20. 禁忌
夕食後は各々自由時間となる。太智はテレビを見に行った。容は寝衣を持って、中棟奥にある大浴場へと向かった。
女湯と書かれた暖簾の下をくぐると、すぐ脱衣所だ。毎日入っているが、風呂場の規模は大きく、脱衣所も20人分くらいの籠がある。広々と使えることが贅沢に感じて、容は鼻歌を歌いながら湯に浸かった。
風呂から出た後も嬉しくて鼻歌が止まらない。女湯の出口で、隣の男湯から暖簾を上げて出てきた人がいた。義喜だ。
「おっ、機嫌いいね~」
「義喜さん!」
犯人探しのため会いたかった人に会えたことが嬉しく、義喜に対して身を乗り出した。
義喜は大笑いすると「近い近い」と言って、容は押しのけられた。意外に純情なのか。しかし、寝衣姿の義喜の身体を見て本当に驚いた。上前がほとんど開いているので、義喜の胸から腹まで大きく見えた。彼の全身は厚い筋肉に覆われており、男も女も惚れ惚れするくらいの体つきだった。しかしただ大きいだけの筋肉ではなく、実用的に使われていそうな、締まったものに見えた。
「す、凄いですね」
「何が?」
「筋肉。陸上選手みたい。そうか、天贖様と稽古するくらいだから、義喜さんも人間離れした動きをするよね。直志も義喜さんを化け物って言ってたぐらいだし。それはその身体にもなるよ」
「容ちゃんは真似しないでねっ」
不敵な笑いで冗談を言う義喜に対して、容は純粋に笑った。
「しようと思ったってできないから」
容は女の身でも男に競り勝つくらいの力は持っているが、流石にそれが力士などの大男であれば敵わない。男衆の人間離れした身体能力に対しても勝てるはずがなかった。
「涼みに縁側にでも行く?」
「行きましょうか」
2人で笑い合いながら屋敷の廊下を歩く。もう夜も更ける時間なので、暗めの照明にしているようだった。廊下を囲むように位置する部屋から、光が漏れ、中にいるらしい女衆の高い笑い声が聞こえる。2人並んでも余裕のある横幅の廊下で、義喜の隣から容が話しかけた。
「そういや、初めに来た時、本当に驚いたよ。露天風呂だよ?」
「俺も子供の頃ここに来ることになった時、めちゃくちゃ驚いたよ。この田舎にこんな空間が……温泉旅館じゃあるまいし……って。まあ屋敷自体の大きさがまずびっくりだったけど」
「義喜さんは元は何の家だったの? 農業とか、漁業とか」
「実家は金箔作りなんだよ。この島、金が出るんだ」
「き、金……! 相変わらず天贖様、とんでもない富豪だね」
「まあ、とんでもないねえ。その分俺らも女衆も給料いいよ。島への移住希望者も多いしね。でも俺達は呪いの家系だからね、移住希望者はうまく弾かれる。土地ほとんど天贖様が持ってるからできることだけど。もしくは厳選な審査と村じゃなく都市部への移住許可。……うん、この辺りでいいか」
中棟の後ろの縁側に辿り着き、2人は横に並んで腰をかけた。
昔の山王司家があまり派手好きではなかったのか、目の前にある日本庭園は屋敷の規模からして小さいようだ。造りとしては質実剛健としており、飛び石の並びは整然とし、格式が高いように見える。池に飼っている鯉が時折立てる水音が聞こえたかと思うと、夏虫の声がかき消していく。
「あ~。暑いけど、風があっていいね」
義喜の言う通り、気温は高めだが風通しが良く、夕涼みにはもってこいの場所だ。風が吹くたびに屋敷の塀の傍にある木々がざわめく。
「ほんとにそうだね。ゆっくり眠れそう」
容が満足そうにしていると、義喜が両手を挙げて伸びをする。
「しばらくここにいよっか~」
耳を澄ましても、人の気配が全くない。ここでなら聞きたいことが聞けそうだ。容が話そうと思った時、先に義喜が口を開いた。
「容ちゃんはご家族の具合が悪くなって、島に来たって聞いたけど」
「そう。あっ、義喜さん、淵 誠吾って知ってる?」
容がこれ幸いと聞くと、義喜は目を反らしてしばらく考え込んだ。
「ふち せいご? あー。亡くなったご家族だっけ? 名前だけは知ってるけど」
「姉の夫なんだ。熊に襲われて、亡くなったんだ」
殺人かもしれないということは黙っておいた。まだそこまで義喜のことは信用できない。これは最後のカードだ。
「そうか、知らないか。知ってそうな人、知ってる? 何でもいいから思い出が聞きたいんだよ」
「知ってそうな人、ねぇ……。直系の周辺だったら天贖様なら知ってるけど、天贖様が知らないなら、他の人も知らないと思うな」
「義兄の家はここのすぐ近くだから、直系に近いかも」
「うーん。天贖様に聞いてみた?」
「聞いてない……」
そもそも聞けるだけの関係性を築けていない。
「聞くに聞けない雰囲気、ってわけね。天贖様に聞いたら全部わかるって。それでスッキリしたら?」
すっきり、とはまるで天贖も知らないような口振りに、容は違和感を覚えた。それに、いつも思うがまま正直に物を言う義喜としては、煮え切らない態度だ。もしかして、義喜は誠吾の情報を名前以外にも知っているのではないか。
「義喜さん、小さい頃遊んだ子のことって、全部覚えてる?」
「いや、そうだね。全部は覚えてないから、俺が知ってた可能性もあるってことか~。でもごめん、覚えてないや」
「そうか。残念だよ」
これ以上の追及は無理だと思い、容は気を取り直した振りをして明るく振る舞った。自動人形の容ならお手の物だ。
「天贖様に聞くのは嫌だなあ。あ、楓さんなら知ってるかな」
「楓ちゃんは止めておいた方がいい」
義喜は急に真面目になって、容と正面から向かい合った。両肩を強く掴まれ、ぐっと距離が近づく。肩に微かだが痛みを感じるほどに込められた力は強い。
「何で」
「楓ちゃんは天贖様の側近だけど、お母様の側近であることも忘れちゃいけない。この島でお母様に目をつけられたら大変だ」
「でも、楓さんはそんな人じゃ……。それに、義兄の思い出を聞くだけだよ?」
「それでもだ。楓ちゃんはお母様には逆らえない。何でも言うよ、お母様には。あと、何がお母様の逆鱗に触れるかわからない。亡くなって葬儀も終わった男のことを聞くのは、この島では禁忌だ」
義喜のいつもとは違う真剣な口調に、言われた内容に、容は戸惑った。
「じゃあ、誰にも聞けない?」
「そうだ。俺は容ちゃんが気に入ってるから、話に応じたけど、他の人なら名前を出すだけで嫌悪されて、天贖様と楓ちゃんに報告される。さっき天贖様に聞いた方がいいって言ったのは、天贖様は情け深いし、島の慣習に囚われないところがあるから。だから聞けるなら、天贖様だけだろうね」
「よく、わかったよ」
容は失意を隠せないまま、頷いた。
狂った島――そう言った義喜だからこそ、教えてくれたのだ。初めに義喜に聞いて正解だった。
なら、次は、どうすればいい。天贖に聞くしかないのだろうか。だが、犯人が島の住人かもしれないと思っている容が、その情報を聞き出す相手として、一番選んではいけないのが長である天贖ではないのか。自らが統べる島の住人を売るような行為をするはずがない。
「きついこと言ってごめんね。ほらっ、元気元気、出してっ」
義喜は両手で容の頬を挟むと、笑わそうとするように、両側から引っ張った。
「あひはほう、義喜さん」
「どういたしまして。これに懲りず、何でも相談してねっ」
「ほっぺは、いはいよ。義喜さん」
義喜は容の顔から手を離した。
「あらら。ごめんね。もちもちお肌が気持ち良くて――あっ、セクハラ!?」
「ははっ、義喜さんなら大丈夫ですよ」
容が口に手を当てて笑い声を立てると、聞き慣れた声が降って来て、容は身を固くした。
「義喜」
天贖が縁側まで出てきて、容達の背後から義喜を呼んだ。
「ああ、天贖様。どうしたんですか。あ……」
「やはり忘れていたか。会合がある。ついて来い」
「は~い」
義喜が重そうに腰を上げる。会合とはなんだろうか。男衆だけの集まりなどだろうか。だとしたら容も参加させてもらう会合なのではないかと思うが、天贖は一向に誘わない。容は座ったまま天贖と義喜を眺めていると、方々から女衆が集まって来た。すぐに縁側が人で溢れかえる。屋敷の女衆は着物を着ているが、見たことのない顔の女性達は今風の普段着だった。
「御家長! お会いできて嬉しいです」
容に嫉妬している可能性の高い女衆の薫だ。うっとりとした面持ちで、天贖を見ている。
「薫。元気そうだな。俺も嬉しい」
「御家長、最近お忙しいのですか。また村までお越しくださいませ。私もお会いしたいです」
今度は名前の知らない女性が天贖に声をかけた。
「彩恵。あまり男を喜ばせるようなことを言うのはいけない。だが、ありがとう」
集まって来た女性が口々に天贖に会いたかっただのなんだのと言い、慕っていることを隠さない。天贖はそれに応じるのも手慣れた様子で、嬉しいだのありがとうだの、喜ばせる言葉を口にする。整った顔立ちの穏やかな笑顔が、低い甘い声が、女を余計惹きつける。
――それなのに。
「容、お前は要らん。自室に帰れ」
やはり容だけには硬い態度を崩さない。
人を幸せにしたい――その裏で思っている、嫌われたくない、独りにしないで欲しいという願い。両親を亡くし、結を亡くし、誠吾を亡くし、独りの苦しみを持てあます容の、心の弱い柔らかい部分を打ち砕く天贖が、嫌で嫌で、嫌過ぎて、もういっそ恋しいくらいに恨んでいる。天贖の前では、自動人形でいられない。
「この、フェロモン男が! ハーレム作って後ろから刺されろ!」
言い捨てて容はその場を走り出す。ちらりと見えた天贖の顔は呆気にとられていた。
走る間に見た女性達からは驚愕と咎めるような声が聞こえたが、遠くでは義喜の大きな笑い声が響いていた。




