【包帯】の男の子
「それは偶然ではなく、必然――か」
夕飯の準備があるからと、瑞穂たちより一足先に病室を後にしたノエは、病院の廊下を独り歩きながら窓の外を眺め、ふと呟いていた。
――それなら、私はどうなのだろうか――。
窓の外で強めの風が吹き、枯葉がひらひらと舞い、窓枠が僅かに軋む。それらをぼんやりと目で追いながら、紫色の長い髪を持つ少女は思案する。
――私がここにいるのは、何故だろう。
――姉を殺され。自身も殺され。魔族の核を心臓代わりにして、ただ動いているだけの人形――それが、私。
――私が殺されたのは偶然。しかし、私が蘇ったのは必然。
何故なら私は、私が生み出された理由であり、私や姉が殺された理由である、底無しの熔鉱炉を滅ぼさなければならなかったから――。
――それならば、その役割を果たし終えた今、私がここにいるのは偶然か、それとも必然か――だとすれば、その理由は――。
「ねぇ、お姉ちゃん……なにか美味しそうなもの、持ってるよね……?」
不意に聞こえる子供の声に、ノエの思考は中断する。声のする方を振り返った少女はそこに、小さく幼い男の子の姿を認めていた。
「――貴男、誰――?」
少女は呟くように問いかける。
そこに居たのは、小学校中学年くらいの年頃の、幼く小さな男の子だった。クリーム色のパジャマを羽織り、車椅子に腰掛けて、この病院に入院している患者と思しき出立ちをしたその男の子は、じいっと見上げるように蒼白な顔をノエへと向けている。
濡れたように黒い髪。卵のように白い頬。そして――ひときわ目立って異質な、その両目を包み隠すようにして頭部にぐるぐると巻かれた包帯。
「ぼくは羽田マモル――それより、食べられるもの持ってるよね――? ぼく、お腹空いちゃって――」
マモルと名乗った男の子はそう言うと、包帯で塞がれているはずの目線を、ノエの手にしているサンドイッチの入ったバスケットへと向け、薄桃色の唇を綻ばせた。
「お姉ちゃんから、なんだか――とても、美味しそうな匂いがするから、ぼく――」
男の子がそこまで言いかけたその時、彼のお腹の辺りから、くぅぅと虫の鳴る音が響く。ノエはふぅと溜息をつき、車椅子に座る男の子の眼前に屈み込み、その白い頬をつぶさに見つめて。
「お腹が空いているんだったわよね――? いいわよ。サンドイッチなら余っているから、よかったら食べて」
ノエの言葉に、男の子は――羽田マモルはきょとんとした様子で一瞬沈黙し、そして恐る恐る、眼前に腰を落とした少女が手にしているバスケットへと顔を近づける。
「え――いいの? お姉ちゃん――食べてもいいの――?」
「ええ、少し作り過ぎてしまったみたいだから――ね。遠慮しなくてもいいわ」
そう言うノエに、マモルは顔を上げつつ肩を竦める。
「ありがとう、お姉ちゃん――でも、僕――今は目があまりよく見えないから――」
「それなら、食べさせてあげる」
ノエはバスケットからサンドイッチを丁寧に掴み取り、マモルの口元へと近づける。男の子は鼻をひくつかせ、ぱくりと差し出されたサンドイッチへと齧り付く。
「んっ――うぅ……うん――美味しい――!」
マモルはもしゃもしゃとサンドイッチを頬張りながら、くぐもった声を漏らす。男の子の頬には赤みが差し、その声には張りが出ていた。
その様子を眺めながら、ノエはふとそこにかつての記憶を思い出す。
――本当に、透のつくる料理は、なんでも美味しいね――。
それは、須藤 透が心の奥底に仕舞い込んでいた、儚くも遠い記憶。姉に自分の作った料理を振る舞ったときの思い出。とても美味しそうに食べながら、幸せそうな言葉を口にしつつ、こちらへと向けられた晴れやかな姉の笑顔――。
目の前で美味しそうにサンドイッチを頬張る男の子の笑顔と、遥か遠く僅かに朧気に残された姉の記憶とを、ノエは無意識のうちに重ね合わせていた。
「うん。本当に美味しかった――ありがとう。お姉ちゃん」
バスケットに残されていたサンドイッチを全て平らげ、マモルは言いながら満足げにお腹を擦っていた。
「貴男、見かけによらず大食いなのね。入院しているようなのに、そんなに食べて大丈夫――? まあ、私としては、全部美味しく食べてくれて助かったけれど――」
「うーん、大丈夫。大丈夫だよ。だって病院のご飯は少なくて味が薄いんだもの――でも、お姉ちゃんのサンドイッチのおかげで――なんだか、元気が出てきた気がする――」
マモルがそこまで言いかけた、その時――。
ドオォォッン――!
耳をつんざくほどの大きな爆音が、窓の外から響き渡り、男の子の声を――周囲のあらゆる音ごとすべて掻き消していた。
「えっ――なに――今の音は――!?」
ノエは咄嗟に爆音のした方向を――窓の外へと視線を巡らせる。
「びっくりしたぁ。それにしても凄い音だったね、お姉ちゃん。な、なんだろう――外で、何かあったのかな――?」
マモルも驚いたように、窓の外へと包帯に包まれた顔を向ける。
「ええ、そうね。この音――事故か、何かかしら――」
ノエは訝しげに瞳を細める。周囲を見回し、ちらりと男の子の様子を見やり、そしてまた視線を窓の外へと戻し――。
紫髪の少女はそこに――窓から見える道路の上に、白いヒトガタの異形を視た。
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