思い出に浸る。
雲ひとつない快晴を覗いて、アラヤは優しく笑みを浮かべる。
「僕にはね……生きていたらイチと同じくらいになる妹がいるんだ。名前はセツナ、僕よりも年上なんじゃないかって思うくらいに聡明で大人びた感じの子だ。自分の名前を彫ったブラックタグに憧れて将来は冒険者になるなんていうちょっと勇ましい部分もあったけど」
「貴様に妹がいたとはな。美形の貴様の妹だ。さぞ私に似て可愛いのだろう」
「自分で言っちゃうのそれ。まぁでも身内の贔屓目無しで可愛かったよ。同年代の男の子が何人もアピールしてたからね。セツナって名前も僕がつけさせてもらったんだ。それはもう溺愛したよ」
「それならこんなところにいていいのか? 兄が殺しを働いてるなど洒落にしては重すぎると思うがな。早く帰って悪い虫が寄り付かないように守ってやらないといけないだろう」
「その必要はないんだ。もう死んじゃったからね」
寂しそうにアラヤは言った。
流石のイチも失言だったかとアラヤの顔色を窺う。
天を仰ぎ見る優しい瞳は、過去を移して寂しく光っていた。
「僕とセツナは両親に捨てられて孤児院で育ったんだ。資金繰りがあまり芳しくなかったけど十分幸せだったんだ。あの日まではね」
忘れもしないあの日の記憶。
普段通りの日々。
孤児院にやってきた、獄塾の連中。
「潰れかけてた孤児院に獄塾が資金援助してくれたんだ。セツナを獄塾で引き取る代わりにね」
「孤児院が妹を売ったのか?」
「いや、セツナが自分を獄塾に売り込んだんだ。どこで知ったのか、セツナには特殊な才能があってね。殺気や感情をコントロールして、相手が最も気を許す存在になる演技力。君が裏から殺すタイプなら、セツナは表から殺す暗殺者だ」
「それは一度、会ってみたかったな。その技術は参考になる」
「そういう接点は嫌だなぁ……。ま、セツナのおかげで孤児院は一時的な危機を免れて、今は街の寄付金で回ってる。僕も十六になってから獄塾に入塾してね、獄塾の本館がどういう場所か知っていたから他の生徒よりも殺しに長けた訓練を積んできた。本館に行けばセツナに会える。僕が代わりになれば、セツナを殺しの世界から解放させられると思ってね。まー僕が本館にきた時にはセツナは演習で命を落としてたけど」
「妹は家族のためにその身を売り、兄は妹のために地獄へ足を踏み込む。貴様の血族は自己犠牲に快楽を覚えているのか?」
「僕に限らず、人っていうのは大事な人に幸せになって欲しいんだよ。まー誰よりも自分が大事って人もいるけど、それはただ大事な人がいないだけ」
「なるほどな。それで貴様はこんなところにいてはいけないんじゃないか? 話を聞いているに、貴様のすべきことは冒険者になって妹が欲しがっていたブラックタグとやらを手に入れて墓に添えてやることだろう?」
イチが言うと、アラヤは笑みをこぼした。
「難しことを簡単に言うね。でもそれも考えたし、なんなら当時の脱走計画は今も残ってる。けどね、逃げる前にここでやらなきゃいけない事ができちゃったんだ。妹を失った僕の前に現れた小さな女の子。一瞬迷子を疑うほどに殺伐とした本館で場違いな雰囲気を放っていた彼女が妹と重なって気が付いたら声をかけてた」
流石のイチも、そこまで言われれば誰のことかは理解できた。
だが横槍を入れずイチはアラヤの思いに耳を傾ける。
「その子は道場生活が長かったのか戦う事以外何も知らなくてね、だからちょっとでもこの殺しの世界以外のことを知ってもらおうと色々した。彼女の為かと言われたら素直に答えられない。もしかしたら自分が守ることが出来なかった妹の代わりをその子に押し付けてるんじゃないかと思うこともある」
「それは気にしなくていいと思うぞ。案外そいつも喜んでいると思う」
今まで抱えていた不安だったが杞憂だったと知ってアラヤはスッと心が軽くなった。
「僕はね、その子をこの世界から解放してあげたいと思ってる。それまでは絶対に死なせない。これくらい出来なきゃ、あの世で妹に合わせる顔がないしね」
「ふん、ならせいぜい励んでくれよ。そいつも外の世界を貴様と回りたいだろうしな」
二人は笑う。
脱走はおろか、塾長の許可なしに屋敷の外へ出ることも許されない獄塾で、二人が望んでいることは簡単には叶わない。
それでも二人は諦めてはいなかった――――。
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