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エピソード1:視えない世界④

 食事を終えた後、ユカは自分にあてがわれた客間の中央で、両耳にイヤホンをつけて座っていた。統治から借りたこのイヤホンは、手に持った自分のスマートフォンと接続している。

 食後、片付けをするチームと、ユカの着替えなどを買いに行くチームに別れての行動となったため、特に何もすることがなくなったユカは、1人、部屋の中でラジオを聞いていた。

 耳からの情報しか認識することが出来ない今、ラジオであれば時報で現在時刻を把握することが出来る。外から呼ばれても気付けるよう、ある程度音を絞った状態で音を耳に入れながら……膝を抱え、息を吐いた。

 ここは名杙本家ということもあり、今は帽子も取り去り、まとめていた髪も解いて……いつもであれば程よい満腹感の中、テレビでも見ながら明日の予定を頭の中で反復しているけれど。


 明日の予定も、未来も――何も見えない世界で一人きり。

 本当のどん底を何度となく経験しているので、多少のことでは動揺しなくなったつもりだけど、流石に視界そのものを奪われると、下手に身動きが取れない。

 自分の軽率な行動で、これ以上、迷惑はかけられないのだ。


「……仙台に来て、そげん無理したつもり……なかったっちゃけどなぁ……」

 福岡にいた頃は、周囲に年齢も経験値も上の人が何人もいたため、無理をしようとすると彼らがストッパーになってくれていたのかもしれない。それを自分の能力だと思いこんでいたのであれば、今回のことは完全に自業自得だ。

 そう、誰も悪くない。強いて言えば自分が一番悪いのだけど……そんな言葉で納得してくれない人を、ユカはよく知っている。

「……どげん言おう」

 これからやってくるであろう言い訳タイムに向けて、ユカが脳内で言葉を構成していた次の瞬間――ラジオが聞こえていたイヤホンから、着信を告げる電子音が聞こえてきた。

 ユカはスマートフォンを握ってその大きさを指の感覚で確認してから、恐らくこの辺だろうと検討をつけて、画面をタップする。3回ほどしつこく押していると、耳に入ってくる音が変わった。


「――も、もしもし、ケッカ?」

「なんね政宗、どげんしたと?」


 電話の向こうにいる彼が恐る恐る話しかけてくるのが、あまりにも予想通りだったから。

 ユカが思わず笑いながら彼に話しかけると、電話の向こうの政宗が、盛大に息を吐いたのが分かる。

「何だよ……元気そうじゃねぇか」


 名杙本家に着いてから、廊下を歩いている時。

 ユカは愛美から、こんな『予告』を受けていた。

「あと……政宗君から、伝言」

「政宗から?」

「そう。まぁコレは、伝言っていうよりも……お願いかな。今日の夜、ユカちゃんに電話していいか、って」

 この場に政宗がいない理由は、『仙台支局』での残務整理が残っていることもあるが……ユカへと向かうべき名杙の特性が、政宗の方へ分散されないようにするためである。

 過去、福岡での合宿の際、ユカと政宗は、それぞれに統治からの影響を受けて体調を崩していた。逆に言うと、対象が二人いたことで影響力が分散されて、あの程度で済んだのかもしれない。

 仁義はこれまでに名杙直系の里穂と、彼女の母親・名倉理英子とひとつ屋根の下で生活をしてきたので、名杙の影響力に対して多少なりとも耐性がある可能性が高い。

 しかし、政宗は……統治といる時間が長いとは言え、スポット的な関わりであることに変わりない。動ける男性が統治しかいないことを考えると、不測の事態に備えてあと一人、仁義が帯同することになったのだった。

「政宗君も、電話をかけることで名杙の特性が自分にも向かわないかどうが気にしてるみたいだったけど……それは考えすぎだから、ユカちゃんも心配しなくても大丈夫よ。仕事のこともあるから、一度話しておいたほうがいいと思うし、政宗君が多分、一番心配してるから……電話くらい、付き合ってあげてね」

 頭上で楽しく笑いながら言葉を続ける愛美に、ユカは少し黙り込んだ後……苦笑いで「分かりました」と了承したのだった。


 と、いうわけで、仕事の引き継ぎなどもかねて、ユカは政宗と通話をすることにした。

「おかげさまで。カレー美味しかったけんね」

「マジかよ。愛美さんの野菜カレー美味しいんだよな」

「政宗はどうせ、1人で手酌酒しとったっちゃろ?」

「あのなぁ、俺がいつもいつもいつでも呑んでると思うなって……」

 イヤホンから両耳に届く彼の声がどこか新鮮で、ユカは終始笑っているのだが……向こう側にいる彼は、やはりと言うべきか、どうも様子が違う気配だ。

「……分かっとるよ。政宗、お酒呑んどる時は……もっと支離滅裂やけんね」

「何だよ、それ……よく分かってるじゃねぇか」

「分かるよ。だって……政宗のことやけんね」

 こう言った瞬間、無意識のうちに笑みがこぼれた。

 彼のことは分かっている、そう言えるだけの絆があると思えることは……とても嬉しいから。

「心配かけて、ごめん。ケッカちゃんは割と元気やけんね。まだ何も見えんけど……」

「特に変化はない、か……」

 電話の向こうの彼が落胆したのが分かった。ユカはあえて意識して口角を上げると、自分は落ち込んでいないことを印象づけることにする。

「流石に数時間じゃ何も変わらんね。でも、今はこれにすがるしかないし……あ、名波君と伊達先生のこと、聞いとる?」

「ああ。とりあえず一週間、だな。伊達先生には俺からもメールは送っておいたから、仕事の隙間があれば、ケッカのことも対応してくれると思う。愛美さんからも口添えしてくれるって言ってたから、いずれちゃんと診てもらうんだぞ」

「分かっとるよ。あたしも流石にこのままは困るけんね。本当、1人で何も出来んし……」

 ついついポロリと飛び出た本音に、政宗が息をのんだのが分かった。内心「しまった」とも思ったが、遅かれ早かれこうなっていたとも思う。

 ユカは彼と違って(・・・・・)、政宗に対して隠し事が出来ないのだから。

「ケッカ、一応言っとくけど……俺が許可を出すまで出勤停止だからな。1人で勝手に判断するなよ」

「分かっとるよー。そげなことするわけないやんね」

「……絶対だからな」

「だから分かっとる、って……」

 念を押す政宗に不承不承頷いたユカは……電話の向こう、イヤホンから聞こえてくる声が、震えていることに気付いた。

 本当は気付いていた。けれど、気付かないフリをしてやり過ごそうと思っていた。きっと政宗も、その方がいいだろうから。

 そう、思っていたけれど。


 ユカは仙台で一度(・・)、彼が泣いているところに居合わせたことがある。

 そういえば……過去、初めて彼に電話をした時も、似たような状況だった。

「政宗……その、勝手なことせんし、そもそも何も見えんとに出来るわけないやんね」

「……あぁ、分かってる。ごめんな」

「なして政宗が謝ると? 今回のことは、全部タイミングが悪かっただけやんね」

 ユカはそう言って、抱えていた足をゆっくり伸ばした。

 そう、今回は……運命の歯車が、驚くほど噛み合わなかっただけ。

 そのかみ合わせを少し調整すれば……きっとまた、上手く回るようになるはずだ。

「大丈夫、何とかなるよ。だって、あたし達は――」


 あたし達は……これからも、ずっと一緒なんだから。

 前のようにそう言って、彼の力になれればと思った。


 次の瞬間、ユカの脳裏に、彼女の知らない(・・・・)彼の表情が浮かんだ。

 とても幸せそうに笑っている。こんな顔、見たことない(・・・・・・)

 最至近距離から見つめている彼の視線は、一体、誰に向けられたものなのだろうか。


 ……あぁそうだ、彼女(・・)だ。

 あの写真で笑っていた、彼女だ。


挿絵(By みてみん)


 自分が倒れていた6月、成長して彼の隣にいた彼女。

 政宗が心から思っていた女性だ。そして、彼女自身も彼のことを心から思っていた。

 同一人物だろうと言われても、納得出来るはずもない。

 目を開いたって何も見えず、はっきりと思い出せないのだから。

 そう、全てが『誰かの思い出』だ。どれだけ2人の関係が進んでいようが、今のユカにとっては最早他人事である。最初に聞いた時は、いくら心を許していたとはいえとても卑怯だと思ったし、それを黙っていた彼に不信感と嫌悪感すらあった。


 けれど……冷静になって考えてみると、あの時に彼を受け入れたのは、あたし(ケッカ)ではないのだから、彼に怒るのは筋違いな気さえする。

 

 そう――彼が『ずっと一緒にいたい』のは、あたし(ケッカ)ではない。


 成長して記憶が途切れてしまったということは、この10年間頑張ってきた自分は、体の成長と同時になかったことにされてしまう可能性があるじゃないか。

 勿論、生きるために諦めるつもりも、現状を放置するつもりもない。


 けれど――今、ここに生きている『山本結果』は、一体()なのだろう。

 自分はこれから、どうなるのだろう。


 世界が、視えない。


 追い討ちをかけるように、先日、聖人から聞いた言葉が、脳裏をかすめる。


 ――つまり……政宗君が『今後もしもケッカちゃんを好きになったとしても、それは彼女が持っている素質に起因する可能性が極めて高い』、って、ことかな。


 そう、政宗がユカを心配するのは『当たり前』。

 人として『当たり前』なのだという以上に……ユカが持っているらしい、そんな『特性』が、彼を本能的に惑わせ、脅かしている可能性が高い。

 その話を聞いてしまってから、どうしても、彼に対して前よりも更に踏み込めなくなってしまっていると思う。

 ユカは元々、他人と必要以上に距離を詰めることは苦手だ。このまま何もしないままでいたら――彼との距離がもっと、もっと遠くなってしまう。そんな気がする。


 ――その方が、いいのかもしれない。

 ふと、色々なことを思ってしまったら……言葉がこれ以上続かなかった。


 これからも、ずっと一緒(・・・・・)なんだから。

 そんなことを言う資格が、今の自分にあるとは思えない。

 そんなことを言ってしまったら――きっと、『また』、彼の未来を固定してしまうから。

 彼が一緒にいたい山本結果は、きっと――


「ケッカ……おい、ケッカ。大丈夫か?」

 思考を巡らせていると、予想以上に黙り込んでいたらしい。政宗の声で我に返ったユカは、ぐちゃぐちゃの思考に無理やりフタをして、いつもどおりを心がける。

 電話でよかった。これで顔を見られていたら……自分は彼の前から、逃げ出したくなってしまっただろう。

「あ、えぇっと……まぁ、とりあえず今はゆっくりさせてもらうけんねってことで。あ、そうだ、もしも福岡から連絡が来たら、今回のこと、正直に言ってよかと? あたし、秋に何かあるっちゃろ?」

「あぁ、それは……ちょっとこっちで対応を協議するから、それまでは何も言わないでくれ。悪いな」

「ううん、了解。なんか……色々考えさせてごめんね」

 ユカから思いがけず飛び出した謝罪に、政宗は一瞬言葉に迷い……息を吐いた。そして、一度頭を振った後、口元に笑みを浮かべる。

「なんでケッカが謝るんだよ。これが俺の仕事……いや、俺の役割だから心配しないでくれ。ケッカは自分の体の変化だけ気をつけること、いいか?」

「ん、分かった。色々ありがとね」

 ユカの言葉に、政宗は「気にするな」と告げた後、仕事における簡単な引き継ぎを済ませる。そして……。

「……ケッカ、その……」

「政宗?」

 電話の向こうの彼の声が変わったことが分かった。ユカが何事だろうと首をかしげると、彼はしばし黙り込んだ後……。

「……声、聞けて良かった。時間作ってくれて、ありがとな」

「へっ!? あ、いや、その……」

 予想外の言葉に、ユカは声を上ずらせながら返答する。そして、急いで思考を巡らせた。

 何を伝えよう。

 今の彼に、どんな言葉をかけようか。

「その……政宗も、色々お疲れ様。本調子に戻ったら、ケッカちゃんをバリバリこき使っていいけんね」

「本当か? どうせ牛タン食べさせろって言うんだろ?」

「なして分かったと!?」

「分かるよ。ケッカのことは……信用してるからな」

 日中に言った言葉を言い返され、ユカは再び言葉に詰まった。

 負けたような気がして、何となく悔しい。

「……なんかそれ、ちょっと違うんじゃなかと?」

「細かいことは気にしないでくれよ。ユカ(・・)を信用してるのは本当だからな」

「っ!?」

 唐突な名前呼びに、ユカは思わず見えない目を見開いた。そして、反射的に言いかけた言葉を飲み込み……大きく、大きく息を吐く。


 ――これは、ユカに受け取って欲しい。


 そういえば彼には、こういうところがあった。

 10年前の合宿で、半ば無理やりSuicaを受け取った時も、同じだったじゃないか。

 そう思ったら……自然と頬が緩み、体の力が抜ける。

 自分たちはあの時から――10年前、出会った時から根本的には何も変わっていないじゃないか、と。

 大丈夫、ケッカでも積み重ねたものは確かにある。

 ささくれていた心が少しだけ軽くなった、そんな気がした。

 

「何かあったら電話していいけんね。今日はありがとう、おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ。しっかり休むんだぞ」

 このやり取りで、通話が終わる。今まで彼の声が聞こえていたイヤホンに、ラジオの音が戻ってくる。電話をする前に聞いていたものとは違う声が、耳に直接届いて……ユカはそっと、それを外した。

 今は、違う音を耳に入れたくなかった。

 心の中に芽生えた思いを、彼からもらった前向きな気持ちを、消したくなかった。

 こんなところで、何も見えないまま……立ち止まるわけにはいかないのだから。


挿絵(By みてみん)


「……早く治さんといけんね」

 ユカがそう呟いた次の瞬間、部屋の扉が開いて里穂が顔を出す。

「ケッカさん、着替えが到着したっすよー!! お風呂も用意出来てるっすよー!! 水入らずっすー!!」


 その後、驚くほどへっぴり腰になりながら入浴を済ませて、いつの間にか里穂の母親まで合流して謎の女性会が始まったりして。

「そういえばユカちゃん、政宗君からの電話、どうだったの?」

 愛美の問いかけに、ユカは冷えた牛乳を飲んでから返答した。

「仕事の引き継ぎと、注意事項を共有出来ました。こういう時に電話って便利ですね」

「……」

 口に白いヒゲを作りながら、何の躊躇いも恥じらいもなく返答した彼女に……周囲が盛大にため息をつく。そして、この場にいない彼のことを思って苦笑いを浮かべるのだが、当然、今のユカには何も見えなかった。

 めんどくせーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!


 ……と、思わないであげてください。何も覚えてないユカにとっては死活問題なんです。(笑)


 そして、本部中の挿絵は、おがちゃぴんさんが描いてくれたイラストを、霧原が悪意を込めて加工しました。本当はフルカラーで、3人の顔もはっきり見えるんですけど、あえてモノクロでモザイクとボカシをいれています。今のユカの心にある写真(第4幕ラストで見てしまったもの)は、こんな感じです。

 いつか無加工のイラストも使えるように物語を進めますよー!!


 更に、小説公開後にも挿絵が増えました!!(ありがたいですなぁ……)

 こうして見ると、ユカがとても大人びて見えますね。イヤホンを外した耳が分かりやすくなっているのも重要なポイントっす。

 文を書きながらずーっと「この2人面倒くさいなぁ」と思っていたのですが、ユカのこの表情を見ると「……まぁ、いっか」と思えてしまうから不思議!! ありがとうございます!!

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