第25話:精鋭の進軍
---
### 第25話:精鋭の進軍
「——総員、傾注!」
ヒューバートの重々しい声が、静まり返ったキャンプ地に響き渡った。
目の前に広がるのは、竜鱗鎧ごと引き千切られた黒龍騎士団の凄惨な遺留品。ゴルドの顔から余裕の笑みが消え、ヴィンセントの手の震えは止まらず、キリアンは影の中からただ不吉な殺気を感じ取っている。
現場の空気は、完全に冷え切っていた。
「Bランク、Cランクの者はこれより捜索任務を解除する! 負傷者の搬送および、森の外周を大きく迂回してガルバ村へと撤退せよ。これは命令だ!」
その言葉に、低等級の冒険者たちから安堵と困惑の混ざったざわめきが上がった。
「し、しかしヒューバート様! 戦力を削るなど……!」
「黙れ!」
ヒューバートの怒号が落雷のように落ちる。
「見ただろう! あの黒龍騎士団が手も足も出ずに全滅したんだぞ! これより先は『戦術』も『数』も意味をなさない死地だ! 足手ま徒を連れて行けば、全滅の未来しか残らん!」
ヒューバートの冷徹かつ合理的な判断に、反論できる者はいなかった。
そしてヒューバートは、後方に控えていた各部隊の精鋭たちへ鋭い視線を向けた。
「……バルド。そして第一から第四隊に所属するAランク冒険者9名、前へ」
指名された9名のAランク冒険者——数々の死線を潜り抜け、冒険者ギルドでも
その実力を認めれた精鋭しか存在しないはずの猛者たちが、緊張した面持ちで一歩前に出た。
「お前たち10名のAランクと、我々Sランク4名。計14名で『秘境討伐隊』を再編成する。……バルド、お前には恐怖を強いることになるが、奴の姿と足取りを直接知る者として案内を頼みたい。受け入れてくれるか?」
「ひっ……あ、あぁ……っ! わかりました……っ! 案内くらいなら……っ!」
泡を吹きそうになりながら頷くバルドを囲むように、9名のAランク冒険者たちもまた、重い覚悟を秘めて武器を握りしめた。本来であれば一国を滅ぼしかねない魔物を討伐するための、人類最高峰の精鋭部隊。
大人数の捜索隊は即座に解体され、低等級の部隊が迂回路へと撤退を開始する中、十四名の精鋭は秘境の最奥——1年中魔素を含んだ濃霧が立ち込める『迷いの谷』の入口へと足を踏み入れようとしていた。
◇
谷の中に一歩立ち入った瞬間、世界が一変した。
視界を遮るねっとりとした濃く白い濃霧。肌を刺すのは、吸うだけで脳が麻痺しそうな錯覚を覚える濃密な魔素だ。
さらに、霧の奥からは正体不明の蠢く音、正気を削るような怨嗟の声が木霊している。
普通の人間であれば、ものの数分で正気を失い、迷子になって魔物の餌食となる悪夢の環境。
「……フン、不快な霧ですな」
ヴィンセントが懐から古びた羊皮紙を取り出し、素早く呪文を詠唱する。
『古代語呪文——【視界相殺・真視の領域】』
瞬時に展開された半透明の魔力障壁が、十四名の隊を包み込むように広がる。周囲の濃霧がカサカサと音を立てて弾かれ、半径十メートルの視界が確保された。
長年、世界各地の古代遺跡や異界のダンジョンを走破してきた賢者の知識と経験が、過酷な環境を力技でねじ伏せる。
「キリアン、状況は?」
ヒューバートが大盾を前に構え、低い声で問う。
「……左手、地中に巨大な振動。地底ワームだ。……前方、霧の奥に精神を食うレイスの群れ。右手には……人外の奇面種が潜んでいる」
キリアンはアサシンとしての気配遮断をパーティ全体に薄く伝播させつつ、スカウトとしての超感覚で周囲の脅威を過不足なく読み解いていた。
「歩行の衝撃は俺の気配遮断で殺している。後ろのAランク共も、流石に足音の殺し方は完璧だ。下手に刺激しなければ一斉に襲いかかってくることはない」
「ハッ、上等だ!」
ゴルドが斧の柄を固く握り締め、牙を剥く。
「ワームが地中から這い出てきたら、俺たち前衛で頭蓋ごと叩き割り込んでやる! レイスなんざヴィンセントの浄化で一コロだろ!」
「……ですが、妙ですな」
ヴィンセントが魔導書をめくりながら、眉をひそめた。
「何がだ、ヴィンセント?」
「……これだけの魔力と知覚に長けた魔物どもが蔓延っているというのに、奴らは『我々を攻撃してこない』。それどころか……」
ヴィンセントの指摘に、キリアンが息を呑んだ。
「……逃げている」
「なに?」
「谷の奥から……こちら(入口)に向かって、魔物たちが必死に逃げ出してきている。俺たちの気配を察知して隠れているんじゃない……『谷の奥にいる何か』に怯えて、身を潜めているんだ」
Sランク冒険者たち、そして控える9名のAランク冒険者たちの背筋に、冷たい汗が伝った。
1年中魔素が吹き荒れ、人外の化け物やレイスが跋扈するはずの迷いの谷。
そこは今や、魔物たちにとっても「地獄」へと変貌していたのだ。
「……おい、見ろ……あれを」
バルドが引きつった指で、谷の中腹を指さした。
一同が視線を向けると、そこには絶句するような光景が広がっていた。
谷の激しい段差と巨石群を切り裂くように、一本の『直線』が伸びていたのだ。
巨大な地底ワームの巨躯が、まるで押し潰された粘土のように途中で圧殺され、地面にめり込んでいる。
谷を塞ぐほどの巨岩が、粉々に砕け散って左右に吹き飛んでいる。
さらに、霧を巻き散らしていた魔素の噴出孔すら、強烈な物理的衝撃波によって叩き潰されていた。
「……迂回も……隠蔽もしていない……」
キリアンが震える声で呟く。
「道がないなら……力任せに打ち砕いて……一直線に突き進んでいる……。谷の地形そのものを……踏み荒らして……っ」
「計算不能……計算不能……!」
ヴィンセントの魔導書がカチカチと狂ったようにページを捲り直す。
「迷いの谷の過酷な環境を、魔法も技術も使わず……ただの『暴力』で一直線の街道に変えただと……!? このような現象、理論上存在し得るはずがない……っ!」
自慢の巨斧を構えていたゴルドの手が、微かに震えていた。
後ろに控える9名のAランク冒険者たちも、あまりの惨状に息を呑み、血の気を引きわせている。
一国を傾けるレベルの最高戦力(Sランク4名+Aランク10名)が集結してなお、眼前に残された「たった一人の足跡」に圧迫されているのだ。
彼らが「精霊術士の助けもなく、命がけの隠密と老齢で円熟した賢者と呼ばれる魔導士の古代魔法」で進んでいる難所を、
向こうは「ルシェラの精霊案内で正しく歩きつつ、邪魔な魔物を山田が素手で片付けながらお散歩感覚で進んでいる」
という事実を、
人類最高峰の精鋭を自負する者たちは知る由もなく圧倒されていた。
「……あいつだ」
バルドが頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「あいつが……あの魔人が、ここを通ったんだぁぁぁっ!!」
ヒューバートは大盾を強く握り締め、奥歯を噛み締めながら谷の先を見据えた。
「……追うぞ」
ヒューバートの重い声が響く。
「奴の残した『惨劇の爪痕』を辿れば……迷うことはない。いくぞ、人類の誇りをかけて……っ!」
十四名の精鋭たちは、山田が切り拓いた歪な一本道を辿り、谷の中腹へと向かって進軍を開始するのだった。




