【第1部】亡霊の混迷:手探りの犯罪インフラ(2024-2026) 第1章:闇バイトの崩壊(2) 偽りのセーフティネット
「カタリスト」(仮名)が、プライベートジェットで日本を脱出した頃、対抗組織による事件が密かに進行中だった。
その夜、都内の私立大学に通う宮坂拓海(みやさか たくみ・20)は、六畳一間のアパートで頭を抱えていた。
スマートフォンの画面に表示されているのは、奨学金の振込通知と、後期授業料の督促状。そして、コンビニのバイト給与明細だ。時給千二百円。週に四日、限界までシフトを入れたところで、家賃と食費を払えば手元には数千円しか残らない。親には頼れなかった。実家の父親は二年前に脳梗塞で倒れ、現在の生活は母親のパート収入だけでギリギリだった。
「あと五万……いや、十万あれば……」
拓海は深くため息をつき、逃げるようにSNSを開いた。タイムラインには、華やかなキャンパスライフを送る同世代の投稿が流れていく。その中に、拓海が数ヶ月前からフォローしている有名インフルエンサー『ハルト』の投稿が流れてきた。フォロワー数三十万人。都内の高級タワマンに住み、若くして投資で成功したという彼の言葉は、拓海のような若者にとっての憧れだった。
そのハルトが、珍しく「求人」に関する投稿をしていた。
『【急募】業務拡大につき、在宅でのデータ入力・事務アシスタント募集。未経験歓迎、時給換算三千円以上可。ホワイト案件です。DMまで』
「ハルトさんが出してる募集なら……」
普段なら「高収入」という文字を見ただけで警戒する拓海だったが、長年見届けてきた憧れのアカウントからの発信という事実が、彼の防壁を融解させた。まさか、そのアカウントが数日前にトクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)によって大金で買い取られた「罠」だとは、夢にも思わなかった。
拓海は吸い寄せられるようにDMを送った。
数分もしないうちに、丁寧な日本語で返信が届いた。
『ご連絡ありがとうございます。まずは簡単な業務適性チェックと、本人確認を行わせていただきます。防犯および給与振り込みの観点から、マイナンバーカード表面の画像と、ご自身の顔が一緒に写った自撮り写真をお送りください』
一瞬、躊躇した。しかし、相手は「最近はリモートワークのコンプライアンスが厳しいので、バックレ防止のために全スタッフにお願いしています。もちろん厳重に管理します」と、もっともらしい理由を付け加えた。
拓海は画面の指示に従い、自分の顔とマイナンバーカードの写真を撮影し、送信した。
さらに、緊急連絡先として、実家の住所と母親の携帯番号も入力した。
「これで、少しは楽になれる」
画面の向こうで、冷酷な蜘蛛の糸が自分の首に絡みついたことにも気づかず、拓海は安堵の息を漏らした。それが、底なしの地獄への第一歩だった。
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