悪夢から覚めた先の【悪夢】
空を舞う、視界。
見えるのは眩しい青空。
その光景はくるくると回転し、地平線を境にして、青く生い茂る草漠へと切り替わる。
感じる、重力。墜ちていく、視界。
そう。墜ちていく。墜ちていく。墜ちていって――その先に立っているのは、小柄な少女。
仄かな白を放つツインテール。幼い顔立ちと、キッとした射抜くような紫紅色の瞳。身構え握り締めているのは、鋭く長い白銀の刀剣。
ああ――。
そこで【ワタシ】は思う。
これは夢だ、と。
これで何度目だろう。何度も、何度も、何度も――見せ続けられた、悪夢。
それは、相克の兄の魔力核が視たであろう最期の景色。
雪のように透き通った白の少女は、刀剣を振るう。
その斬撃は、視界を真っ二つに引き裂き、【ワタシ】の悪夢をばっさりと斬り裂き。
――そこで、私は目覚めた。
○●
――ごううん――ごううん――。
悪夢から覚めた私が決まって最初に感じるのは、金属の軋むような、獣の呻くような耳障りな音。
私はいつもと同じように、夢から現実に引き戻されたことを確かめるため、眼下に広がる血で染め上げたような真っ赤な絨毯を眺め、細かい金の装飾の施された木製の家具や魔装へと視線を巡らせ、そしてガラス窓の外を見やる。
ガラス一面を黒く塗り潰す夜空。そこにぽっかりと浮かんでいるのは、鮮やかすぎる黄色い満月。
そこで私は気づき、声なく言葉を漏らす。
そうか――今日は、【あの日】か――、と。
「お姉ちゃん――! お姉ちゃん――嫌だ――嫌だァっ!! あああっイヤぁ!!」
不意に私は、女の子の泣き叫ぶ声を聞いた。
私には――それが、何であるか理解っていた。
視線を巡らせた先にいたのは、2人の少女。
ひとりは、真っ赤な絨毯の上に蹲って、大粒の涙を滴らせながら叫んでいた。お姉ちゃん――! お姉ちゃん――!! とひたすらに姉のことを、まるで壊れてしまった機械のように、繰り返し、繰り返し――何度も同じように呼び続けていた。
叫び続けている少女が食い入るように見つめるその先に、もうひとりの少女がいる。いや――先程までは、そこにいた。
そう、そこにはもうひとりの少女がいたはずだった。だが、今そこにあるのは、もはや人間とはとても呼べないような、何かの塊だけ。どろどろの飴細工を繋ぎ合わせて、ヒトのカタチだけをとりあえず取り繕ったかのような、棒人間のようなそれが、四つん這いのような体勢をとって、置き捨てられたかのようにただそこにあるだけだった。
「お姉ちゃぁん――こんな――こんなの――嫌だぁっ――!!」
その言葉からすると、その叫びの意味を考えると、泣き叫ぶその少女は妹で――そしておそらく、少女の目の前にあるヒトのカタチだけを辛うじて留めた飴細工のようなモノこそ、彼女の姉なのだろう――いや、だったのだろう。
姉と呼ばれた少女は――熔けていた。
声を出す猶予も与えられず、悶え苦しむ時間すら無いままに、姉と呼ばれたその少女は、ドロドロに熔かされて――死んでいた。
私には――何故、そうなったのか理解っていた。
どんどんと熔けていき、原形を喪っていく、少女だったモノ。
彼女を熔かしてしまったのは、部屋の奥に鎮座している数メートルの高さはあろうかという、紅蓮滾る熔鋼の塊。
それは、【底なしの熔鉱炉】と呼ばれるモノ。ぐつぐつと沸き立つ赤黄色の表面より魔熱を放ち、魔力領域内のすべてを熔かし尽くし、熔け出してきた魂と魔力とを啜り尽くす、魂喰いの魔装。
――ごううん――ごううん――。
底なしの熔鉱炉は、金属の軋むような獣の呻きのような耳障りな音を発しながら、融体のように揺らめく塊の中心部から腕のようなモノを生やし伸ばしていく。既にどろどろに溶けきった少女の身体だったものは、絨毯の上で揺蕩う水溜りへと変わり果てており、伸びてきた腕のようなモノの先端によって、ズズズッという音を響かせながら啜られ、吸い取られていく。
「イヤぁ……お姉ちゃん……イヤあああっ……!!」
姉だったモノの凄惨な末路を目の当たりにしてしまった妹と思しき少女は、一際大きく泣き叫ぶと、絨毯の上に顔を突っ伏し泣き崩れた。
その凄惨な光景を目の当たりにして、ふと私は考えていた。
――かわいそう、に――と。
――かわいそう、に――?
なんだろう――この、締め付けられるような苦しさは――。
もしかして――これは――?
その時だった。
突っ伏して泣き崩れていた妹と思しき少女が、がばりと起き上がった。
彼女は立ち上がり、天井を仰ぎ、もはや人間のモノとは思えないほどの狂い切った咆哮を放っていた。
「イヤだ……こんな……こんな、死に方をするくらいならっ……!」
涙を振り乱しながら少女は喚く。そして、痙攣しているかのように顔を動かし、部屋を見回し――私を、見つけた。
見開かれる、少女の眼。虚ろに揺れるそれに、もはや理性と呼べるものは残っていないように思われた。
少女は駆け出す。私の方へと、こちらの方へと、近づいて、近づいて――その白い腕を伸ばし、細く華奢な指先をぴんと伸ばして――その小さな掌が、【私を掴み上げ――】。
「こんな死に方をするくらいなら――自分で――自分の手で、自分を殺したほうがマシだッ……!!」
大声で叫ぶと同時に、少女は握り締めた私を――その鋭く尖った先端を、己が胸に突き立てていた。
なぜなら、私の構成は――氷のように透明な色をして、霜のように冷たい空気を纏って、氷柱のように鋭利な形状をしていたから。その大きさと形状は、少女が自分の胸を抉るのに都合よく丁度よいものだったから。
私の先端は、少女の鼓動の根源を貫いていた。
――どくん――どくん――。
冷え切った私の表面を、少女のあたたかな赤い体液が伝い迸っていく。
――どくん――どっ――。
不規則になっていく少女の鼓動に触れながら、私は考える。
どうして――こんな非道いことが――繰り返されるのか。
――どっ――どっ――。
消えてゆく少女の鼓動を感じながら、私は考える。
アレを――底なしの熔鉱炉を稼働させようとする限り――その魔力源となる生贄が必要になる。その度に人間たちが捕らえられ、身体をドロドロに熔かされ、命と魔力とを啜られ、吸い尽くされ――。
――。
少女の鼓動が、途絶えた。
自ら心臓を抉り、部屋中に鮮血を撒き散らし、声にならぬ叫びをぼろぼろと漏らしながら、少女は絶命していた。
かわいそう――に。
こんなのは――もう、視たくない。
こんな気持ちは――もう、抱きたくない。
――もしかして、これが感情というもの――?
そうか――それならば――この哀しみの繰り返しを止めるのならば――私ができることは、たったひとつだけ――。
私を握り締めていた掌から力が抜けていき、やがて離れた。少女の身体は、私を胸に突き刺したままぐらりと傾き、そのままうつ伏せに倒れる。床と少女の身体の重みとに挟まれた私は、より深く彼女とへと喰い込み、より強く彼女へと結合していた。
――命を散らした、名も知らぬ少女よ。
私は、氷機の魔力核。
身体を持たず、ただ自我と感情だけの存在――。
――己を殺めた、哀しき誰かの妹よ。
私を胸に突き立てし、その亡骸――このまま、私に預けてほしい――。
○●




