第36話:禁書の解読と、誘惑の微笑み
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### 第36話:禁書の解読と、誘惑の微笑み
ドスン……ッ!!
血と酸の匂いが染み付いた地下水道から戻ったダインが、暗殺者ギルドの円形部屋のデスクの上に投げ出したのは、緑色の粘液を垂らす巨大なヒュドラの首だった。
まだ微かにピクピクと痙攣している巨首を前に、部屋を監視していた黒衣の刺客たちが一斉にざわつき、ジゼルは仮面の下で紫の瞳を限界まで見開いた。
「……まさか、本当にたった二人で『腐食の蛇竜』を仕留めてくるとはね……。しかも、討伐までにかけた時間は僅か3時間といったところかい?」
不気味な合成音が、僅かに震えている。
「約束通り、首は持ってきた。……これで俺たちの『実績』としては十分だろう」
ダインが腕を組み、低く太い声で告げると、ジゼルは大きくため息をつき、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「十分すぎるさ、大将。……我がギルドの精鋭たちが束になっても歯が立たなかった怪物をこうもあっさりと……。貴方たちの実力、確かに見せてもらったよ」
ジゼルはデスクの横を通り過ぎ、ダインの目の前まで歩み寄ると、すっと手を伸ばして自身の仮面を脱ぎ捨てた。
「——約束通り、極上の夜楽しみながら話そうじゃないか」
そこに現れたのは、息を呑むほどに妖艶で美しい絶世の美女の素顔だった。
紫色の瞳が妖しく光り、桃色の唇から甘美な吐息が漏れ出る。サキュバスの血を引く彼女が素顔を晒したことで、部屋の中に甘い蜜のようなフェロモンが充満した。
「わたくしの名はジゼル。この娼館『黒猫の囁き』のNo.1にして、暗殺者ギルドの幹部さ。……改めましてよろしく、強い男の人♡」
ジゼルは豊満な胸元をダインの腕に押し付けるように寄り添い、耳元で甘く囁いた。
サキュバス特有の「精神を溶かすような魅惑の波動」がダインを包み込む。
(う、おっ……!? これが本物のサキュバスの……!?)
山田の頭が瞬時にドギマギとし、鼻血が出そうなほどの破壊力に一瞬意識が飛びかけた——**その時。**
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
「……ダイン様から離れていただけますか? 次にその脂肪の塊を触れたら、切り落とします」
ダインの背後から、氷点下100度を越えるような冷酷な声が響いた。
振り返ると、リノがボウガンをジゼルの眉間にピタリと突きつけていた。瞳からは光が完全に消え失せ、全身から「絶対に殺す」という漆黒のヤンデレオーラが激しく吹き出している。
「おや……相変わらず恐ろしいお供だこと。あたしゃこれでも殺し屋組織の幹部だよ?……ふふ、分かったよ。冗談さ」
ジゼルはサッと両手を挙げてダインから離れると、クスリと艶やかに笑った。
(恐ろしい小娘だ……サキュバスの魅惑を完全に精神力で跳ね返して、本気の殺気を向けてくるなんてね……。だけど、これ以上刺激するのはやめておこう)
ジゼルは衣服を整えると、真面目な顔つきに戻って部屋の奥にある重厚な鉄扉を指差した。
「約束通り、最深禁書庫へ案内しよう。……貴方の背中に宿る『龍毒』を癒す手がかりが、そこにある」
◇
重苦しい音を立てて開いた禁書庫。
そこには、数百年前に失われた古代語で書かれた魔導書や羊皮紙が、整然と並べられていた。
ジゼルが書棚の奥から一冊の古びた黒革の書物を取り出し、デスクの上で広げる。
「貴方の背中に刻まれた紋様……それは間違いなく『古代龍』の呪縛紋だ。本来なら人間はおろか、上位の魔物であっても全身の肉が腐り落ちて死に至るか、あるいは毒に耐えられてもいずれは龍そのものとなってしまう。」
ジゼルは指先で書物の記述をなぞりながら続けた。
「だが、貴方は『暴食』の力によってそれを体内に留め、抗い続けている……。この書物によれば、龍毒を完全に『害』ではなく『己の力』として完全順応させる、あるいは解毒するための方法が一つだけ存在する」
「……その方法とは何だ?」
ダインが身を乗り出すと、ジゼルは紫の瞳を静かにダインに向けた。
「自由都市メルカティのさらに北……霊峰ヴァルザードの頂に眠るという【極光の聖水】。そして、その地を守護する『世界樹の雫』を入手することだ」
「【極光の聖水】と【世界樹の雫】……」
「そうだ。龍毒という強大な神の如き呪いを和らげ、完全なる血肉に変えるための『中和剤』となり得る存在は、この世界にそれしか存在しない」
ダインは己の右腕——先ほどの戦闘で黄金色に輝いた『龍毒の紋様』を見つめた。
ただの病や毒ではない。この力を抑え込み、真に自分のものとするための道筋標が、ついに見えたのだ。
「霊峰ヴァルザードか……分かった。次に向かうべき場所が決まったな」
「ふふ、急ぐといいよ。……だが、霊峰へ向かう前には、この自由都市メルカティを牛耳る『裏の支配者』との接触も避けては通れないだろうがね……」
「『裏の支配者』…?」
「なぜ支配者と会う必要があるのか……かね?」
ジゼルは煙管から紫煙をくゆらせ、地図の一点を細い指で指し示した。
「霊峰ヴァルザードへと続く唯一の関門……そこを守る極大結界の『鍵』を握っているのが、メルカティの裏の支配者『ファミリー』のトップだからさ。……そして何より、あの男はお前さんの持つ『龍の呪い』の価値を、誰よりも理解している」
「……俺を利用する気か?」
「利用されるか、逆に喰らい尽くすか……。あの街の陰謀の渦に飛び込む覚悟があるなら、紹介状を書いてあげてもいいよ?」
「人間共の社会は面倒事が多すぎるな…」
ジゼルは意味深に微笑むと、ダインに向かって静かに一礼した。
「ようこそ、死と欲望が渦巻く自由貿易都市メルカティへ。……ダイン、貴方の戦いはまだ始まったばかりさ」
背中の呪いを解くための旅。
次なる目的地『霊峰ヴァルザード』と、自由都市メルカティの深淵へ向かって、ダインとリノの新たな冒険が動き出そうとしていた。




