僕に降る白銀の流星【ほし】
僕は、空を眺めるのが好きだった。
その日の夜も、僕はマンションのベランダに出て、上を見上げ、夜空を覗き込んでいた。
墨を流し込んだような濁りのない闇の中に散りばめられた、瞬く星々。
『――は、お星さまになったんだよ――』
ずっと、ずっと――時間を忘れるほどに、僕は空を眺め続ける。
そして、夢想する。
いつか――いつの日か、この身を地面に縛り付ける重力から解き放たれて、この無限に広がり続ける空へと昇ることができたなら――その先には、きっと――。
そんなとりとめのない考えの中で、瞼の裏に映り込む闇夜の中で――、すぅと尾を引いて動く一筋。
それは、白銀の流星。
暗闇を突っ切るように墜ちていく光。
空から地面へと。
遠くから近くへと。
気づくとそれは――に墜ちて――。
そして――僕は――。
○●
白い壁に囲まれた病室。窓際に鎮座したベッドにかかるシーツも、窓に掛けられ時折揺れるカーテンも、室内の静寂を体現するかのような漂白された白に染まって。それら染め上げられたかのような真っ白な部屋の中で、ふわり水面に浮いているかのように横たわっているのは、黒い髪をした少年の身体。
「――」
その少年は――天王寺翔真は、病院のベッドで眠り続けていた。
黒い髪が寝息とともに微かに揺れている。灰色のパジャマに包まれた胸元が規則正しく僅かに膨れて、しぼんで、また僅かながら膨れて――彼は数日間ずっとそれだけを、意識のないままにただただ繰り返し続けていた。
「――」
異世界における四天王リツルミとの戦いのため、短期間の内に連続して封印の枷を断ち切った翔真。【覇王の力】を立て続けに解き放ち、その力を使ってリツルミを討ち倒した彼はしかし、その後に待ち受けていた再封印の反動によって倒れて以降、そのままずっと意識を失ってしまっていた。
「――」
現実世界へ戻ってからも、そこから更に数日経ってもなお、翔真は目覚める兆しすら見せずにいた。彼は家族によって原因不明の意識障害として病院へと担ぎ込まれ、そしてそのまま入院することになったのだった。
そして今、彼が横たわり眠り続ける病室の中で――。
「翔真さん――」
彼の耳元で囁かれる、沈んだ少女の声。
小さな少女の声に呼応するかのように、窓に掛けられた白いカーテンが風によってふわりと揺れる。
少年の側に寄り添う、小さな身体。白く幼い面立ちが、その中で寂しげに細められた紫紅色の瞳が、翔真の影差す寝顔をじっと、湿ったような眼差しで見つめている。
それは、万物を【断ち切る】能力者――神秘斬滅の少女、塚本瑞穂。彼女はここ数日、毎日のように翔真の病室にお見舞いに来ては、眠る彼のベッドの横に腰掛け、その目覚めを待っているかのように、じっとずっと彼の顔を眺め続けていた。
「翔真さん――お願いです――目を――覚ましてください――」
消え入りそうな声で呟く瑞穂。潤んだ瞳は雫がこぼれ落ちるのを拒むように更に細められ、唇は身体の震えを堪えるかのように噛み締められて。
「瑞穂ちゃん――彼が心配なのはわかるけれど、そんな調子では貴女まで身体を壊してしまうわ」
そう言いながら病室に入ってきたのは、瑞穂の友人であり、魔力核を心臓に持つ紫髪の少女――ノエだった。
「あっ、ノエちゃん――」
「貴女、今日の朝も何も食べずに出ていったでしょう――? サンドイッチを作ってきたから、お願いだから少しは手を付けて――」
微かな苛立ちと深い心配とが綯い交ぜになったような口調でノエは言い、手にしたバスケットを瑞穂の目の前へ差し出してみせる。その中には明らかに少女一人では食べ切れぬほどの大量かつ色とりどりのサンドイッチが詰め込まれていた。
「あ――ありがとう、ノエちゃん。いただきます。さ、さすがに全部は食べきれないと思うけど――」
目の前に広げられたサンドイッチのあまりの量に若干引きながら、瑞穂はそのひとつを手に取り頬張った。朝食を抜いてきた胃袋に、じわじわと幸福感が広がっていく。
もしゃもしゃとサンドイッチを咀嚼し飲み込んでいく瑞穂の様子を眺めながら、ノエは安心したように小さな溜息を漏らした。
「それだけ食欲があるなら大丈夫そうね」
「んっ――うん」
瑞穂は3つ目のサンドイッチを飲み込み終えるとノエへと顔を上げた。
「ごめんねノエちゃん、心配かけちゃって――私は全然大丈夫だから。それより――」
ちらりと瑞穂は、翔真の寝顔を見やる。白く幼い少女の顔に不安げな影が差す。
「彼のことが、とても心配なのね――。
それにしても、どうしてこんなにも長い期間、彼は意識が戻らないのかしら――私の持っている情報でも、夢幻拘束を断ち切った後の再拘束に伴う意識の消失は、長くて半日程度だったはずなのに――」
ノエがそこまで言いかけた、その時。
「その理由は明確じゃない? アレだよ、アレ――!」
静寂に満ちた病室に、その空気に似つかわしくない大きな女の声が響く。鈴の音のようなノエの言葉は、その声に上書きされ掻き消されていた。
2人の少女はまったく同時に、声のする方へと――病室の入口へと視線を動かした。
「アレ――とは?」
ノエは短く、入口から姿を見せた人影に問いかける。
「うんにゃ、アレ――っていうのはさ、たぶんショウマくんは無茶をしすぎたんだよ――その反動が、今こうやって彼の身体に跳ね返ってきているってこと」
そう答え、病室の入口付近に立っていたのは、背の高い金髪の少女――異界の魔術師、武庫川奈留。普段着ている法衣とは異なる、まっさらな白衣を身に纏った彼女は、大人びた顔立ちとその長身から、病室の中にあってこの病院の女医であるかのような雰囲気を漂わせていた。




