桜の二・魔法使い
アルミッレの海岸通りは、何となく浮き足立っていた。
明らかに地元民ではない、よそゆきの恰好の人たちと、数分ごとにすれ違う。絵に描いたような田舎町のアルミッレでは、とてもめずらしい光景だ。
「みんな、クジラを見に来たの?」
「はは、そうかもな!」
日曜日の海辺の町を、手をつないだ兄妹が歩調をそろえて歩いてゆく。
二人の進行方向に、五歳くらいの女の子が立っていた。
……いかにも地元民らしい、普段着のピンクのワンピース。ワンピースは春向けにほどほどの地厚だが、それだけでは肌寒いのか、その上に薄いショールをはおっている。
女の子は口をむむーっと食いしばって、何やら奮闘しているようだ。
(……あれ? あの子、何やってるんだろう?)
カリアが少し首をかしげて、歩きながら様子をうかがう。
幼い女の子の手には、アメの袋が握られている。頭でっかちのてるてる坊主を逆さにして、首にリボンを結んだような形状だ。やがて赤いリボンはほどけたが、袋の口は何かで接着されているらしい。
(あーあー、顔真っ赤にして頑張っちゃって……開けにくいんだな、手ぇ貸してやるか……)
そう考えたカロンが、ふっと手を伸ばしかけた時だった。
ばっとパステルカラーの真珠玉が散らけたように、袋が破れてアメがばらけた。ころころからん、と音を立て、むき出しのアメはひと粒残らず、綺麗に道ばたに転がった。
呆然とそのありさまを見ていた少女が、大きな声で泣き出した。
(ああ、手ぇ出すのちょっと遅かったか……でもまぁ、こうなったらしょうがないか。この子にあげる代わりの菓子も、今持ち合わせがないからな……)
気まずく頭をかいた後、カロンはそのまま少女の横を通り過ぎる。ぱっと兄から手を離した妹が、そっと少女の手をとった。
「おい、カリア?」
兄の言葉を聞き流し、カリアがアメの破れた包み紙に、柔く優しいキスをした。びっくりした顔の少女が、目をまたたいて泣きやんだ。
「な、なに? おねえちゃん、だれ?」
「ふふ、ただの通りすがりの者さ! ……包み紙、匂いかいでみて?」
(ああ、こいつこのごろ妙なドラマとか観てるから、出だしの台詞が何か変……)
かたわらで引いている兄に気づかず、カリアが少女に話しかけた。
女の子は不思議そうな顔をしつつも、包み紙へと鼻をあてる。そのとたん、鮮烈なほどの甘い香りが漂って、女の子ははしばみ色の目を見はった。
「何これ、すっごく良い匂い! あ、あぁ分かった! これ、オレンジのアメの香りだ!」
ふんふんと再び鼻を押しあてて、少女はもう一度目を見開いた。
(香る香りがさっきと違う!)
少女は何度も包み紙に鼻を押しあて、そのたび嬉しい悲鳴を上げた。
「あ、今度はソーダの匂い! うわぁ、これは苺の香りだ! 信じらんない、今のはミントの香りだわ!!」
可愛らしい感動にほおをほの赤く染め上げて、少女がカリアの顔を見上げる。
「この香りは、おねえちゃんのしわざなの?」
微笑ってうなずくカリアの両手を、少女がひたむきなしぐさでつかんだ。はしばみ色の大きな瞳が、尊敬の念で潤んでいる。
「おねえちゃん、もしかして魔法使い?」
ぷはっと大きく吹き出して、カリアが笑って首を振る。お姉さんらしい優しい声音で、女の子へと話しかけた。
「しばらくは香りが続くと思うから、それで何とかがまんして。次から袋を開ける時は、もう失敗しちゃだめよ?」
少女が両目をきらきらさせて、ぶんぶん首をたてに振る。
「どうもありがとう、おねえちゃんっっ!!」
女の子は山の上からふもとに向かって叫ぶくらいの、ものすごい勢いでお礼を言った。手を振って女の子と別れたカリアが、前を行く兄の腕へと手を伸ばす。
「ねえ、お兄ちゃ……」
ぱしん。
つなごうとした手のひらを軽くはたかれて、カリアが呆然と兄を見上げる。妹の表情に、カロンは一瞬はっとした顔をした。……それから淋しいのと切ないのとが混ざったような顔をして、そっと妹の手を握った。
甘くふくらんでいた気持ちの風船が一気にしぼみ、カリアは黙ってうつむいた。遠慮がちに手を引かれつつ、とぼとぼ兄の後ろへ続く。
(ああ、まただ)
お兄ちゃん、あたしが香りの術を使うと、いつもそういう顔をする。
お兄ちゃん。
お兄ちゃんが、普通の幻術がすごく得意で、香りの術は使わないのは、香りを作るのが苦手だから?
それとも――香りが嫌いだから?
カリアはどんどん思いつめて、どんどん表情を暗くしてゆく。妹の様子をうかがって、カロンがふいに立ち止まる。あやまるようにカリアの頭を撫ぜてやり、また先に立って歩き出した。
「カリア、あのな……」
口の中でつぶやくように言葉にして、そのまま、黙って、口をつぐんだ。




