白霧に佇む【仮面】の子供
普通の人間のモノに戻った右腕を慣らすようにわしわしと動かながら、アシャは金の瞳を細めて、その手首に食い込んだ枷を見つめた。
「そして【無】に繋がる【魔】は、俺の力だけに限定されているわけではない――断ち切られた夢幻拘束が【無】へと再び【繋がる】際の流れと勢いに巻き込んでしまえば、寄生型だろうが何だろうが、その者の【魔】だけを【無】へ繋げて吸い取ることなど造作もないこと――」
「アシャさん」
独りごちるアシャの背後から、瑞穂は声をかける。
「あ――ありがとうございます――おかげで誰も死なせずに――」
「勘違いするなと言ったはずだ小娘。この男を殺すなと言ったのは、俺の器だ。俺はその甘さに付き合ってやっただけに過ぎん。だが――」
アシャは急に何かを思い出したかのように口を閉じた。
そして誰にも聞こえないような小さな声で呟く。
――この方法を思いついたのもまた、【俺の器】――だが奴は、なぜ夢幻拘束が【魔】のみを【無】と【繋げ】て封じることができると知っていた――?
「それよりもっちー、連れ去られた友達は見つかった?」
奈留は倒れた男へと両手をかざしながら瑞穂へと訊く。治癒魔術の行使のためか、その掌は仄かな薄緑色の光に包まれていた。
瑞穂は視線を下ろし、小さく首を横へ振る。泣きそうな表情がそこにあった。
「それが――蒐集品にされた人達を確かめてみたんだけど、エリスちゃんはどこにも見当たらなくて――」
その時、瑞穂の言葉を途中で遮るかのように、唐突にその声は周囲に響いた。
「ふふっ……その娘は、ボクが預かってるよ」
○●
そこに立っていたのは子供だった。
中学生ほどの小さな身体。その身の丈からすると制服にも見える色の無い法衣。肩まで伸びて綺麗切り揃えられた髪は、息を呑むほどに艷やかで雪のように儚い白銀。
その子供は、アシャたちから少し離れた場所に立ち、その顔を彼らへと向けている。その足元からは白い霧が立ち込め、幻想的な空気の中で、それはくすくすと嗤い声を漏らしていた。
その視線は捉えどころがなく、その表情は見えない。何故なら――。
その子供は、白い仮面を被り、顔貌をすべて覆い隠していたから。
「ふふっ、【はじめまして】かな? ボクは、ダイスロウプ水魔軍を統べる四天王がひとり、【白霧幻面】のヨツバ。よろしくね」
微笑みかけるかのような仕草で、ヨツバと名乗った子供は頭を揺らしてみせる。仮面からこぼれる白銀の髪が、さらさらと靡く。
「しっ――四天王!? な、な――なんで四天王が、こっちにいるの!?」
奈留は酷く動揺した様子で口走る。
アシャはその金色の瞳だけを動かして、ヨツバを睨んだ。
「この茶番を仕組んだのは貴様だな――?」
「はて、茶番とは?」
ヨツバは愉しげに小首を傾げる。アシャは不快そうに目を細めた。
「貴様が――あの男に魔因の種を埋め込み、魔族に仕立て上げ、そして俺たちを襲わせて、この領域・白に誘い込んだのであろう――? これを茶番と呼ばずして何と呼ぶ」
「ふふっ――そうだね、ご名答。まあ魔因の種をこっちに持ち込むのも、領域・白の展開も、ボクくらいにしかできないから、すぐにわかるかな」
「その目的は、俺に力を使わせること――と、いったところか」
「そう、君たちは予定通りに動いてくれた。まあ、ぶっちゃけるとさ、【君はいったん力を使ってしまうと、しばらく眠りにつかざるを得ない】ってことは、残された情報から既にわかっているんだけどね。だから、もうすぐ来るだろうその無防備なうちに、君たちを皆殺しにしてしまってもいいのだけれど――」
ヨツバは喋りながら、その顔を少し横へと向け、瑞穂の方をちらりと覗くような素振りを見せた。仮面の奥から視線を感じ、瑞穂は剣を握り締めて身構える。
「ふふっ、そっちには、まだ神秘斬滅の娘が残っているからね――誰かさんみたいに油断してやられたら台無しだし、今はまだ手の内を晒すわけにはいかない。だから、今日のところは失礼させてもらうよ」
言いながら、ヨツバの足元を漂う白い霧が濃くなっていく。やがてそれは彼の全身を包むように広がっていき、仮面を被った子供の姿は段々と薄く見えなくなっていく。
「ちょっと待って――!」
瑞穂は声を振り絞り、消えつつあるヨツバへと声を上げる。
「エリスちゃんは――ここに連れ去られたはずの女の子は、どこへ行ったんですか――!」
深く濃い霧の中から、笑い掛けるようなヨツバの声が返ってくる。
「いい質問だね。そう、それを言うためにわざわざ君たちの前に姿を晒したんだった――その娘は、ボクが預かってるって言ったよね。何処に預かってるかっていうとさ――」
もはやヨツバの姿は濃霧に覆われて見えなくなっていた。
「もちろん、あっちにあるボクらの領域さ――さて、四枷の覇王に、それを断ち切る少女のお二人さん――あの娘を助けたければ、まずはあっちへ来ることだね――それじゃ、待ってるから。ふふふっ――」
「ちょ――ちょっと、待ってくださいって! どうしてエリスちゃんを――」
必死に問いかける瑞穂の声は、しかし相手には届いてはいなかった。
薄れていき途切れたヨツバの言葉に呼応するかのように、白い霧が晴れていく。そこには、もはや仮面の子供の姿は存在していなかったのだから。
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