14 黒猫フィガロ (中編)
しかし、永遠に続くものは何もない。
夜の図書館の時間も、少しずつ、ゆっくりと止まりかけているように感じられた。
モナートは、静かに衰えていった。
彼の毛並みは、以前よりも光を失い、銀色の瞳の輝きも、時折、遠くを見つめるようになった。
ある日、モナートは、いつものようにフィガロに本の整理を教えていた時、不意に手を止めた。
彼の呼吸は、いつになく浅く、そして、微かだった。
「フィガロ、もしも私がいなくなっても、この場所を守ってくれるかい?」
モナートの声は、風に溶けてしまいそうに弱々しかった。
フィガロは震えた。
いやだ、と思った。
モナートがいなくなるなんて、考えたくもなかった。
彼が、自分にとってどれほど大切な存在であるか、その時初めて、フィガロははっきりと理解した。
けれど、モナートの瞳は、何かを超えた静けさに包まれていた。
それは、死への恐怖ではなく、受け入れと、そして、次に繋ぐ者への信頼の光だった。
「私にもね、若いころ、君のような子猫だった時代があったよ。
あの時、私を拾ってくれた猫がね、先代の館長だったんだ。
私も、月の光の階段で震えていた子猫だった。そして、願いをもらった」
モナートは、遠い目をして語り始めた。
「願い……?」
フィガロは、モナートの言葉に耳を傾けた。
「もうひとり、悲しまないで済むようにってね。
私を拾ってくれた館長が、そう願ってくれたんだ。
私はその願いを受け取って、この図書館で生きてきた。
そして、たくさんの願いが、この場所で安らぎを見つけるのを見てきた。
今度は、君の番だよ、フィガロ」
モナートは微笑んだ。
その笑顔は、かつてないほど穏やかで、フィガロの心に深く刻まれた。
そして、ゆっくりと、彼の頭に被っていた館長帽を外し、フィガロの小さな頭にそっと乗せた。
「これは役目ではないよ。これはつなぐだけなんだ。
願いを紡ぎ、記憶を守る、この場所の優しいつなぎ手になること。
君が誰かの願いになったら、それでいい」
館長帽は、フィガロの頭には少し大きすぎたが、その重みは、モナートの想いの重みだった。
フィガロは、涙をこらえきれずに、何度も首を振った。
離れたくない。そう叫びたかったが、声にならなかった。
その夜、モナートは静かに消えた。
彼の姿は、月の光の中に溶けるように、ゆっくりと、そして優しく、記憶の海へと還っていった。
フィガロの目に、涙がとめどなく溢れ落ちた。
それは、深い悲しみと、しかし同時に、モナートから受け取った温かい愛と、これからこの場所を守っていくという、確かな決意の涙だった。
フィガロは、頭に載せた大きな館長帽をしっかりと押さえ、ただひたすら泣き続けた。
大人になる時がきたのです。やさしい誰かを、こんどは自分が守る番だと知ったから。
モナートがいなくなってから、夜の図書館は、以前にも増して静かになったように感じられた。
フィガロは、大きい館長帽をかぶり、モナートが座っていた机の上に座った。
ひとりきりだったが、図書館は生きていた。
願いの本たちは、以前と同じように静かに光を放ち、フィガロを優しく包み込んでいた。
フィガロは、新館長として、モナートから教わった通りに、訪れるモノたちを導くようになった。
ある夜には、かつてグローブを握りしめていた少年が、成長した姿であらわられた。
彼は、兄の夢を継ぎ、自分自身の誓いを立てたことを語った。
フィガロは、彼の言葉に耳を傾け、彼の心に宿る、強くて優しい光を感じ取った。
少年は、月明かりの下で、兄への感謝と、未来への決意をそっと呟いて、後にした。
またある夜には、波打ち際で月を見上げていた老犬――リリィが扉を開けた。
彼女は、かつての主である少女の願いを見つけ出し、その温かい記憶を胸に、静かに光となって還っていった。
フィガロは、リリィの消えゆく姿を見送りながら、愛の形が、記憶の中で永遠に生き続けることを改めて実感した。
そして、古いベビーチェアが、軋む音を立てながら、主様の感謝の言葉を携えて図書館を訪れた夜もあった。
老婦人が夫との確執の中、涙する夜もあった。
フィガロは、その一つ一つ、誰にも語られなかった願いを、丁寧に導いた。
誰もが忘れてしまったものを、ひとつずつ照らすように、フィガロは、静かに、そしてひたむきに、その役目を果たしていた。
フィガロは優しく、時に厳しく、モノたちの願いの終わりを見届けた。
彼らが、安堵と感謝の光に包まれて、記憶の海へと還っていく姿を見守るたびに、フィガロの心は満たされていった。
だけど、どこかで、フィガロの中にはぽっかりと空いた穴があった。
それは、モナートがいた時の温かい日々の記憶が、あまりにも鮮明だったからかもしれない。
あの、フサフサのひげ。
やさしいしっぽの巻き方。
しずかな声。
モナートに、もう一度、会いたかった。
その願いは、フィガロの心の奥底に、静かに、しかし強く存在し続けていた。




