第37-1話 最後の演習(1)
大講堂が、埋まっていた。
統学院第四学年。
卒業まで、もう一年もない。
一学年は千人を超える。これだけの同期が同じ場所に集まる機会は、入学式以来ほとんどなかった。
普段は専攻も授業も違う。軍務を志望する者、財務院を目指す者、地方行政へ進みたい者。商務、司法、外交、教育、魔法技術。
四年近く同じ学院にいても、顔を知らない同期の方が多い。
その全員が、今日は同じ方向を向いて座っていた。
*
「多いな」
ガイウスが言った。
「何が?」
エリアスが聞く。
「人」
「千人くらいいるからね」
「そういう意味じゃない」
ガイウスが顎を動かした。
講堂後方。
学生席とは別に、臨時の席が設けられている。
中央軍の制服。王国官吏の官服。徽章を見れば、財務院、商務院、内務関係。そのほか、エリアスには所属の分からない者もいる。
若い者は少ない。
リオネルが振り返りかけ、ヒルデガルドに袖を引かれた。
「見すぎ」
「向こうは俺たちを見に来てるんだろ?」
「だからって、こっちからじろじろ見なくていいの」
「理不尽だな」
マリエッタは最初から後ろを見ていなかった。
背筋を伸ばして座っている。
エリアスはそれを見る。
少し考えて、自分も背を伸ばした。
ヒルデガルドが横目で見た。
「何?」
「いや」
「何か言いたそうだけど」
「マリエッタが姿勢を直してるから、そうした方がいいのかなって」
「あなたね」
小さくため息をつく。
「そういう判断を、もう少し自分でしなさい」
*
壇上へ学院長が上がった。
ざわめきが止まる。
「諸君」
大講堂に声が通った。
「本日より、最終総合演習を開始する」
空気が変わった。
*
誰もが知っていた。
一年次の行軍演習から始まり、二年次、三年次にも規模と条件を変えた野外演習を経験してきた。
そして第四学年前半の最後。
これが、統学院で受ける最後の大規模演習になる。
ただ、その内容までは知らされていなかった。
学院長は続ける。
「今回の演習には、第四学年の全員が参加する」
軍務志望者たちの間で、わずかに動きがあった。
千人。
それだけの人数で、何をするのか。
「勘違いするな」
学院長が言った。
「千人で戦争をするわけではない」
少し笑いが起きた。
「軍を動かす者がいれば、それを支える者がいる」
壇上の魔導投影盤に役割が表示された。
対抗演習、演習統制、通信、実物資輸送、宿営、医療、衛生、施設、会計、調達、地域行政との連絡、記録、安全管理、魔法設備運用。
「今回、諸君が運営するのは――軍事演習そのものだ」
講堂が静かになる。
「教官は統制と安全管理を行う。だが、可能な限り実務には介入しない」
学院長が講堂後方を見る。
「そして、後方にいらっしゃる方々は、対抗演習の勝敗だけを見に来られたわけではない」
それだけだった。
誰が、何を評価するのか。
説明はない。
*
エリアスが小声で言った。
「なるほど」
「何?」
ヒルデガルドが聞く。
「全員、試験なんだ」
マリエッタが頷いた。
「そういうことですね」
「俺は戦う方がいい」
ガイウスが言う。
「お前に会計をやらせるより国家のためだな」
リオネル。
「どういう意味だ」
*
学院長と入れ替わり、担当教官が壇上へ出た。
「対抗演習について説明する」
大きな地図が掲げられる。
中央を河川が流れ、三本の橋が架かっている。西に森林、東に丘陵、中央には街道。集落が点在し、南西には河港と農地が広がっていた。
エリアスの目は河川を追った。
マリエッタは街道を見る。
ヒルデガルドは丘陵。
リオネルは森林。
そしてガイウスは、地図全体を見た。
「広いな」
「そこ?」
ヒルデガルドが聞く。
「広いだろ」
「そうね」
*
「対抗演習要員は二百八名」
教官が言った。
「青軍、白軍に分かれる」
約千人のうち、およそ五人に一人。
「両軍の基準兵力は、それぞれ二千六百名相当」
今度は軍務志望者だけでなく、講堂のあちこちから声が上がった。
学生二百人余りで、五千人以上。
もっとも、仕組み自体は初めてではない。
壇上横に淡い光が生まれた。
半透明の人影が一人。
また一人。
軍装をまとった精霊兵が列を作る。
その横には中央軍の下士官。頭上には、小さな管理精霊が浮かんでいた。
「各部隊には、中央軍より実務担当者を配置する。学生指揮官の命令を、実際の兵員集団に可能な行動として精霊兵へ反映する」
下士官が手を動かした。
密集していた精霊兵が横へ広がる。
頭上の管理精霊から投射される淡い光も、それに合わせて広がった。
部隊の占有範囲、密度、まとまり。
遠目でも分かる。
「下士官は諸君の参謀ではない。作戦上の助言は行わない」
学生の一人が手を挙げた。
「実行不可能な命令の場合は?」
「実行できない」
「無理に実行させた場合は?」
「可能な範囲で実行し、相応の結果が生じる」
別の学生が尋ねる。
「例えば?」
教官は壇上横の下士官を見る。
下士官が答えた。
「休ませずに走れと命令されれば、走れるところまで走らせます」
少し笑いが起きた。
「その後は?」
「使い物にならなくなります」
今度は笑いが少なかった。
*
地形、疲労、食料、魔力、装備、隊形、通信、指揮状態。
それらはすべて精霊兵の挙動へ反映される。
魔法攻撃も実際に行う。ただし、その効果は精霊兵の損耗として処理される。
条件が整えば、学生指揮官同士の直接交戦も認められる。
ガイウスが少し前へ身を乗り出した。
「嬉しそうだな」
リオネルが言う。
「そりゃな」
「子供」
ヒルデガルド。
ガイウスが振り返る。
「ヒルデガルドも出るなら剣を持つだろ」
「必要なら」
「同じじゃないか」
「違うわよ」
*
「勝利条件は単一ではない」
教官が続けた。
地図の各所へ印がついていく。
橋、集落、河港、街道、丘陵。
「地域確保、交通路維持、指定拠点、残存戦力、敵への損耗、継戦能力。そして、演習中に追加される戦略目標」
最後の言葉で、エリアスが顔を上げた。
ヒルデガルドも、ほぼ同時だった。
一瞬だけ目が合う。
「何?」
リオネルが聞く。
「いや」
エリアス。
「いつものね」
ヒルデガルド。
「たぶん」
「何が?」
ガイウスが聞いた。
二人とも答えなかった。
*
「学生本部には紙地図を支給する」
教官が言った。
「以上だ」
一瞬、意味が分からなかった者もいた。
やがて手が挙がる。
「部隊位置の自動表示は?」
「ない」
「敵軍は?」
「偵察しろ」
「友軍の状態は?」
「報告を受けろ」
「通信が切れた場合は?」
「切れる前に考えておけ」
「それでも切れた場合は?」
教官は質問した学生を見る。
「分からなくなる」
講堂が静かになった。
*
講堂後方。
中央軍の将官が、隣の学院教官へ小さく尋ねた。
「学生には紙だけか」
「はい」
「観戦所は?」
「予定通りです」
「了解した」
それだけ。
近くに座る官吏にも、それ以上は聞こえなかった。




