『魔王』 2
光が差し込んだのは、そんな時だった。朦朧とする心に、響く音があった。空いていた隣の部屋に誰かが入ったらしい。
泉サキはこれが泉サキを救う最後のチャンスだと思った。
救う? いや違う。このまま部屋の中で魔王に喰われ、ジブンの意識が世界から消えてしまう、それだけは嫌だった。盲目的に拒否したかった。だから、結末が避けられなくても、せめて中断させたかった。泉サキは、『魔王』に憑かれるような歪な人格のジブンでも、愛おしかった……のだろう。もしかしたら、それこそが、『魔王』が舌なめずりする歪な部分の中核なのだろう。
あと半日、いや数時間遅ければ、完全に動かないかもしれない。今だ。今しかない……! 泉サキは、一心不乱に立ち上がり、ドアに向かってカラダを動かした。部屋の真ん中からドアまでの歩行。一生でいちばんつらい運動だった。すでに気力とカラダの主導権は『魔王』に移っていた。
『魔王』という現象は、針のような抉りと、隕鉄のような重みだ。気力と体力の根っこから抑えて、泉サキを寸分も、動かぬようにする。既にジブンのものではないようなココロとカラダを動かすした時の、不気味な、鈍重な、抵抗。不自由そのものだ、このニンゲンは。吐き気とむかつきがした。嵐のような立ちくらみ。脳みそは、搾られるグレープフルーツのよう、飛び散っている気分だ。
泉サキの人生は、今が最悪の弱り目。隣に来た神は、人を蹴落として生きる、有害な奴かもしれない。弱った人間に恩を着せ、何倍の返礼を要求する、根っからの商売人かもしれない。
それでも構うものか。弱り目に祟り目など、呼吸レベルで味わっている。どんな人間よりも悪辣で狡猾な『魔王』に取り憑かれている。もう、これ以下はないんだ!
ドアを開けて、引込完と対面した時、「助かったかもしれない」と、なぜか感じたのだ。
知る由もなかったが、ちょうどその時、引込完もまた、泉サキに浅からぬ縁を感じていたように。
それは、神どうしの感応としか説明できないものであった。泉サキのあまりの悲痛さが何かを伝えたのかもしれない。あるいは引込完の有り余る天与の才が、当然に隣人に感応したものかもしれない。
結論から言えば、アマネと名乗った少女は、泉サキを闇から引き上げる力を持っていた。
彼女と居ると、この世界を「ふつうの景色」だと認識することができた。今までは闇の黒と、苦痛や憎しみの赤と、不毛の灰色で覆われていた世界の景色が、「ふつう」に変わった。アマネは泉サキに憑り付いている『魔王』をキャンセルする力があるようだった。
だが、アマネと離れると、またごく当たり前に、『魔王』はせり上がって来た。すると泉サキはふたたび、自分からは部屋の床から動けない一個の物体になってしまうのだ。だから泉サキはアマネが部屋に来てくれるのを待つしかなかった。もちろん「来て」とは言えなかった。
アマネのお茶を飲んでいる時は、泉サキは普通の人間の気分を――遥か昔の気持ちを――思い出すことができた。泉サキは、隣人同士がしばらく会話しただけで何か特別な奇跡が発動し、お互いのことが世界で最も愛おしくなる、小説的なご都合主義は信じない。そんな仕掛けがあれば世界平和が実現していないとおかしい。世界はたくさんの隣人だけで作られているのだから。
しかしここは《創舎》だ。つまり、一緒に居ると闇の勢力が減退していくのは、神の能力なのだ。アマネは活力を充填するような能力を発露しているのだと予想できた。
こうして、アマネが隣に居るようになったことで、『魔王』の侵食が、停まった。
泉サキは、「能力が定着する期限」までは、居られるようになった。しかし、それだけにすぎない。『魔王』を御せないかぎり、独りの引き込もりにすぎない。『魔王』の能力を定着させるすべは全くない。期限が来たら黙って去るだけ。それだけの、どうでもいいゴミだ。
だがICからの通達により、期限が二日ほど早まったことが分かった。それはよくあることだ。アマネのせいではない。『魔王』の力が予想以上に侵食していたのだ。
〈私は『魔王』に長く憑かれすぎた〉
泉サキは思う。心から呟く台詞も、厨二懸かってくる。まるでラノベの登場人物だ。ラノベを知ったのは、こちらに来てからだ。泉サキを気にかけた闇のルートヴィヒが押し付けるように貸して行った。もちろん闇のルートヴィヒは「心配している」とは言わない。「要らない書籍を捨てるよりはお前の部屋に置いて行くだけだ」と言っていた。ところで、人づてに聴いたところ、闇のルートヴィヒの部屋の本棚にはラノベが二十冊ほどあり、読むに値するその二十冊を残すためには部屋一つ分のラノベを読み捨てていたという。貸されたラノベは、暇潰しにはなった。泉サキがラノベと違うのは、自身が能力者になれないことである。ライトなニンゲンのままだった。物語と溶け合っているような、《創舎》というお誂え向きの舞台に来ていながら、ジブンだけは物語の登場人物にはなれなかった。馬鹿の見本。本当に弩級の馬鹿だ。
〈いかにも私らしい〉
これはよくあることだ。月並な悲劇というものだ。物語という構成美にまで高まることがない悲劇。誰からも共感もされず祝福もされず死んでいく。死の無駄遣い。自分一人が世界から振るい落とされるだけの顛末。普通のニンゲンのレベルの悲劇。
ジブンは、悲劇にさえ見捨てられている。だから悲しく、ない。悲しさに深みが足りない。あまりに決定的に足りない。
ジブン一人が死ぬだけ。《創舎》にとって要らないニンゲンが死ぬだけ。どこに意味があるだろう。悲しめる深みがあろう。山奥の滝壷のような深みが無い。通り雨が残した水溜りのような濁りと浅さだ。せっかくの死なのに、悲しむ気にもならないところが、まったくやるせない。いや、もったいない。
――そろそろカラダを起こすとしようか。今日はアマネと[都市]へ出掛ける日だった。[シンジュク]も見納めだろう。ついでに《本舎》も見ておくとしようか。どうでもいいけれど。




