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欠片の四・真珠と幼子《おさなご》

 丸窓の向こうに、まんまるい月と無数の星が輝いている。


 五歳のカロンをあいだにはさんで、カシュアはいささかたくましくなった腕で、幼い息子に腕まくら……ハニアは可愛い口を開いて『おやすみ前の小さなお話』を語り出す。


「……これは昔、とおーいむかしのお話です。とある国のとある村に、若い夫婦が暮らしていました。夫婦は小さなお家に住んで、小さな畑を耕して、野菜を作って暮らしていました。そうして二人には子どもがいました。お人形遊びの大好きな、可愛い五歳の娘です……」


 ハニアが様子をうかがうと、となりの息子は興味しんしん、はちみつ色の瞳には眠気の「ね」の字も見当たらない。向こうで夫も興味しんしん、ハニアはくすっと微笑んで話の続きを語り出す。


「……娘は夏が始まったばかりの頃に『水遊びがしたい』と言い出し、皆で近くの川遊びに行きました。川にもぐったり小魚を捕ったり、娘は楽しく遊びましたが、水が冷たかったようで、ちょっと()()()()せきをするようになりました」


(あー、来るかな……)という表情を、夫のカシュアがほおに浮かべる。『意外にヘビーな話も語る母』という事実に、幼いカロンはまだ実感が薄いらしく、わくわくと話の続きを待っている。


「……娘はそれから夏風邪をひき、それから風邪が悪化して、数日のうちに嘘みたいに、この世を去ってしまいました。パパもママも、悲しんで悲しんでかなしみました。泣きながら朝ベッドから起き、泣きながら畑を耕して、泣きながら夜ベッドにもぐるありさまでした……」


 カシュアはわりと落ちついて、話の続きを待っている。「このまま沈んだ調子のままで話が終わるはずがない」と、夫はそこまで予期している。でも幼い息子は目にハラハラをいっぱいにして、すがるように母の口もとを見つめている。


「……そんな日々が半年続いたある夜に、お父さんとお母さんの夢の中に、亡くなった娘が出てきました。娘は幼い体に無数の真珠をまとっていました。透ける糸で通された真珠の連なりはレースのようで、娘の体を縛りつけるくさりのようにも見えました……」


 ハニアは小さく息を吸い、つぶやくように語り重ねた。


「――そうして娘は言ったのです。『パパ、ママ、もう泣かないで……二人が泣くと、その涙はみんなこういう真珠になるの。この真珠はひと粒ひと粒がじんわり重くて、もうあたし倒れそうなのよ。もう泣かないで、パパ、ママ……』」


 カシュアが一つうなずいて、半分安心したようにもえ色の目をつむる。ほーっと息を吐いた息子が、わずかに眠気のさした目で、話の続きをねだっている。


「……夢を見たパパとママとは、もう泣くのをやめました。悲しい気持ちは消えないけれど、娘のために涙をこらえて朝起きて、口を結んで畑を耕し、キスを交わして夜はベッドにもぐりました」


 言葉を区切ってふっと目を閉じた母の手を、きゅっと幼い息子が握る。ハニアははちみつ色の目を開き、にこっとって話の続きを語り出す。


「……そうして、パパとママにやがて子どもができました。つきとおの日が満ちて産まれてきた赤ちゃんは、小さな右の手を握っていました。ママがそうっとその手に触れると、赤ちゃんは右の手を開きました。そのぽちゃっとした手の中には、ひと粒の真珠が握られていました」


 言いながら息子の左手をくすぐるようにでてやり、ハニアは甘く語り重ねる。


「その真珠は、何が核になっているのか、ひと粒っきりでも手に持つと妙にじんわり重く……赤ちゃんが美しい娘に成長し、お嫁入りするその時に、小さな絹の袋に入れて、その手に握っていったそうです……」


 話を終えてハニアがカロンの顔をうかがう。……幼い息子は話の展開に安心したのか、もうすうすうと安らかな寝息を立てている。若い夫婦は目を見交わして微笑み合い、そうっとベッドをけ出した。


* * *


 ……その後はカフェインのないルイボスティーで、しばし夫婦のハニータイム。お茶菓子にはハニア手作りの『ほろ雪ナッツ』……砂糖衣をまとったいくらでもつまめるミックスナッツが、夜中にはちょっと罪深い。


 そうしてティーテーブルの上には、お茶の時間には似つかわしくない、『分厚い事典』がのっかっている。


「――いやぁ、しかしお見事だよね! この本の『ほんの数行のあらすじ』から、あんなお話をつむげるなんて! ハニアはストーリーテラーだなぁ!」

「あら、おじいちゃんはもっと見事に、この本からお話を紡いでみせたわよ?」


 手放しのしょうさんをまぜっかえして、ハニアはこくっと小首をかしげて微笑ってみせる。それからそっと分厚い事典……『類型 世界昔話カタログ』に手を触れて、愛おしそうに何度もぜた。


「……私のおばあちゃんは、何にもなしでいくらでもお話をこしらえる人だったけど、おじいちゃんは『夜寝る前のお話』の前に、必ずこの本をめくってね……この一冊きりから、この私が大きくなるまで毎晩違うお話をしてくれたのよ……」


『世界じゅうのお話のあらすじ』がっているこの一冊を、ハニアの祖父はそのまた祖父から受け継いできた。そうしてハニアがカシュアと結婚し、家族・親類だけでささやかな式を挙げたその日に、このカタログをくれたのだ。


『ハニア、やがて産まれてくる子どもに、今度はお前がお話を語ってやりなさい』と。


 その時のことを思い返し、しみじみお茶を飲みながら、ハニアがふっと思い出して吹き出した。


「……ふふ、でもあんまりよねぇ、おじいちゃん! 『良し! もうこれでワシに気がかりはなくなった! ワシはこれからばーちゃんを連れて南国へ移住する! 南国の昆虫を観察、採集、そして研究! 若い頃からの夢だったんじゃあ!!』だものね!」

「まーまー、ハニアのおじいちゃん昆虫学者だし! セカンドライフだよ、たまにこっちに二人して、ひ孫(カロン)の顔見に帰ってくれるし!」


 嬉しそうにうなずいたあと、ハニアがふっと遠い目をして、桃色の口をまるく開いた。


「……お父さんと、お母さんにも、」


 急にしんみりした口調に、カシュアがちょっと驚いて妻の顔をのぞきこむ。いまだ幼げなハニアのほおには、かすかなかげりが浮かんでいる。


「……私の両親にも……カシュアとカロンのこと、今の私を、近くで見ててほしかった……」


 カシュアがふっと黙りこむ。

 ――ハニアの両親は、彼女がまだ幼い頃、バスの事故で亡くなった。ふだんはそんなそぶりをまったく見せないが、ハニアの中には、その記憶がずっと深く沈んでいる。


「……私の両親も、あの時流した私の涙で、今も濡れているのかしら……」


 事典に引っぱられた物思いを、カシュアがあえて明るく笑って否定する。


「いやぁ! きっとさ、ご両親も今頃どっかで生まれ変わってきているよ! ……いや、もしか、もしかしたら、さ……」


 軽く言いかけて思い至り、ふうっとカシュアが真顔になって、子ども部屋の扉を見やる。


 聞こえるはずのないかすかな寝息が、扉ごしにも聴こえる気がして……。ふはっと笑ったカシュアがふるふる首を振り、「いや、ないない!」と自分の発言を打ち消した。


「何だろね、えらいメルヘンな発想だったなぁ! ごめんねハニア、俺らしくもない……!」


 しみじみとした笑顔を見せて、ハニアが「ううん」とかぶりを振る。それから、どこかしんみりした口調で、ささやくようにこう言った。


「……ねえ、あなた。私、もう一人子どもがほしいな。カロンの可愛い妹が……」


 妹……女の子。

 ハニアはこういう時に、子どもの性別にこだわるような人じゃないのに……。


 ああ、俺の言葉は、思った以上にハニアに影響しちゃったんだな……そう気づいたから、カシュアもしみじみ微笑して、優しくやわく、妻の頭へ手を置いた。


「どっちでも良いよ……どっちでもいい……」


 俺と、ハニアの子どもなら。

 そう言って微笑う夫の腕に、甘えるようにしなだれかかり、ハニアは「もう、寝ましょうか」と天使のような笑みを浮かべた。


* * *


 ……そうして、それから一週間後。

 カシュアとカロンが病院の待合室で、ハニアの戻るのを待っていた。


「いいかぁ、カロン? カロンはな、もうじきお兄ちゃんになるかもしれないんだぞぉ?」

「おにーちゃん! 弟が来るの? 妹が来るのっ!?」

「産まれるまでは分かりません! どっちでも良いんだ、俺とハニアの子どもだもんな、そりゃーもう天使みたいな! そう、カロン、お前みたいなっ!!」

「もぉ、あなた! そんな人前で恥ずかしい!」


 いつの間にかすぐそばにいたハニアに向かい、カシュアががぶり寄るように……その後すぐに気づかうように身を引いて、恐るおそる問いかける。


「ハニア! ……ど、どうだった?」

「うん。……三か月だって」

「うぉおおお!! ばんざーいっ!!」

「ねーねーパパどーしたのー? ママー、何が三か月ー??」


 あんまりにも『病院内ではお静かに』を破る親子のやりとりに、めでたいので誰もめくじらを立てないままだ。そのツッコミの代わりのように、壁かけの小鳥時計のからくりが『ピーヨ! ピーヨ!!』と午後の二時をお知らせして……、


「小鳥さん! びょーいんでは、おしずかに!!」

というカロンの今さらのご注意に、待合室の皆がそろって()()()と吹き出した。

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