野良犬と山猿
関係は悪化の一途を辿っている。
そんな、南北に分かれた大昔の半島国家の形容がピッタリになるほど、ヨロズの第1層、駅からほど近い雑居ビルに紛れた波崎探偵事務所に到着した時雨と大和の間には、昼下がりの爽やかさを吹き飛ばす険悪な空気が漂っていた。
「・・・」
お互いに、事務所を前にして無言。何があったのか、顔中にひっかき傷と全身に打撲を負った、野良犬より汚い風体の時雨が、舌うちしかねないほどさも嫌そうに目と口端を歪め、これまた態度悪く顎で大和に入るよう指示する。
「・・・」
対して、何があったのか、ポニーテールに結わえられて整えられていたはずの黒髪を無惨に振り乱し、スカートと袖の端がところどころ擦り切れた大和は、時雨に振り返りもせずにさっさと長方形をした2階建て、灰色のコンクリ事務所に向かう。鼻づらに苛立ちのシワを寄せながら、時雨も大和を追って事務所の側面、2階に繋がる階段を上がる。
はずだった。
20分後。
階段から3度大和の足払いで転落し、代わりに〔正しい手順で触れ、回さないと全身の毛穴からカメムシやゴキブリなどが溢れる〕と嘯いて、少女が10分にわたる〔正しい手順たる奇怪なへそ踊り〕を実行して封印を解いた普通のドアノブを回し、扉を開いた時雨の前には濃い紫煙の霧があった。
調度品の一切が段ボールか木箱に詰められた室内では、部屋の中央で2人の喫煙者が折りたたみのテーブルを挟んで木箱に座り、呆れた顔でこちらを見ていた。片方は見知った顔、もう片方は知らない顔だと、時雨は無言で確認する。
時雨の見知った特徴のない、曖昧そのものといった中年男が、首筋までかかるワカメのようにうねった灰色の髪をポリポリと掻く。ヨレたグレーのスーツと白いYシャツ姿の中年は、咥えタバコのまま器用に問いを放つ。
「あの、時雨くん?いや、さっき階段でドタンバタンやってるのは聞こえてたけれど、君、依頼者とまあまあ何か・・・?」
次いで、時雨の知らない顔、炎のように濃いオレンジの髪を逆立てた大柄な青年、黒革のコートと同色のベスト、戦闘用ブーツを飄然と纏った男が、咥えていたタバコを口から離して時雨の右側に立つ大和に声をかける。
「お前、大和?どう、したんだ?せっかち過ぎて、連絡のつかなかった波崎氏の弟子、天出雲くんを勝手に迎えに行ったのはわかってるけど、それ・・・」
時雨と大和は、お互いの関係者からかけられた言葉に互いを睨むように見る。時雨も大和も買ったばかりの服を埃と擦り傷だらけにしており、髪は乱れ、時雨の額からは血、大和の口からは怒りによる荒い呼吸が紫煙の霧を撹拌している。
そして、
「問題ありません、波崎所長。ただ、猿が3歩で記憶を失うため、その都度指導が必要でした」
「何でもないのだ全獅。駄犬がなかなかトイレを覚えず、拭き取るのに時間がかかっただけだ」
時雨と大和は、視線を逸らしてそう言った。答えを返された灰色の中年男、波崎和馬と、オレンジ頭の東全獅が顔を見合わせる。2人の男が同時に聞いた。
「「つまり2人は仲良し?」」
そして、
「違います」
と食い気味に即答した時雨の右足の甲を、大和のヒールが踏み抜き、
「さあ、本題に入ろう」
黒の少女は平然と、悶絶する時雨を置き去りにして粗末な応接椅子たる木箱へ向かった。