21. 残念でした
昨日天贖に「フェロモン男」と言い捨て、夜寝る時は清々として爽快だった。しかし、朝起きて現実を考えると、また天贖に会わねばならず、非常に億劫だった。
「フェロモン男とご飯食べたくない……」
夏掛けの中でもがいて、このままここから出たくないと思った。寝室にある小さな嵌め殺しの窓から朝の陽気が届いてくる。日向ぼっこもできて一石二鳥ではないかと納得させて仰向けになる。しかし、また寝坊しているだろう太智を起こして食事をさせないといけない。これはこの屋敷での自分の大切な仕事だ。
「起きよ……」
のろのろと起き上がり、布団を畳んで押入れに入れる。その後、立ち尽くした。服を決めるのが面倒くさい。
「もうこのままでいいや。失礼とかもう考えない、ほんともうどうでもいい」
寝衣のまま、太智の部屋に行き、襖越しにまた声をかけた。返事がないので襖を開け放し、太智の腕を引っ張った。今日は太智が夏掛けを握っていないので引きずるのは楽だ。
西棟小広間の障子の前で、容は太智の腕を持ったまま、既にいるだろう天贖に向かって挨拶をした。
「おはようございます。入ります」
毎回そうしているように、障子を全開にし、太智を引きずっていく。太智はまた朝ご飯の匂いで起き、慌てて席につく。容もそうすると、すぐ右前にいる天贖が、絶句したのがわかった。
「容、寝巻のままだぞ」
天贖は目を合わさずにそう言った。昨日も寝衣姿で縁側にいたのだから、それくらい咎められても問題ない。返事のない容に対し、天贖はちらりとこちらを見た。
「容」
「何でしょう」
「せめてもっと前を合わせろ」
そう言われて自分の姿を見るが、特に寝乱れてはいないし胸も見えておらず、それほど前が開いているわけではない。しかし、昨日よりは緩んでいる気がする。どちらにせよ天贖は気にし過ぎだ。
「そんなのどうでもいいでしょう」
「男衆には目の毒だ」
「はあ、わかりました。天贖様でも目の毒とか何とか考えるんですね」
眠い頭でわからなかったが、夜はいいが、女衆が働いている朝の時間帯で、寝間着で歩いていい屋敷ではなかったと反省する。今後はせめて被るだけのワンピースにするなど、起き抜けで面倒でも着られるものを選ぼうと決めた。
寝ぼけ眼だった太智が、剣呑な2人の様子に目を泳がせている。これ以上は可哀そうだ。容は天贖の言う通り前を深く合わせ直すと、いつもの通り笑顔になった。
「……昨日のこと、怒らないんですか?」
「怒ってはいない。驚きはしたが」
「ならいいんです」
溜息で笑うと、天贖と目が合った。天贖の顔が少し赤いのは気のせいか。
不思議だ。この男のことは、嫌いなのだと思っていたが、どうしても嫌いにはなりきれないらしい。硬い態度の中に時折見せる人間らしい喜怒哀楽が、それが容へ向けられたものではなくても、頭から離れない。
賢明にも口を挟まない太智が容に視線を送ってくる。
「大丈夫だよ。さ、食べよう」
3人で声を合わす。
「「「いただきます」」」
天贖は居心地が悪そうに食事を始めた。容はそれを横目で見ながら、あまり気にせずサラダを口に運んだ。
朝の食事は、大抵、焼き魚と白飯、漬物、サラダ、味噌汁だ。時々洋食になるが、その際は膳に目玉焼きとソーセージ、サラダ、パンが並ぶ。今日はいつもの通り和食だ。
「太智、醤油とって」
「はいこれ」
「ありがと」
醤油の小瓶を貰い、スズキの焼き魚に軽くかけた後、天贖に小瓶を差し出す。
「はい、次天贖様」
「っ……、悪いな。容」
天贖は言いよどむと、苦い表情を浮かべた。
「容」
太智に向けるような穏やかな声で、天贖が容を呼んだのが珍しかった。
「お前は、態度を変えないのか? 先程少し不機嫌だっただけで、もう元に戻ってしまった」
「ん? ああ」
天贖が冷たくても、辛い仕打ちをしても、容が他の誰かにとっている態度と同様の態度でなぜいるのだと、聞いているのだろう。
怒りはもう落ち着いている。それに、天贖のことは、嫌いになれない。
「変えませんよ」
天贖は一瞬息を飲んだ。喉仏が動く。
「天贖様がきつい態度でも、私は何も変わりませんよ。天贖様を嫌ったって、私は私なんだし、嫌う方が疲れるし」
緩やかに口端を上げた。
「でも私は知ってます。貴方が密かにハウンドレンジャーに嫉妬するような心の狭い男だってことも、如何わしいフェロモン男だってことも。それは想いの深さ、優しさの証明でもあります。――だから、嫌いになれと言われても無駄ですよ」
言ってから、気づいた。天贖が本当は優しい男で、それを知っているからこそ、冷たい態度に余計腹が立っていたことを。
優しい天贖が、何か理由があって、容だけに特別な態度をとる。それも、まあ一興だ。
なぜなら、容相手でも他人相手でも、天贖がどう振舞っても彼は優しい彼なのだから。
理由なんてどうでもいい。
「残念でした」
容の一言一言を逃さないように素直でいる天贖が可愛くて、面白くて、容は思わず笑顔でそう言った。
すると天贖は目を見開いて黙ってしまった。
天贖をそのままにして、容は神妙な面持ちでいた太智を見る。
「喧嘩なんかしてないよ。大丈夫だから、食べな」
「うん」




