黒い正義に告ぐ1
翌朝早く、ラビンスキーは完成した手紙をロットバルトに渡す際に、客人アーロンと対面を果たした。彼はロットバルト卿の部屋で懸命に策を弄しながら、薄い紅茶を啜っていた。ロットバルトに挨拶をすると、構わないと言いたげに手を挙げる。アーロンはふくよかで人の好さそうな男だったが、美男子とは程遠いものだった。
「アーロン卿……。お話はかねがね……」
「おぉ、貴方が協力者の方ですか。……その手紙は?」
アーロンは手紙に目をやる。決して質の良くない物だったが、これでもあちらとしては十分豪華な物なのかもしれない。
「あぁ……これですか。これは、協力者を募るためのものです」
ラビンスキーは手紙に視線を送る。丁寧に封をしたそれには、今回の事実は隠しておくことにした。あえて、ロットバルトの催しで村の方の体験談を利かせて欲しい、という内容でしたためたのだ。
「人を集めていただけるのですね?」
「えぇ、処刑の日に……」
徐々にトーンを低くしたラビンスキーに対し、アーロンは肩を叩いて微笑んで見せた。不思議な安心感は、体格からなのかもしれない。
「私たちはできる限りのことをしましょう。ね、ロットバルト卿」
ロットバルトは静かに頷いて見せた。何故か枯らした声を気にしているらしかった。アーロンは静かに立ち上がり、もう一つの仕事―ラビンスキーの敵としての仕事を務めに向かう。アーロンが扉を出てすぐに、少し低くなった少年のごめんなさい、という声が聞こえた。ラビンスキーは思わず嬉しくなり、顔をほころばす。この危機の中でも、立ち向かうために力を尽くすものが集まっていることが、誇らしく思えた。
いつもとは打って変わって豪快に扉を開けたユウキは、息を切らし、寝癖を付けたままで立っていた。モイラも一緒だった。
「ラビンスキーさん、ロットバルト卿。僕たちに、何かできる事はありませんか?」
「あるよ、ユウキ。ルシウス先生はとにかく多くの人に処刑の様子を見て欲しいらしい。……何をするのか、そこまでは分からない」
ユウキが聞きそうなことは先回りして答える。モイラとユウキは顔を見合わせ、頷いた。そして駆けだそうとするのを、ロットバルトが呼び止める。
「ユウキ、寝癖は直していきなさい」
その言葉に突然びくりと体を竦ませたかと思うと、顔を真っ赤にして自室に戻っていった。部屋にいる二人はくつくつと笑う。
「……ラビンスキー君、すまないね。私にはこの程度の助力しかできないらしい。極力外の情報はしっかりと把握したいが、使用人たちには買い物ついでにいくらか市場の情報を聞き出してもらったよ」
ロットバルトはラビンスキーに座るように促した。すかさずスミダが椅子を引く。ラビンスキーは「恐縮です」と小さく言って席に着く。ロットバルトが手紙を持つ手をさり気なく上げると、スミダは素早く優雅にそれを受け取る。そのまま、玄関の方へと消えていった。
「まず、カルロヴィッツやイグナートたちのおかげで息のかかった商館の者は我々の味方だ。貴族はこの事態に気付き始めて、私を下ろそうと画策しているようだが……。それはこちらで「買収した」貴族たちが何とかしてくれるだろう。そちらの方は私が任免権を握っていて本当に助かったよ」
権威には権威を。イグナートの言葉がラビンスキーの脳裏をよぎる。政治と密接にかかわったロットバルトにとって、一番の懸念は破門だろう。その後のことまで寝ずに根回しをしていたことに、ラビンスキーは思わず感服する。ロットバルトという人物の「底の知れない」権威により、殆どの力を教会対策に割くことができるようだ。
「私達には私たちのやるべきことがある。まずは、仮に……ルシウスの救出に成功した時の話をしよう」
ラビンスキーは息を呑む。
「……我々は教会に楯突いた。つまりそれは、彼らの庇護を受けられないという事だ。……即ち、これからムスコール大公国は、二つの選択肢を強いられることになる。一つは教会から離れる事、それによって生じる問題を解決すること。……つまり、外交面での味方を作ることだ。私の見立てでは、プロアニア……ここしかないだろう。そして続いて、クリメントらの処分を正当化する方法だ。私は非協力的な人間は悉く処分する気でいるが……今回ばかりはそこまで喧嘩を売るのは賢明ではない。国内で暴動でも起きたら国防もままならない。よって、クリメントの『不正』を確たるものとしたい」
「第二点は、私に任せてください。教会の不正の証拠は、信頼できる人に託してあります」
ラビンスキーは自信をもって答える。今回の処刑を避けるもう一つの切り札は、ビフロンスに預けたシゲルとの取引記録だ。ロットバルトは口角を上げる。
「頼もしい。是非、お願いしたい。内政の事は私が何とかしよう。そして、次にルシウスの救出に失敗した時のことを話しておきたい」
ロットバルトは再び鋭い視線を向ける。
「いざ、という時。その時は、ユウキとモイラを連れて、亡命してほしい。早急にだ。既に退避路は確保してある。宮殿を通る地下通路だ。この地図に従ってくれ」
ロットバルトが差し出したのは、小さなメモ書きだった。暗号化された言葉と共に、都市外への経路が記されている。さらに、彼女は続けて豪華な書簡を差し出す。宛先はプロアニアの王、フリック王だ。
「これは……?」
「亡命先としてふさわしい場所だ。プロアニアは常に技術者を求めている。安心してくれ、これについてはあの国は本当に寛容だ」
ラビンスキーは頷き、それらを受け取る。ロットバルト卿は険しい視線をラビンスキーに向けたままで、ゆっくりと席を立つ。そのまま作業机に掛けると、駆け足気味に続けた。
「これから私は国策の方の雑務をこなさせてもらう。こちらも最低限すましておかなければ後々困ることになる。人集めは、都市内部についてはユウキ達に、外については君に頼むことにしよう。ビフロンスを通じて連絡を取れるのだろう?」
「はい。そちらの事はお任せください」
ラビンスキーの気持ちのいい返事に、ロットバルトは振り返って悪戯っぽく笑って見せた。
「よろしい。では、処刑の直前まで、せいぜい足掻くとしようか!」
「はい!」
ロットバルトは自分の書斎で国務に当たる。ラビンスキーは音を立てずにその場を去り、ルシウスの部屋へ戻る。四人に対する連絡を済ませた後、返事を待つ。それからは、ゴーレムの製作と応答の繰り返しだった。




